第7話「出張、カストールへ」
朝霧の中、私は村の外れ、馬車が待つ広場へと向かっていた。
手には、お昼用のサンドイッチが入ったバスケット。
服装は、寒さと虫刺され対策で、厚手の服を着ていた。季節はもう春だけど、まだ肌寒い日が続く。
まるでピクニックにでも行くような服装だけど、旅慣れたヴィーやクオンが「必要」と断言した品々は、全部、《相転移》で"方舟"に積み込んだ。
ヴィーは何か言いたそうに口をパクパクしてたけど、すぐに頭を切り替えて、《相転移》候補をリストアップしていた。
《相転移》の制限は一応あって、クオンに説明を受けたんだけど、理由は半分もわからなかった。
わかったことは、生物や食べ物は運べないということくらい。
ヴィーはわかっていたみたいだけど、説明はしてくれなかった。
"方舟"の広さは、あの水力発電所のパーツすら入っているくらいで、広大であることは間違いない。
だから、その気になれば、家だって持っていけそうだ。
いざというときに、《構築》で作ろうとすると、大きいものを作れば作るほど、時間がかかる。
だったら、最初から入れておけば、出し入れ自由という発想だ。
でも、土台を作る必要があったり、懸念点はいくらでもある。いずれ考えてもいいけど、今回はなしということになった。
私が馬車に着くと、既にヴィーやクオン、アレクシスさんたちが荷物のチェックをしていた。
馬車は3台で、アレクシスさんの乗る馬車、部下さんたちが乗る馬車、そして私たちが乗る馬車だ。
私たちの乗る馬車は、うちから拝借してきたものをちょっと《構築》で弄っておいた。揺れが少なくなってるといいな。
「ミア、おせーよ、ってピクニックにでも行く気かよ?」
ヴィーは馬車の荷物を革のベルトで固定させながら、呆れたような声を出した。
部下さんたちも同じような顔だったけど、アレクシスさんだけが、笑顔だった。
相変わらずイケメンオーラが眩しい。
「だって、《相転移》あるし、必要なものは積んだもん」
「食いもんとかどーすんだよ。昨日、積めないって話したろ」
「食べ物の積み込みは、ヴィー担当だったでしょ」
私は悪くない、で通すことにする。
ただ、ヴィーの気持ちもわかる。いつもの軽口調だけど、どこか落ち着いた目をしていた。
カストールへの道中が険しいのを知っているからか、それともお貴族様との旅に気を使うからか。
「……ミアおねえちゃん!」
背後から弾んだ声がして、振り返ると、サラちゃんが駆けてくるのが見えた。
麻のスカートを翻し、両手で小さな布包みを抱えている。
まだ朝の冷えが残る中、頬を赤くして笑ってる姿は、なんだか眩しい。
「サラちゃん、こんな朝早くにどうしたの?」
私がしゃがんで目線を合わせると、サラちゃんは少し照れたように布包みを差し出してきた。
「これ、ママが作ったの。ミアおねえちゃんたちに持ってってほしいんだって!」
布を開くと、中には小麦粉で焼いた素朴な焼き菓子がぎっしり。
「わぁ、ありがとう! ママに、絶対美味しく食べるって伝えてね」
私が笑うと、サラちゃんはぱっと顔を輝かせて、でもすぐに少し寂しそうな目をした。
「ミアおねえちゃん、カストールって遠いの? すぐ帰ってくる?」
その言葉に、胸がきゅっと締め付けられる。
カストールまでの距離は、馬車で二日とちょっと。遠くはないけど、帰りの予定はまだわからない。
アレクシスさんの「紹介したい」という言葉の裏に、何があるのか――それが読めない以上、簡単に「すぐ帰るよ」とは言えない。
「うん、ちょっと遠いけど、ちゃんと帰ってくるよ。サラちゃんの分まで、カストールの面白い話、聞いてくるから!」
私がそう言うと、サラちゃんは少し安心したように笑って、こくんと頷いた。
「約束だよ!」
「うん、約束!」
サラちゃんが手を振って走り去るのを見送りながら、私は立ち上がって深呼吸する。
朝の空気は冷たいけど、どこか清々しい。
まるで、新しい何かが始まる予感を運んできてるみたいだ。
「出発するぞー!」
私が馬車に乗り込むと、御者である部下さんが声を張り上げ、馬車がごとりと揺れて動き出す。
村人たちが、道端に立って見送ってくれた。
トリスお父さんとエレナスお母さんも、少し離れたところで静かに手を振っている。
レオも、やっぱりどこか寂しそうな顔で、でも力強く頷いてくれた。
私は小さく手を振り返しながら、胸の中でそっと呟いた。
(行ってきます)
* * *
街道を進む馬車の後ろで、私は1本ずつ電柱を建てていくクオンを見ながら、《構築》と《相転移》で支援をしていた。
道沿いに、一定間隔で整然と並ぶ電柱。
電柱の素材は在庫じゃ賄いきれないので、現地調達。
「……あれ、全部建てる気か?」
ヴィーがぼそっと呟く。
「はい、電力には余裕がありますので」
クオンはどこから出したのか、ブーンという低音を鳴らす青い光の刃を振るって木を切り倒しながら、こともなげに答えた。
その無表情が逆に頼もしく思えるから、不思議だ。
「クオン、無理しないでね……?」
「エネルギー効率は最適化しています。問題ありません」
うーん、クオンの"問題ありません"ほど、信用できるものもないけど、ちょっと怖くもある。
* * *
夕方、馬車を停めて野営することになった。
焚き火を囲んで、簡単な夕食。
乾パンと干し肉、根菜類のスープ。
旅の食事にしては、かなり豪華な方だ。
クオンが電柱を建てながら来ているおかげで、《相転移》を使って、変圧器と屋外用の三脚付の電気コンロ、圧力鍋を出せるので、いつでもまともな料理ができる。
アレクシスさんとその部下さんたちは、旅の食事の豪華さに色めきだっていた。
「明日にはカストールに着けるかな?」
私が火に薪をくべながら、ぽつりと呟く。
「順調に行けばな。まあ、道が荒れてなければ」
アレクシスさんとその部下たちも、少し離れた場所で談笑していた。
警戒は怠らないが、旅慣れた様子だ。
夜の帳が降り、森の奥からフクロウの鳴き声が聞こえる。
静かな夜だった。
少なくとも、このときまでは――。