17-ハルキ君の物語 <嫌な予感> 1
僕は、山田ハルキとして7年前に現世に産まれおちた後も、眠っているときに強く願うと、狭間の世界を訪れることができる。狭間の世界にはわしと議論してくれるクーボ先生や他の賢人の方々がおられる。クーボ先生の専門分野は地球環境であるが、その他の分野にも明るい。環境学には広範な知識がいるということであろう。
僕の前世での専門は生物学/生化学であった。ただ、近年の生命科学、生物工学の目覚ましい進歩は、既に僕の持つ情報や知識を古臭いものにしている。現在、しばしば世話になる武鳥家の美知子さん、まあ僕らの曾孫で真知子さんの今世の母親なんだけど、は薬学部出身なのでその本棚には10年ほど前までの比較的新しい知識が記載された教科書が何冊か置いてある。でも、それを引っ張りだして読んでいると、暇にしている真知子、私の前世今世のつれあいが邪魔をする。わしの読んでいる書籍の上に仰向けで頭を乗せて
「バア!」
と驚かしてくる。ふっ、『かまってチャン』かな? 生まれ変わってもお茶目なバーさんのままだよなあ。僕はニヤッと笑って、ちょうど良い場所にある彼女の額にそっとキスを落とす。彼女も僕の頭に腕を廻し、額にキスをしてくれる。そのようにいちゃいちゃしていると、最後には本を美知子さんに取り上げられる。
「こんのリア充児童ども。本を枕にして遊ぶな!」
と叱られる…。
最近は自分の母親の目が届かない時に、山田家のパソコンでG○○gleスカラーを経由して文献を検索する業を身につけた。しかし、1次資料の文献の多くは有料閲覧なので、アクセスできない。情報収集が思うようにいかない。あ〜、歯がゆい。何で日本にはイギリスの大英図書館マンチェスターセンターのような全国レベルの電子図書館がないのだろう? もっとも、今の僕は大学にも公的な研究機関にも所属していないから、センターへのアクセス権は与えられないだろだろうなぁ。
また、ウッキーペディアも使ってみたが、あれは基本的なところで嘘?間違った情報が多数紛れ込んでいる。引用文献が付いているが、それを参照すると、本文の内容と全く逆のことが記載された論文だったりする。ウッキー!困ったもんだ。無料だから文句も言えないけどなあ。
現世で僕はまだ7才で周囲に学術的な内容を議論できる友人はもちろんおらん。幽体化して現世に留まっている僕の息子なら、良い議論相手になってくれるだろうが、残念ながら僕は彼と現世においては直接的なコンタクトをとれない。『狭間の世界』でなら議論することも可能だが、なかなかタイミングが合わない。転生バーさんの真知子さんは彼と直接的に会話できるので、真知子さんを介せばかろうじて息子と会話できなくもないが、残念ながらバーさん兼真知子さんは学術に興味が薄く、彼女を介しての息子との学術的議論は難しい。うん。無理だな。畢竟、議論相手を狭間の世界に求めることになってしまう。このような学びも思いも不足な状況は、罔く殆い。
さて、僕が最近、焦って勉強したがっている理由は、現世に漂う不穏な雰囲気だ。これから来るであろう混乱と紛争の時代に、僕と真知子さんが幸せに生きるための知的武装をしなければならない。『知識は力なり』はベーコンさんだったか。でも古い知識では大きな力にはならん。新しい知識を身につけなければならん。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「と、いうことで、クーボ先生。何か現世が不穏に感じるのですが。」
「なにをもって『と。いうことで』かは良くわからんが、確かに世間が不穏な方向に進んでいるように感じるのう。」
「なんなんでしょうかね?」
「何か社会が混沌としてきたように見えるのう。」
「混沌ですか、多様化ではなくて…」
「混沌じゃな、秩序が見えん。」
私も前世から100年以上この世の中を観察しているが、クーボ先生は250年もこの世の中の動きを観察している。
「同性婚なんて、この200年間、なかったことじゃ。」
「でも、中世には衆道がありましたよね。」
「…まあそれをいえばそうじゃな。 古代ギリシャの世からそのような『たしなみ』はあったようじゃな。でも、それを表に出して権利を主張することはなかったと思うが?」
確かにアレは「陰の文化」だったと文献で見た憶えがある。でも、どのくらい隠された『陰』のものだったかは、実際にその時代を生きていなかった僕にはわからない。
「それでもな、ハルキ君、いやミヤサワ翁(僕のことらしい)、アニメやCGのキャラと結婚しようとするのは、どう見ても異常じゃ。自分たちの想像の産物との結婚は異類婚姻譚にもほどがある。」
