1.降って湧いた結婚話✕2
――喜べ、エナ。お前にも縁談が来たぞ!
そう楽しそうに話すのは、わたしの叔父。
父の遺したベルティナ辺境伯領。まだ9つの弟が受け継ぎ、統治するのは難しいと、「弟の補佐」という名目で城にやって来た叔父。
壇上、亡き父が座っていた「辺境伯」としての謁見の席に、なぜか叔父がドドンと座る。そして現ベルティナ辺境伯であるはずの弟と、その姉であるわたしが叔父に睥睨される下座に立つ。
――おかしくない?
なんて声は、脇に控える小姓をはじめ、誰も上げない。どうして、辺境伯である弟が下座に立ってるわけ? 後見人、補佐役の叔父が主のように座ってるなんて、おかしいでしょ。
上げても無駄な声は、グッと呑み込んでおく。今問いかけるべきは、そこじゃない。
久しぶりに、本当に久しぶりに塔から、すっごく珍しく出してくれたと思ったら。
お前にも縁談が来たぞ。
今年で、わたしも21。辺境伯だった父が亡くなり、母も亡くなった今、わたしの婚期など、誰も気にかけてくれなかった。10代で結婚するのが普通。なのに、20歳を過ぎても誰とも婚約すらしていない。売れ残りの身。
そんなわたしにも、酔狂にも結婚してくれる人が現れた。
縁談が来た。
わたしに、縁談が?
普通なら喜ぶべきことなのかもしれない。
こうして結婚を気にかけてくれていた、縁談を持ってきてくれた叔父に、「ありがとうございます」と頭を下げるべきなのかもしれない。それこそ、叔父の優しさ、配慮に感涙溢れさせながら。
けれど。
「……姉上」
頭をどうすべきか、一応作法に則って下げておくかと動かしかけて、下から見上げてくる視線にかち合う。わたしのスカートを掴み、不安そうに見上げる弟の眼差し。
少なくとも「姉上、おめでとうございます」なんていう無邪気な祝福はない。不安からか、泣きそうなほど目を潤ませている。
その視線に、定型句的な感謝の言葉が口のなかで消えてしまう。
(この子を置いて結婚など)
父もいない。母もいない。
わたしが嫁いでしまえば、この子を護る者は誰もいない。
叔父は。叔父は、今までと同じように、この子を塔に幽閉するのだろうか。それとも――。
「喜べ。お前の相手はあのラルバンド公爵だ」
……ジジイじゃない。
ハッハッハ。
良縁だぞと、声を上げて笑う叔父。この大広間、笑うのは叔父だけで、他の誰も笑わない。
ラルバンド公爵。身分だけ言えば良縁かもしれないけど、年齢で言えば、最低の縁談。公爵は御年75だったか。かたやわたしはまだ21。親子ほど年の離れた……じゃない。親子以上に年の離れたお相手。
適齢期を過ぎた、行き遅れた女ではあるけど、だからって、そんなジジイしか縁談のない年齢でもないと思う。なのに。
「あちらは、お前の境遇を、ひどく憐れんでくださってな。ぜひ、妻にして幸せにしてさしあげたいと、こう申してくださってるのだ」
(……それなら、公爵本人じゃなくて、せめて息子なりなんなりに嫁がせてよ。そっちなら、まだわたしと釣り合う年齢だろうから)
弟を置いて嫁ぐなど。
そんなエロジジイと結婚なんてしたくありません!
言いたいことは山程あるけど。でも言えない。言ったところでどうにもならない。
わたしの結婚はすでに決まっていて、弟と離れなくてはいけないことも絶対だ。
おかしいな。
ここは、父から受け継いだ弟が治める土地で。わたしはその姉として、相応の権力を有してるはずなのに。
なぜか、父の弟、庶子の叔父が牛耳っている。わたしに叔父の決めたことを拒否する権利はない。よしんば拒否できたとして、そのせいで弟がひどい目に遭うかもしれない。
「……承知、いたしました」
スカートが強く引っ張られる。
「いかないで」
スカートを握る幼い手が雄弁に語る。
その手に、わたしを見上げる目に、最大限の愛情を込めた視線を送る。
ゴメンね。ゴメンね。わたしだって嫌よ。アナタを置いて嫁ぎたくないわ。でも……。
拒否する力はない。拒否など許されない。
だったら、このまま大人しく従って、嫁ぐしかない。けれど。
(嫁いで、夫をこの子の後見人にすることができれば……)
叔父に代わって、姉の夫が後見人になることができたら。
そうすれば、今まで通り弟を護り続けることができる。
夫を、わたしの思惑通りに動かして、叔父に代わる庇護者に据えれば。
噂では、公爵はかなりの女好き(らしい)。年若い新妻に鼻の下を伸ばしてる間に、わたしが主導権を握れば。わたしの体でメロメロにして、上手く操れば、あるいは……。
(できるの?)
