16-双子と両親の物語 <エイムス・ショック> 5
「イソフラボンと似たような話しでエイムス・ショックというのがあるわよ。」
「美知子さん、それも詳しく教えてぇ?」
二人は10枚目のホットケーキをお皿に乗せてから、おしゃべりを続けた。
「エイムスさんが主張している話しだけど。ざっくり言うと、農薬を使わない虫食いのキャベツには天然農薬が含まれていることがある、というはなしなの。」
「キャベツ?」
「そう。キャベツ。アブラナ科の植物だったかな?」
「へ〜? 虫食いキャベツは『安全』だと思ってた。」
「虫食いキャベツは人工の農薬を使っていないという意味で安全よ。でも天然農薬を含むという意味で安全じゃないかもしれないということ。」
「じゃあ、どっちにしてもダメじゃない。」
「ダメじゃないわ。人工農薬を適切に使えば比較的安全ということなの。でもね、私たちには農家さんが農薬を適切に使ってるかどうかが判らないわ。じゃばじゃば農薬漬けにしていても、私たちには見分けられないわ。」
「難しいわね。」
「難しいのよ。 あ、そのホットケーキ、煙が出ている。ひっくり返して、ひっくり返して!」
「あ! 焦げちゃった。 ひっくり返すタイミングが難しいわね。」
「ホットケーキのお焦げはタンパク質の熱分解物のニトロソ化合物も入っているから、炭水化物の炭と違って発がん性があるかもよ?」
「じゃあこれは、私が食べるわね。」
「うん。子供達には食べさせたくないわね。」
山田さんは焦げたホットケーキが苦いと言って、ハチミツをたっぷりと掛けていた。でも、糖分のとり過ぎはもっと体に悪いと思うわ。
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「「ただいま!」」
「おかえり、コーちゃん、ヨーちゃん。あなたたち、今日も武鳥さんのとこへ行ってたの?」
「うん。おやつにホットケーキをいただいた。」「美味しかった。」
「あらまあ。いつもごちそうになって。今度何かお持たせしなくちゃね。」
「それよりも武鳥のお母さんが、「お暇があればお母さんもおいで下さい」って、言ってた。」「3人でお茶しましょ、って。」
「3人?」
「うん。真知子ちゃんのお母さんと、ハルキ君のお母さんと、お母さんもおいで下さいって。」「いっしょにおやつを作りましょ、って。」
「ハルキ君と真知子ちゃんって姉弟じゃないの?」
「違うよ。真知子ちゃんは武鳥さん、ハルキ君は山田さん。」「ハルキ君ママは武鳥さんとこの離れに住んでるんだって。」
「へえ〜。そうなんだ。仲が良いから、姉弟だと勘違いしていた。」
「あれは中が良いというよりも….。」「ラブラブだな。」
「…ラブラブって…。」
「赤ちゃんの頃から預かって、同じベビーベッドで寝かせてたんだって。」「赤ちゃんの頃から同衾してたんだって。」「「アハハハハ」」
「…そう。ハルキ君ママは真知子ちゃんママに出会えて幸いだったのね。」
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夜、寝る前の子供部屋で双子が小声でおしゃべりしていた。
「ねえ、コーちゃん。僕たちのお母さんってどんな人だった?」
「ヨーちゃん? 寝ぼけてるの? さっきまで居間でお話ししてたのに。」
「今のお母さんじゃなくて、前世のお母さんのこと。」
「….あの、鬼婆か…」
コーちゃんは天井を見ながらつぶやいた。
「鬼婆?」
「ヨーちゃんはまだ赤ちゃんだったから憶えてないかもしれないけど…
ひどい人だった。」
「ひどいって?」
「うん。突然怒りだすと、僕やおお姉ちゃんを殴ったり蹴ったりしてたんだ。」
「…...」
「…ごめん。もう思い出したくない。」
「そっかぁ。変なこと聞いてごめんね?」
「いいよ。気にしないで。」
「その鬼婆、どうなっちゃったんだろ。」
「知らない。知りたくもない!」
「…おやすみ。」
「…ああ、おやすみ。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『狭間の世界』で僕はクーボ先生に質問していた。
「先生は、僕の前世の母親のこと知っている?」
「あ〜…そんなこと知りたいのかな? 知っても不快になるだけじゃよ?」
「う〜ん。でも自分の親だった人だから、知りたい!」
「まあ、ヨーちゃんも小学生だし、多少ショッキングな話しも耐えられると思うが…あまり教えたくないのう。」
「それでも知りたい。 教えてください。お願いします。」
ヨーちゃんはクーボ先生に頭を下げてお願いした。クーボ先生は困った顔をしてあごひげを引っ張っていた。
「わしも詳しく観察していたわけではないが…断片的にしか語れないが…君の父親はある日突然家を出て、母親だった人は子供3人抱えてアパートに取り残された。収入もなく、苦しい生活に魂が削り取られていった。そして、魂が無くなってしまい、君ら3人を手にかけた…。それが全てじゃ。」
「その人はどうなったの?」
「君らを手にかけた後、自害した。」
「狭間の世界に来たの?」
「いや、魂を失ってしまっては、この世界には来れない。かといって現世に魂が留まることもない。…消えてしまったのじゃよ。永遠にな…。」
「そう。…よかった。 ならどこかで出会うことはないんだよね。安心した。」
僕は心のそこからホッとした。
「哀れなものじゃなあ。痛ましいのう。…魂とは…理性かもしれんのう。理性を無くし本能的な衝動に囚われた者はもはや人ではないのかもしれんのう。」
クーボ先生は考え込んでしまった。その目は涙で潤んでいた。その涙が何に対してのものかは、僕にはわからなかった。
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「クーボ先生。本当のところはどうなんですか?」
ミヤサワ君はクーボ先生に先の話題を質問した。
「それがのう。わしにもわからんのじゃよ。」
「わからないとは?」
「コーちゃん、ヨーちゃんの前世の母親は、この『狭間の世界』にいない。それは間違いない。しかし、君もあのアパートをしっかり捜したろう? あそこに残ってもいない。 そうすると『消滅した』としか言えないんじゃ。」
「…なるほど。でも、それ以外の可能性として、現世と『狭間の世界』以外の『第3の世界』へ行ってしまった、というのは無理の無い仮説ですよね。」
「そうじゃな。その可能性を否めない。 でもな、その可能性をヨーちゃんに言うのはさすがにはばかられたんじゃょ。ミヤサワ君は『第3の世界』とはどこだと思うかの?」
「ここは、ある意味極楽に近い場所ですから….」
「そうじゃ。… たとえ責め苦は無くてもそこが永遠に出られない世界だとしたら、…恐ろしいのう。 それならば、消えてしまう方が、そう思う方が、そう信じる方が心を安寧に保てると思うのじゃ。」
「もしかして、クーボ先生がここから上がらないのは…」
「ばれてしまったかのう。 そうじゃ。上がるのが怖いのじゃよ。本当に上がれるのか自信がないのじゃよ。 わしはな、自分の弟子を間違った仮説で無駄に殺してしまったかもしれない。まだ彼の死が無駄死に、犬死にではなかったという自信がない。だから、わしはここから上がる気にはなれないのじゃよ。」
「….」
「多くの科学者、学者は『組織的懐疑主義』という軛を自らに課しておる。それ故に悩み続けなければならない。そして、その軛を自らに課さない科学者は、もはや科学者ではなく「狂信者(本義のマッドサイエンティスト)」じゃ。真っ当な科学者ではない。」
「科学者とは…難儀な商売ですね。」
「…そうじゃな。」




