01-お地蔵さん(あらすじに代えて)<ジャガイモダンナ>
うちのジャガイモ・ダンナは生前、大学の先生だった。万年助教授だった。2007年に名刺の肩書きは准教授に変わった。でも、お給料は変わらない。な〜んだ、つまんない。
ダンナはしばしば学会に参加するため、国外国内に出張した。その度ごとに妙なお土産を買って来た。お菓子などの消えモノなら美味しくなくてもまだ許せる。いや、許せなくても勘弁してやろう。でも、ときどき妙な帽子を買ってくる。究極の『イヤゲもの』だ。勘弁してくれ。
ワイヨミングのグランド・ティートンでの国際学会ではテンガロンハットを買って来た。でかくて邪魔だ。
「オマエはおデブのカウボーイか! ローハイドを歌うベルーシか? 日本ではこの帽子をかぶる機会なんか無いだろう?」
といさめたら、研究室のゼミ旅行にうれしそうなドヤ顔でかぶって行った。無精髭にサングラスにテンガロンハットのおデブは完全無欠の不審者だ。学生が引きつった笑顔で引いていた。私も苦笑するしかない。『もうお出かけのときに横を歩いてやらないからな』、そう宣言したら、学生の前でシクシクと泣きまねを始めた。 自業自得だ。諦めろ。泣くな! 暑苦しい!
長崎の学会では中華風の半球形のキャップを買って来た。
「おまえはベビースターラーメンか!」
どうも幼稚園の息子にかぶせたかったようだが、断固拒否した。しかも、息子はかぶりたそうにしていた。親子かっ!…って親子だった。がっくし。親子で同じような趣味か? この悪趣味の連鎖をどのようにして断ち切ろうか?
ちょんまげカツラとか、馬の覆面のような明らかにウケ狙いの普段使いできないかぶり物は、幸いなことに守備範囲外のようだ。ダンナ曰く、『日常で実際に冠ることのできるギリギリの帽子』にこだわっているそうだ。しかし、私の基準では完全にアウトである。洋品屋の3階のすみにひっそりと置いてある山高帽を見つけた時は、
「へえ? こんなものも売ってるんだ!」
と、ダンナは物欲しげにこっちをちらちら見ていたが….超絶無視した。お小遣いでは買えない値段だったようだ。帰り道でうなだれてショボンとしているダンナは…少し可愛かった。嗜虐心がそそられる。
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そもそも最初の帽子は独身時代にスイスの学会で買って来たとんがり帽子だった。灰緑のフエルトでできた、羽根が二本ついているとんがり帽子だ。結婚直後の荷物整理で見つけたとき、思わず、
「おまえはデブったスナフキンか!」
と、つっこんだ。このとんがり帽子は、小学校の学芸会で使いたがった義理の姪に永久貸与した。旦那はしくしくと泣いていた。ザマヲミロ。
「あれは僕の『薔薇の蕾』なんだ。」
と言っていた。
「オマエは市民ケーンかっ!」
て突っ込んだら、
「おお、おわかりになってくださった。」
と機嫌を直し、泣きまねをやめてニコニコしていた。ダンナは突っ込み待ちをしていたようだ。アホらし。
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そんなファンキーなダンナも60歳を過ぎて、体が弱って来た。若い頃に無茶をしたつけが回って来たようだ。3人の子供達は成人しているけども、まだまだ目を離せない、と思うのは過保護だろうか? さっさと結婚しろ。管理者権限を配偶者に火急的速やかに譲渡したい。早く孫の顔を見せろ!
ダンナは体調不良で弱気になっていた。
「う〜。胸がちくちくする、心臓がモケモケする。….恋かしら。」
またバカなことを言っている。ダンナは頻脈発作を抱えている。年に4回病院に行っている。ストレス性のものだろうということで、特に薬は飲んでいない。
「バカなこと言っているうちは大丈夫。バカは長生きするそうよ? もう10年は大丈夫そうね。」
「ヤキモチ焼いてくれないの? がっかりだ。ねえリエちゃん。来世でも一緒になってくれる?」
「やだ。」
即答した。ダンナはしくしくと泣きまねをする。あ〜暑っ苦しい、うっとうしい。
「泣くな!」
と怒鳴りつけてみた。
「だって、だって。」
とすがりついてくる。科学者のくせに。あの世とか来世なんて信じていないくせに。少なくとも私は信じていない。
「あ〜、わかった。アンタが先に死んだら、そこの電子レンジを置いている棚で、ちいさくなって座っていることを許してやろう。私が逝くまでそこで待ってなさい。」
「あの世では手をつないで、一緒にいてくれる?」
「いいわよ。一緒にいてあげる。でもあの世とか来世とか、私は信じていないからね。だから約束してあげる。手をつないで横に座っていてあげる。」
こんな空手形でダンナの心の平安を得られるなら、安いものだ。
それを聞いて里帰り?していた娘がケラケラ笑う。
「あ〜あ、変な約束してる。お母さん、変な約束は致命傷になるわよ。ねえ、オヤジはエンディング・ノートなんか作っているの?」
「そんなものは作っていない。」
「じゃあ、今、作ろう。」
とB5の薄いノートを持ってくる。
「で、お墓はどうする?」
「いらん」
「葬式は?」
「最小で」
聞き取り調査が始まってしまった。
娘は父親に気安い。父娘の距離感ではない。まるで漫才の相方のようだ。体調不良で弱っている自分の父親に、『オトッつぁん、お粥ができたわよ』『いつも済まねえな』という、シャボン玉ホリデーのクレイジーキャッツとサ・ピ−ナッツのようなやり取りを平気でする。歪んだファザコンかっ! そんなかまい方をする暇があったら、さっさと結婚して孫を見せろ! それがダンナの魂の叫びだ!..と思う。
「そんなに父を葬りたいか…シクシク。」
ダンナがまた泣きまねをしている。娘がそれを見てケラケラ笑う。
シクシク、ケラケラ、やれやれ今日も我が家は平常運転だ。
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まさか、その後すぐに逝ってしまうとは。びっくりポンだ。
朝、早起きダンナが起きてこなかった。ふくらはぎではなく心臓がつったようだ。バカは長生きするという私の見込みは外れた。もう10年は生きていてほしいと思っていた。年金の掛け金が丸損だ。
娘の聞き取りのおかげで葬式はおそらく本人の希望通りにスムーズに終わった。終わったんだよねぇ?
