12.夜のご訪問は、やっぱり危険
「ありがとうございます、エナさま」
馬場の近くで。
わたしにああでもなければこうでもないと、他愛のない会話を一方的にふっかけてきたアルディナさま。
どれだけ喋るの? あとどれだけ聴かなきゃいけないの?
セランの乗馬を見てる余裕ないんですけど?
思ったところで、「そうだ、立ち話もなんだから、茶でも用意させよう」で、また走り去っていったアルディナさま。「あとで、弟といっしょに来い!」と、勝手に予定を決めていったのだけど。
嵐のようなアルディナさまの姿を見送って。ぐったりしかけていたわたしに、セランの教育係である騎士が近づいてきた。
なにが「ありがとう」なの? 一瞬、キョトンとしかけたけど。
「アルディナさまが、あんなに楽しそうに笑っていらっしゃるのを見て。私も、安堵いたしました」
ああ、そういうことね。
アルディナさまが楽しそうだったから。だから「ありがとう」なのね。なるほど。
心の底から安心してるってわかる、騎士の笑顔に納得。
「アルディナさまが、あそこまで楽しそうにサれているのは。私の知る限り、初めてだと思います」
――――? 初めて?
「それは、リアハルトさまが即位されてから、初めてってこと?」
帝位を争った異母兄が来てから、ずっと笑ってなかったってこと?
「残念ながら。そうではありません」
説明にためらったのか。騎士が少し眉を寄せてうつむく。
「アルディナさまは……。皇子として遇されていた時から……、いえ。幼い時から笑うことのない方でした」
「――え?」
アルディナさまって。たしか父親である先代皇帝と、愛妾だった母親と。
性別は偽ってたけれど、両親から大事に育てられてたのよね?
それなのに。笑ったことがなかったの?
「赤子の頃は、アルディナさまも無邪気に笑っておいででした。ですが、成長するにつれ、ご自身の身の上を知ると……」
説明途中。なのに騎士が、グッと息を呑んだ。
「一度だけ、アルディナさまが助けを求めたことがあるのです。ご自身の乳母に、こんな生活は嫌だ、助けてくれと申されたのです」
なにも知らない幼児なら、皇子として大事にされていれば、それだけで幸せだったかもしれない。けれど、自分が女であること。皇子と偽ってることを知れば。それを強いているのが実の母親だとしたら。
女であることがバレたら、父親である皇帝を騙した罪で殺されるかもしれない。殺されることは想像できなくても、ひどい目に遭うことぐらい想像することは簡単だ。
母のついたウソに怯える。
その姿は、簡単に想像できた。
「涙ながらにアルディナさまに求められて。乳母は……、私の母ですが、アルディナさまを助けようと動いて……。皇子誘拐の罪で処刑されました」
「――――っ!」
「乳母子だった、私の妹も、です。兄である私が生かされたのは、父にそれなりの身分があったことと、まだ利用できる駒であると判断されたからでしょう。それと、次に誰かに助けを求めたら私を殺す。アルディナさまへの無言の脅迫材料として――です」
「なんて……こと」
言葉だけじゃない。体が知らず震えていた。
母親によって性別を偽らさせられてたことを知った時。
そのことが父親にバレたら、自分の命は無くなるかもしれない。
自分の性別が偽られたことで、先代皇妃が幽閉され、異母兄は遠くへと追いやられた。
助けて。怖い。助けて。
そのことを知った時、アルディナさまが誰かに助けを求めても不思議じゃない。そして、事情を知ってる者なら、救いの手を差し伸べてもおかしくない。
けれど。
アルディナさまが助けを求めたことで、やさしい乳母と乳姉妹が殺された。次に誰にも助けを求められないよう、見せしめとして殺された。
そして、父帝が亡くなったことで、異母兄との戦が始まる。母親の傀儡だったアルディナさまに、戦を止める術はない。
異母兄が勝って、帝位から降ろされて、本来の姿であるアルディナに戻って。
だからといって、アルディナさまが安心できる時代が来たわけじゃない。
勝った異母兄が、どうして自分を生かしておくのか。覇道を妨げた者を、どうして生かしておくのか。
異母兄には手駒にできる姉妹がいない。政治のためには、政略結婚で渡せる皇女が必要。だから生かした。元は敵であっても、妹であることに間違いはないから。
だけど、その異母兄が結婚したら? 異母兄に娘が生まれたら?