わたしがわたしに問いかける。
(できるの? アナタに)
叔父が乗り込んできて以来、ずっと塔に閉じ込められていたわたしに。外界との接触を禁じられ、男性と話すどころか、会ったことすらないわたしに。
夫を籠絡して、思い通りに動かすなんてこと、できるの?
(でも、やるしかないわ)
弟のために。
情熱的な黒髪でもなければ、蠱惑的な赤髪でもない。平凡な茶色の髪。
豊満な体でもなければ、とびきり美しい顔でもない。甘い声音もない。自分が美人でないことは、鏡を見なくても承知している。
けれど、夫を籠絡して動かし、弟を護らなくては。そうでなければ、弟は、遅かれ早かれ叔父に殺される。今は後見人の立場に甘んじてる叔父だけど、いつか権力を完全に手中に収めるため、邪魔な弟を殺す。
弟が、後見人を必要としない年齢になれば。ううん。それよりも早く叔父が動くかもしれない。
今まで、わたしと弟を塔に閉じ込めてたのは、まだその時期じゃなかったから。閉じ込めておけば、手元に置いておけば、いつでも殺せる。
そう。今は、叔父の気まぐれで生かされているだけ。ちょっとでも気が変われば。わたしがいなくなってしまえば。
「――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう!」
バァンと、荒々しく扉の開く音が背後でした。
驚き、叔父や小姓たちだけでなく、わたしや弟も扉の方に視線を向ける。
大きく開かれた扉。驚く衛兵達を尻目に、ズカズカと入ってきた若い男。その服装も腰に下げた剣も。すべてが、叔父よりも豪華で、品のある作り。
「フェリト卿。悪いが、その縁談はナシだ」
男が言う。
大声ではないのに、室によく響く声。そして有無を言わさぬだけの圧も含まれている。
闖入者に過ぎないのに。衛兵も小姓も、そして叔父も。誰も動けない。その男の一挙手一投足を見続けるだけ。
彼は誰? 何者なの?
「エナ・ベルティアーナ嬢は、すでに余と婚約しているからな。ラルバンド伯と結婚できぬ」
――――は?
婚約している?
わたしが?
いつの間に?
誰と?
広間にいる誰もが、目ん玉こぼしそうなほど、目を真ん丸に見開いてる。
そして、……余? 余って。
「久しぶりだな、エナ。なんだ。俺の顔を忘れたのか?」
ポカンとなったわたしの肩を抱き寄せた男。〝余〟さん。肩を抱き寄せるだけじゃなく、ニッといたずらっぽく微笑みかけてくるけど……。
「ま、まさか……。リアハルト殿下……」
喉か乾いていたわけじゃないのに。干からびて、喉に張りついたみたいな声が出た。
「『そうだ』と言ってやりたいが。――敬称が違う。〝殿下〟ではないぞ。即位したからな。今は〝陛下〟だ」
言ってグッと口角を上げて笑うリアハルト陛下の顔に、記憶のなかの幼いリアハルト殿下の顔が重なる。
笑うとポコっとへこむエクボ。目尻にも少しシワが入って、細い目の奥で光る青い瞳。
間違いない。この顔は、あのリアハルト殿下のものだ。
記憶の中の彼は、わたしより背が低くて。最後に別れた時でちょうど同じぐらいの背格好だった。でも、あれから六年の歳月が流れている。こんなふうに、わたしの肩を抱き寄せるぐらい、大きく成長していてもおかしくないけれど。
そして、彼が今は即位して〝皇帝陛下〟であること。それもわたしの知ってる情報と合致する。
けれど。
(わたし、いつの間に婚約してたのっ!?)