私は義姪から取り返した帽子を棺に入れた。
「私が死んだ時に見つけやすいように、この帽子をかぶってなさい。こんな帽子をあの世でかぶっているのはあなたしかいないわよ。私はね….そうね、婚約した時に時に買ってくれたピンクのスカーフを肩にかけて逝くわ。あと20年か30年したらそっちへ逝くから、それまでその辺でおとなしく座って待ってなさい。」
私は人差し指をぴしりと立てて、棺のダンナにそう宣言した。私が逝くまでに勝手に成仏したら許さないんだから。
出棺のとき、見果てぬ夢のバックミュージックの流れる中、二人の息子は顔を歪ませて泣くのを我慢していた。娘は『またね』とひとこと言って、なんと微笑みを浮かべていた。ファザコン娘のくせに。泣いてやれ! 私はどんな顔をしていたのだろう? 思い出せない。 呆然としていて涙は出なかった。
私は中学生の頃、ダンナに救われた。その恩を返すことが、私の人生の大きなテーマだった。その後結婚して、助けて助けられて生きて来た。そこに恋はなかったが愛情はあった。最後は情が残った。私はダンナを救えたのだろうか? ダンナを幸せにできたのだろうか?
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数ヶ月後のある日、帰省した娘がつぶやいた。
「お父さん、あの帽子をかぶってその辺にいるのかな?」
「いるんじゃないのぉ? 見えないけど、電子レンジの扉をパタンと急にあけると、ときどき『へぶっ』とか『いてっ』とか言ってるわよ。」
私は口の片方の端をあげて、ニヤッと笑いながら悪い冗談のように娘に言った。
娘は引きつった笑顔で私とその後ろの電子レンジを見ている。
「えっ? ふ〜ん? そうなんだ…。 あっちに行かずに、こっちに留まっているんだ。じゃあお母さんは亡くなったあと、お父さんと一緒にいてあげるの?」
「わかんないわねえ。もう少ししたら田舎に引っ込むつもりだし。そのときお父さんが私を見失わなければ…ねえ。まあ約束しちゃったし…ねえ?」
たとえその時の勢いで交わした口約束でも、約束は守らなければならない。それに、ダンナのことは…確かにおデブで暑苦しくてうっとうしかったけど….そしてジャガイモだったけど、そんなに嫌いじゃなかったし。まあいっかぁ。
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母の3回忌の後、実家で久々に二人の弟と私がそろった。
黒ネクタイをゆるめて、ソファーの上であぐらをかくふたりの弟に私は問いかけた。
「…わりとすぐに母さんも逝っちゃったねえ。」
「まあ、なんだかんだいって仲良し夫婦だったからなあ。…夫婦漫才のようだったからなあ。」
上の弟のそのコメントに下の弟が茶々を入れる。
「どっちかというと、どつき漫才だったけどね。 …で、あにき、お地蔵様を作るはなしは進んでいるの?」
上の弟が答える。
「うん。もう石屋に発注しているよ。実家の前の坂に木かコンクリートでちいさな祠を作って、そこに2体の地蔵菩薩像、4等身の可愛いのを 置く予定だよ。でも、魂入れはどうすっかなあ。菩提寺は遠いし、お寺さんの縄張りもあるだろうからなあ。」
それを受けて、私が答えた。
「まあ、ホンマモンのお地蔵様でなくてもいいんじゃない? うちらの自己満足だし。緑の帽子とピンクのスカーフは私の方で用意するね。でも….なんか地蔵尊というよりも道祖神っぽくなりそうだけどね。」
次回よりダンナミヤサワ君のお話がはじまります。
次回は1月になります。週2回程度の更新を目指します。