憎い愛妾の娘、敵であった妹など必要なくなるではないか。
誰かの傀儡、誰かの手駒。
そんな人生しか知らないアルディナさまが、リアハルトさまを警戒して、うがった発想にたどり着くのも、無理からぬ話だ。
(アルディナさま……)
リアハルトさまも過酷な人生を送ってこられたと思ったけど。両親のもとで育ったはずのアルディナさまも、放逐された異母兄に負けないぐらい過酷な人生を強いられていたんだ。
その彼女が。
わたしが起こした行動の結果、あんなふうに笑えるようになったのなら。
「――姉さま?」
「セラン。馬を厩舎に返していらっしゃい」
ゆっくりと、馬にまたがったまま近づいてきたセランに告げる。
「アルディナさまが、お茶にご招待してくださったわ。アナタもいっしょよ」
お茶の一杯や二杯、トコトンつき合ってあげようじゃないの。
* * * *
「――昨日は、いろいろとすまなかった」
夜遅くに、わたしの室を訪れたのは、リアハルトさま。
昼間は妹。夜は兄。
訪れ方は対照的だけど、どっちもわたしに会わないと気がすまないのかな。
お茶でタプタプになったお腹をさする。
「それで、アルディナさまとは、よく話し合われたのですか?」
せっかく訪れてくれたのだから、お茶でも用意しようか。思ったけどやめておいた。
わたしのお腹に、お茶が入る余裕がないのと、お茶を飲むことで長居されるのも困るから。
寝台に腰掛けて――もマズいので、さりげなく卓に、向かい合う席に誘導する。
「アルディナが、どういう気持ちでいるのか。そのあたりをくわしく聴いた。アイツは……、俺の手駒、俺が結婚したら自分は不要になると思っていたんだな」
卓に肘をつき、悩ましげに額を手に埋めたリアハルトさま。
リアハルトさまが結婚して、子が生まれたら。アルディナさまに残ってる唯一の価値、〝皇女〟すら消えてなくなる。それもリアハルトさまが結婚なさって生まれる子は嫡出子。異母妹、先帝の庶子でしかないアルディナさまの利用価値は、生まれた赤子にも劣る。
「そんなことない。お前は大事な妹だ。そう、俺が、俺自身の言葉で伝えていれば、そんなふうに思い悩ませることもなかったのに……」
「リアハルトさま……」
「もっと早くに伝えていればよかった。一度は敵対した身だ。憎まれてても仕方ないとは思っていたが……」
自身の行動を悔いている。
今まで、妹になにも伝えてこなかったことを後悔している。
そう思えて、リアハルトさまに手を伸ばす。
「いや、違うな。アルディナと対面することを、俺は恐れていたのかもしれない」
「――恐れて?」
手が止まった。
「ああ。恐れていた。アイツと敵対して、アイツの母親を幽閉した。どちらが勝った、どちらが正義とかじゃない。子どもから母親を奪った。そのことで、アイツにどれだけ憎まれているのか。俺はそれを知るのが怖かった」
どう。どう慰めたらいいのだろう。
リアハルトさまが「母親を奪った」と負い目を感じているのは、自身も母親を奪われた子どもだったからだ。
過去に自分がされた悲しみを、次は自分が妹に味あわせてしまった。
妹はそんな兄をどう思っているのか。知るのが怖くて、忙しさを言い訳に会うのを避けていた。
「ユージィンからも、教えてもらった。アルディナの過去を」
「ユージィン?」
「セランの馬術指導に当てた騎士だ。アルディナの乳母の長子だな」
「ああ。あの人」
あの人、ユージィンって名前だったんだ。「セランのお馬の先生」としてしか認識してなかった。
「アルディナが、母親の仕打ちでどれだけ苦しんでいたか教えてもらった。そして、自分がなにも知らない、無知な兄であったことを痛感したよ」
額を押さえていた彼の手が、そのまま沈痛な表情を覆い隠す。
「もとの性別に戻れたのだからいい。皇女として遇しているのだから問題ない。そう思い込んで、そう思うことで、忙しさを理由に、アルディナとの問題を放置していた。――兄失格だな」