どれだけ記憶を漁っても、そんな情報は出てこないんですけどっ!?
「迎えに来るのが遅くなってしまった。すまない」
驚くわたしの肩から腕を外した陛下。笑いも収め、真摯な眼差しでわたしを見てくる。
「……いえ」
向かい合うように立たれ、両手をすくい上げられてしまえば、どこを見て話せばいいのかわかんなくなって、視線が迷走する。言葉も同じ。わたし、なにを喋ったらいいの?
「フェリト卿。今までご苦労であった」
軽い口調で、陛下がふり返る。
「これより先は、余がベルティナ辺境伯、セラン・ベルティアーナ卿の後見となろう! かねてよりの婚約者、エナ・ベルティアーナ嬢の伴侶として、ここに宣言する!」
「へ?」
室に朗々と響き渡った陛下の宣言。
陛下の背後で突っ立ったままになっていた叔父が、最大級に間抜けな声を出した。
「ベルティナ辺境伯は、余の妃の弟、余にとっても大事な義弟だからな。これからは、エナ嬢共々世話をさせてもらおう」
つまり、後見人である叔父は、本日を持ってお役御免。
「今まで後見、ご苦労であった。二人を護り育ててくれたこと、感謝する」
開け放たれたままの扉から、見たことない男たちが二人、入ってくる。おそらく陛下の側近。腰の剣こそ抜いてないけど、かなり厳しそうな表情をしてる。
「恩賞を与えるゆえ、卿はゆるりと己の屋敷で過ごされるが良い」
「え? あ? ええっ!?」
驚く叔父。陛下の側近に「さあさあ」と取り囲まれ、壇上から降ろされ、そのまま広間の外へ連行されていった。
優しく「さあさあ」と促してるけど、あれ、「連行」で間違いないわ。有無を言わさぬ強引さ。叔父は口をパクパクさせながら、歩くしかない状況。
「助けて」とでも言いたいのだろうか。己の権力を奪われることに文句を言いたいのだろうか。
だけど、皇帝の権力の前で、叔父に忠義を尽くせる者などいない。叔父の命が脅かされたのなら、一人ぐらい忠義者が現れるかもしれないけど、叔父はあくまで別室に案内されただけ。危害の一つも加えられていないから、「助ける」もできない。
「――さて」
軽く息を吐き出し、陛下がわたしの両手を解放する。
同時に、隣に立っていた弟に跪く。
「ベルティナ辺境伯。アナタの姉君を妻にいただきたいと思うが、どうかな?」
「姉上を?」
「ええ。私はずっと、彼女に恋していたのです。妻にするなら彼女しかいないと、そう思っておりました」
キョトンとしたままのセラン。跪いたことで同じ目線の高さになった陛下は、優しく声をかけるけど、セランは、わたしのスカートを掴んだまま――ううん。怯えて、スカートの影に隠れたそうにしてるふうに見える。
「姉上、遠くに行っちゃうの?」
セランの声が揺れた。セランにしてみれば、ラルバンド公爵も皇帝も、どっちも同じ、大事な姉を奪っていく存在。
「いいえ。もちろん、姉君には妻になっていただきますし、皇都にいらしていただきますが、それはセラン殿もいっしょですよ」
「ぼくも?」
「ええ。『お世話させていただく』、そう申したでしょう? あれは、皇都でお二人のお世話をさせていただく、そういう意味なのですよ」
ニッコリと、セランに笑いかける陛下。声色も、さっきと違ってものすごく優しい。
「アナタの姉君には、皇妃となっていただくが、アナタの姉であることに変わりはない。皇宮でも今までと同じで、いっしょに暮らしてもらって構わない」
「そう……なの?」
「ええ。そして、姉君だけじゃなく、俺のことも義兄として頼ってくれるとうれしい」
その言葉に、少しずつセランの手から力が抜けていく。スカートを引っ張られる力が消えていき、代わりに、セランが少し前に身を乗り出し始める。
わたしにベッタリで、怖がってたセランが、陛下に気を許し始めたのは良いことなのかもしれないけど。
「ちょっと待ってください! わたしの結婚って、決定事項なんですかっ!?」
叔父には言えなかった質問が飛び出した。