「異類婚姻譚そのものは、遠野物語などにも記載がありますが?」
「ミヤサワ翁は生物学の専門家じゃろ? こんな非生産的な生殖活動を認めるのかの?」
「いや、同性愛行動は人間以外の生物種でも散見されますが…」
細かなことにこだわりすぎて、議論は平行線だ。
「ゼイ、ゼイ。 バラだのユリだのカップリングだのの話しは置いておいて。 わしが疑問視・問題視しているのはこの多様化の傾向そのものじゃよ。 多様化の目的は『大きな環境変化に伴う選抜』においてその生物種の一部だけでも生き残る可能性を留保させるためではないかね。」
「そうかもしれませんね。」
「生命史を見ても、恐竜は多様化の後の6500万年前の隕石衝突に続く気候変動により大絶滅しておる。古くはカンブリア大爆発と呼ばれる多様化とその後の大絶滅が知られておるな。いずれも、地球の生命は多様化の後に選抜の試練を経ている。」
「クーボ先生、でもそれは因果律が逆転しているに思われますが? それでは生命種が選抜を予知して、それに対して多様化で備えたように聞こえます。」
「そこじゃよ。これまでの学説は『時間の矢』、つまり不可逆的な時間軸の上で、因果律を捉えていた。しかし、わしはこの狭間の世界に来てから、これを制御する高次の存在を仮定すべきではないかと思うようになってきた。…神じゃな。」
「う〜ん。それは…すぐには同意しかねます。」
「だが、この世界は偶然とするには我々に『都合が良すぎる』事象が多い。まるで『そんなこともあるかと思って』というような準備があって、生命はこれまで生き延びて来れた様に思える。翁はそう思わないかね。」
「…それは、薄々感じていました。この宇宙『空間』が3次元であることは、時間の矢が存在する、しかし、宇宙の熱的な死までの時を最大限にするものであり、そこに何者かの『意思』を感じています。それが時を越える存在であっても…いやどうなのかなあ?」
「異常と言えばヒト種の個体数じゃ。」
「ヒト種の個体数?」
「そうじゃ。 ヒト種の個体数はすでに100億人に届かんとしている。この数は異常とは思わんかの? サル種の中でこのような個体数を持つ種が他にあるかの?」
「そうですね、2番目に多いのはニホンザルの100万頭でしょうか。」
「サル種の中でヒト種のみがその1万倍もの個体数で繁栄している。その理由は何じゃと思う?」
「私は『理性』の獲得による縄張り争いの抑制、同族殺戮本能の抑制によると考えていますが?」
「おそらく、その考えは正しいと思うぞ。もっとも、そのサルの本能を抑制しきれずにあちこちで殺しあいをする『理性に乏しい』者もおるのじゃがな。 でも、じゃあ、なぜヒト種のみが理性を獲得したのかじゃなぁ。」
「…確かに。」
「わしはそこに何か意図的なもの、神の意思を感じるんじゃ。」
「….先生、神はどのような『形』をしているのでしょうねぇ? やはり我々に似たような、しかし、神々しい…?」
「わからん。この狭間の世界で,そのような神を見かけたことはない。 案外黒い石盤かもしれんのう。」
僕はその意見を聞いて、苦笑した。頭の中で「ツアラトゥストラさんはこう言った」のテーマが鳴り響く。
「そして、もう一つ気がかりなのがこの『狭間の世界』の広さじゃ。 この世界で、わしはヒト以外の生物種を見かけていない。」
「ときどき、うちの奥さん(理恵子さん)のように頭の上にライオンや虎を乗せている人は見かけますけどね。」
「それは比喩表現じゃろう。まぜっかえすなし。」
「つまりクーボ先生はここには多くの魂が将来的に収容される可能性があると?」
「人類に課される試練は存外に過酷なものになるかもしれんのう。トバ・カタストロフィー(火山の破局噴火)のようなヒト種のボトル・ネックになるやもしれん。」
その予言を聞いて、僕は背筋が寒くなった。
「先生は今後、この文化の多様化に続き、人類に何らかの試練が襲いかかるとお考えなのですか?」
「そうじゃの。もちろん全球凍結レベルの大選抜ではなく、人類の文明に対する摂動レベルの異変じゃな。トバ・カタストロフィとか大氷河期レベルの些細なものじゃ。」
「全然些細ではないと思いますが?」
「生物史レベルでは些細じゃ。」
僕には理解できない話しだけど、大きな異変への備えは必要かもしれない。これは現世を生きるブドリ君やおばあちゃんの真子さんに相談する必要がある。でも、それは僕の秘密、狭間の世界と現世を行き来できることを真知子ちゃん以外にも教えることになる。 さあ、どうしようか?




