第1話「天使の儀」
今からちょうど一年前のこと。
あれが「天使の儀」だったんだと、今でも少し不思議に思う。
十五歳になった村の子どもは、教会で儀式を受ける。
それは成人のしるしであり、信仰の確認であり、そして――たまに奇跡が起きると、そう言われている。
その日、私はヴィーと並んで教会の礼拝堂にいた。
ヴィーは私と同い年で、艶のある黒髪と、がっしりした体格の少年。
そして私と同じ、前世の記憶を持っている。
それだけじゃない。
誕生日も同じで、しかも同じ日に、それぞれの家に拾われたという共通点まである。
偶然にしては、できすぎてる。
記憶が突然よみがえったわけじゃない。
私たちは、物心ついた頃からずっと“前世の続き”として、この世界を生きていた。
私は前世、システムエンジニアで、ある日、取引先からの帰りに電車でうとうとして……目が覚めたら、この世界の赤ん坊になっていた。
中世風の村、魔法、そして剣。まるでファンタジーみたいだけど、それが私たちの現実になった。
私を拾ったのは、ティルア村の村長夫妻で、その日産まれたばかりのレオと“双子”として育てられた。
最初は言葉もわからなかったけど、家族は優しかった。
レオは弟なのか兄なのか、よくわからないけれど、気づけば私を当たり前のように家族として扱ってくれた。
ヴィーと出会ったのは、私たちがまだ幼かった頃。
彼は行商人だったダロスさんに育てられていて、ダロスさんの実家がティルアにあった関係で、しばらく村に滞在していたらしい。
ある日、私が前世の曲を口ずさんでいたときに、ヴィーがそれにハモってきて――それが、きっかけだった。
その瞬間、私は悟った。
あ、この子も同じなんだ、って。
私たちはすぐに仲良くなって、自然と秘密を共有しながら育っていった。
だけど、前世の記憶があっても、私たちはこの世界で普通に生きていた。
……あの日までは。
礼拝堂の中は薄暗くて、石の壁に沿って天使像がずらりと並んでいた。
どれも金属のような白い光沢を帯びていて、翼を広げ、手には巻物や剣を持っている。
その視線が、どうにも気になって仕方がなかった。
「ミア。緊張してる?」
「……ううん。でも、あの天使像、こっちを見てる気がするんだよね」
「それが天使像の仕事ってやつさ。見てない天使像なんてただの石像だろ?」
ヴィーが肩をすくめて笑う。私は、笑えなかった。
特に祭壇の奥、中央に立つ一体が、私の中の何かを、じっと見透かしてるように感じて――
やがて、儀式が始まった。
神父様が聖句を唱え、祝福の言葉を述べていく。
そして、子どもたちは二人ずつ、順に“記録石”に手をかざす。
黒曜石のような小さな石板。表面は滑らかで、ただの飾りにしか見えなかったけど――
先に受けたレオは、特に何も起こらなかった。
「怖くなかったよ」
私の隣に戻ってきて、そう言って微笑んだ。
レオは、いつだって私のことを気にかけてくれる。
そして、私とヴィーの番がきた。
私が指を添えた瞬間、――
ぴし、と石板が光った。
「っ……!」
驚いて手を離したけど、もう遅かった。
石板の表面に、淡く光る文字が浮かんでいる。複雑で、読めるはずもない未知の言葉。それが――なぜか、読めた。
『起動者、確認。方舟に登録開始』
その言葉が、脳に直接流れ込んできたように感じた。
「ミア……それって……」
ヴィーの声が震えていた。
見ると、彼の石板にも、同じような光と文字が浮かんでいる。
同じく読めてしまっている。――そういう目をしていた。
私たちは、何も言わず、顔を見合わせた。
神父様の手が止まり、他の子どもたちのざわめきが耳に残る。
もしかしたら、もうこの時点で“異常事態”だったのかもしれない。
でも、私たちにはわかっていた。
ここから、何かが始まる。
ただの村娘でも、商人の子でもなくなる未来が、すでに始まってしまったことを。
“方舟”の意味も、“登録”の重さも、その時の私はまだ知らなかったけれど――。