アルディナさまの過去を知らなかった。
アルディナさまの憎しみを受け止めるのが怖かった。
だから、アルディナさまと向き合うことを恐れた。
でも。
「エ、エナっ!?」
「悪いのは、リアハルトさまではありません」
手だけでは足りない。腕を、体を使って、包み込むように、ギュッと彼を抱きしめる。
「アルディナさまになにがあったのか。アルディナさまがどう思っていらっしゃるのか。わかったのなら、それで充分です」
悪いのは、リアハルトさまじゃない。
兄妹の間にわだかまりを作らせた、リアハルトさまたちの親が悪いんだ。
「大事なのは、これから、です。アルディナさまを妹として大切にしたいのであれば、そのことをキチンと伝えて。行動で表して。アルディナさまが、兄がいてよかったと思えるほど、大切にして差し上げればいいんです」
今まで伝えられなかった分の思いも込めて。
「過去は変えられないけど、未来は変えられる。これから、ご兄妹仲良く過ごされたらいいんです」
兄として、アルディナさまを大切になさって。アルディナさまが、ずっと笑っていられるように守って差し上げて。
「エナ……」
「大丈夫です。アルディナさまと、いっぱいお話できたのでしょう? 互いに誤解はとけたのでしょう?」
「あ、ああ、それは……」
「それなら、もう大丈夫です。過去を悔やむのはこれで終わり! これからは、前を向いて、今と未来のことだけを考えましょう」
過去を悔やむことも大事だけど、そればっかりにとらわれるよりも、これからをどうするか考えることのほうが大事。
彼を包むように抱きしめたことで、彼の声がわたしの腕に、胸に直に響いてくる。
彼の熱も。息遣いも。
リアハルトさまにも、わたしの思いが同じように伝わればいい。
「アナタは悪くない」「過去よりも、これからのことを考えましょう」って。
「エナ……」
腕の中の少しくぐもった声。
寄りかかるように、もたれるように、わたしの体に加わる彼の重み。
大丈夫よ。大丈夫。
和解できたのなら。これからは、いい兄妹関係を築いていけるわ。
抱きしめるだけじゃ足りない。
泣きそうな幼い子をやさしく諭す。そんな気持ちで、彼のキレイな髪を撫でる。
何度も、何度も。
(キレイな髪よね)
櫛を使わなくても、何もしてなくてもサラサラで。撫でてる手のひらがとても気持ちい。
男性なのに、そんな髪って。ちょっと腹立つ。
なんてそんな感想を抱くぐらい、何度も撫でる。
「なあ、エナ」
どれだけ時間が経ったのか。
リアハルトさまが切り出した。
「その……、撫でてくれるのはうれしいし、抱きしめてくれるのもありがたいのだが、その……」
ん?
モニョモニョ。
胸のあたりを何度も押す、リアハルトさまの頭――って!
「キャアアッ!」
その感触に、あわてて彼を解放する。
さっ、ささっ、さっきのモニョモニョって! あれって!
血圧急上昇。自分でも自覚できるぐらい、一気に頭に血が上る。
「悪くはなかった。最高のご褒美をもらった」
ニマニマと笑うリアハルトさま。
「聖母の胸とは、こうも柔らかく、こうも気持ち良いものかと」
リアハルトさまの両手が、ムニムニ、モニモニを再現するように動く。
「このまま、赤子のように吸いついて、むしゃぶりついてしまおうか。そう思ったが、やはり最初は唇からだ、エナの許可を取ってからだと思いとどまった」
「おっ、思いとどまったじゃないわよ!」
わたしはただ、アンタを慰め、励ましてただけ!
「お前を愛する許可をくれぬか? エナの体、布越しではなく、直に味わいたい」
「きょっ、許可なんていたしません!」
絶対! 絶対許可なんてしないんだから!
身をひねって、体を防御!
ただ純粋に励ましたかっただけなのにっ!
リアハルトさまと過ごす時間(特に夜)は、昔と違って危険なのかもしれない。