第4話「水を汲むのって大変」
井戸の前には、朝から長い列ができていた。
ティルア村の一日は、だいたい水汲みから始まる。
私もクオンと並んで、自分の番を待っていた。
「今日はまだマシですね。一番前の子、寒さで震えて泣いてましたから」
隣でクオンがつぶやく。口調はいつも通り淡々としてるけど、言ってることは案外やさしい。
クオンはアンドロイドだけど、この村の空気に少しずつ馴染んできている……気がする。
「……先頭って大変だよね。水も冷たいし、寒いし」
私はそう返して、クオンが持ってる木桶を片手で支える。
中身は空っぽだけど、朝の冷え込みがじわじわと手にしみてくる。
並んでる人の顔ぶれはいつもとあんまり変わらない。
けど、そのとき――
前の方で、「あっ」という声がして、バシャッと水の音が響いた。
小さな子が、バランスを崩して木桶を倒してしまったらしい。
あたりが少しざわついて、すぐにその子がしくしくと泣き始めた。
「お水……こぼれた……」
「あ……」
私は動こうとして、でも止まった。自分の順番が来るまではまだ時間がかかる。
そう思っていたら、クオンが無言ですっと前へ出た。
「私が汲んできます。少々お待ちください」
そう言うと、倒れた木桶を拾い上げ、何事もなかったかのように井戸へ向かっていった。
クオンかっこよすぎ。咄嗟に動けなかった私は自分を少し恥じる。
しばらくして、木桶にいっぱいの水を入れて戻ってきたクオンを見て、周りの村人たちは小さくざわめいた。
「……早っ」
「え、あの子、力あるなあ」
クオンはアンドロイドだから、もちろん力もあるし、疲れもしない。
でも、それを堂々とやって見せると、やっぱり注目される。
クオンは無表情のまま、水を受け取った子どもにひとこと。
「こぼしても、また汲めばいいのです。泣かなくて大丈夫」
「……ありがとう、おねえちゃん……」
クオンがほんのちょっとだけ笑ったようにも見えたけど、それはたぶん私の気のせいだ。
私は少しだけため息をついた。
――クオンは、ほんと頼りになる。でも、根本的な問題はそこじゃないんだよね。
この列ができてること自体が、おかしいんだ。
水を確保するのに、朝からこれだけの人が並ばなきゃいけないなんて。
しかも、並んでる間は家のこともできないし、誰かがこぼせば、またやり直し。
どうにかしなきゃ。
この村の生活の中で、まず一番最初に。
……なんてことを、その日の夕方、まさか領都カストールから来たアレクシスさんの目の前で言うことになるとは、思ってもみなかったんだけど。
* * *
「――ということがあったんですよ。クオンが水を汲んだら、みんな目を丸くしてて」
夕方、村長の家の奥にある会議用の部屋。
今日は、領都カストールから領主の息子、アレクシスさんが来ていて、定期の打ち合わせが行われていた。
アレクシスさんは、私やヴィー、レオより6つか7つくらい年上で、金髪碧眼のイケメンが眩しいお貴族様だった。
領主エドモンドの息子で、若くから徴税と領地経営を担っている。
ティルア村は、領地の中では一番大きい村で、村々のまとめ役をしていることから、
アレクシスさんは、定期的にきて視察や困っていることなどを聞きに来ていた。
といっても、打ち合わせの顔ぶれは村の代表である私の家族、それから私とヴィーと、クオン。
わりとカジュアルな雰囲気だ。
アレクシスさんは相変わらずにこやかで、焼き菓子をひとくち食べては、目をきらきらさせていた。
「このサクッとした食感……小麦粉の質もいいけど、焼き加減が絶妙ですね。甘さもちょうどいい」
「そ、そうですか? ふふ、うちで焼いたやつなんですけど……」
イケメンにほめられると、なんだか照れくさい。
でも、褒められるのはやっぱり嬉しい。
ヴィーとレオがこっちを見て何か言いたそうだったけど、なんだろう?
まあ、それはともかく、私は本題に入りたかった。
水の話だ。
「その、実はですね、今日みたいに井戸に並ぶのが毎日で……しかも、村人だけじゃなくて、行商人さんや旅人さんも水を使うじゃないですか。正直、井戸だけじゃもう回らなくて」
話しながら、私は机の上に持ち込んでいた紙束を開く。そこには、ポンプの簡単な仕組み図を描いてあった。
「それで、こういう“ガチャポンプ”っていうのを設置できればと思ってて――」
そこまで言いかけたところで、クオンが口を開いた。
「それなら、川から水を引いたほうが効率的です」
「……えっ?」
私は思わず、口を開けたまま固まってしまう。
「川の水をそのままか?」
「それは……まずいな。腹を壊した人間、昔ずいぶん出たからな」
父である村長――トリスがしかめっ面になり、アレクシスさんも、焼き菓子を置いて真顔になる。
「過去の衛生状態から見て、川の水をそのまま引くのは避けるべきです。とはいえ、浄化の工程を踏めば話は別です」
クオンは落ち着いた声で言う。
「沈殿槽を用いて泥や砂を除去し、さらに濾過装置を通すことで――」
「ちょ、ちょっと待って!」
私は慌てて、手を上げた。
「クオンの言ってること、私が代わりに説明します。
川の水を引いて、まず深めの大きな水たまりにいったん貯めます。
しばらく置いておくと、ゴミとか泥が下に沈んでいくので、
その上の、きれいな部分だけの水を使います。
それを、砂利とか砂が詰まった筒に通して、さらにきれいにするんです……!」
ぽかんとした空気が部屋を包む。
「なるほど……わかりやすいですね」
アレクシスさんがうなずいた。焼き菓子をもうひとつ取る手は止まらない。
「でも煮沸も必要になりますね」
とクオン。
「だったら、いいアイディアがあるぜ」
椅子にもたれていたヴィーが口を開いた。
「ちょっと実演してみよう。ナノマシンでな」