12-ダイクボ先生の物語 <ミヤサワ君の業績>
「キミがブドリ君かね。ミヤサワ先生のお孫さんだそうだね? うん。確かに写真で見た若い頃のミヤサワ先生と同じでジャガイモ顔だなあ。ワッハッハッハッハ。」
祖父は自分の著作の一貫性のために、戸籍状の水田ではなく、論文著者としてはミヤサワを名乗っていた。まあ、ペンネームだな。
研究者としての就職先を探していた時に、E-EDOのダイクボ先生の名前が出てきた。大学院博士後期課程1年の時に教授の紹介で顔を合わせたダイクボ先生は、思った以上に失礼な人だった。しかも事前に聞いた通りで騒がしい。
事前に教授からダイクボ先生の人物評を、
「彼の物言いは失礼だし騒がしい男だから、覚悟しておくように。学会のペテン師というあだ名を持つ男だよ。でも、その視点は斬新で、学ぶことも多い。奴は切れるヒト、いや、切れちゃったヒトかもな。」
と、聞かされた。どんなに失礼な人でも彼は僕の就職先の上司になるかもしれない。そして、研究所のボスの一人だ。でも、空気の読めないマッドサイエンティストの下について、僕はまともな研究ができるんだろうか?
「わしも大概なマッドサイエンティストだが、キミのおじいさんも相当にマッドな人だったようだな。ワッハッハッハッハ。」
う〜ん。おじいちゃんをディスってきた。今度、言いつけてやるぞ? 陪席している僕の指導教授が苦笑している。アイコンタクトで『彼には悪気はないんだよ』と言ってくる。アイコンタクトだけでこれだけ語れるなんて、うちの教授も大概器用だな。でも、少し腹が立つ。だから、少し強い口調で咎めるように聞いてみる。
「うちの祖父のどこがマッドだったんですか?」
「ア〜、誤解しないでほしいな。わしはキミのおじいさんをリスペクトしている。マッドサイエンティストはわしの最高の褒め言葉だよ。誰でもできる真っ当な科学ではなく、自分にしかできないマッドな科学、あえて常識に挑戦する気概を持った科学者の尊称のようなものだ。ワッハッハッハッハ。 わしが自称マッドサイエンティストなのも、自画自賛だな。ワッハッハッハッハ。」
毒気を抜かれた。
「はあ、そんなもんですか。」
「キミのおじいさんは、化学者だったが、自らアル・ケミスト、錬金術師と名乗られておった。『柔らかい結晶』によるエネルギーのリサイクルを研究されておった。」
「エネルギーのリサイクル?」
「そうじゃ。このペットボトルはリサイクルできる。もちろん質量保存則に従ってじゃ。しかしエネルギー保存則があるのに、エネルギーはリサイクルできない。なぜじゃ?」
「熱力学第2法則ですか?」
「そうじゃ、エントロピー増大則じゃ。孤立系のエントロピーは必ず増大して元に戻らない、という法則じゃな。 エディントンの『時間の矢』じゃ。」
「私の祖父はそれに挑戦していたんですか?」
「その通りじゃ。彼はこの熱力学第2法則そのものの根源を探求しておった。論文の形にはなっていないが、彼の著作などをあさると、イロイロと面白い。」
「具体的に言うと?」
「彼はこの宇宙空間が三次元以上であるから、エントロピーは増大すると考えていたようじゃ。」
「…?」
「酔歩は知っておろう。」
「マルコフ過程ですね。」
「そうじゃ。1次元酔歩の再帰性も知っておるな? 高校の数Ⅲで習う正規分布の『形』の形成じゃな。プロセスがどれほど進んで母集団がどれだけ増えても、1次元空間の確率分布曲線は正規分布曲線としてその形が崩れることはない。これは単粒子の1次元プロセスにおいてエントロピーは増大しないことを示す。言い換えれば1次元空間では熱力学第二法則は成立しないと考えられる。これは2次元の酔歩でも同じじゃ。しかし、3次元の酔歩は再帰性をもたない。ブラウン運動で粒子は拡散する。」
「なるほど。先生はこの我々の宇宙が3次元だからエントロピー増大則が成立する、とおっしゃりたいのですね。」
「そうじゃ、でもそれはわしではなくキミのおじいさんの立てた仮説じゃ。そして彼はそのような仮想的な1次元空間を実際に構築したんじゃ。」
今度、お地蔵様のところのおじいちゃんに、詳しく聞いてみよう。
「でも、この宇宙空間は3次元以上ですよね。時間まで入れたら4次元ですよね。」
「うん、その通り。キミの祖父はトンネル細孔を持つ柔らかい結晶を作ったんじゃ。そのトンネルの中で分子が回転できないほどキツキツのトンネルを柔らかい結晶内に作り、そこにラチェットを配した。」
「ラチェット?」
「猫じゃらしの髭のような構造じゃな。そして、その結晶は穴だらけだからウニウニと熱振動で動く。そうすると、どうなると思う?」
「中の分子は一方方向に動く、でしょうか? それが何か?」
「単一熱源により駆動するブラウニアンポンプじゃ。第二種永久機関、『マクスウェルの悪魔』じゃ。かれは悪魔を召喚したんじゃ。」
「それにどんな意味があるんですか?」
「実用化はまだまだじゃが、このデバイスは絶対零度(0K)でない限り、その温度における熱振動をポテンシャルエネルギーに変換できる。もし実用化できれば温暖化した地球を冷やしつつ無限のエネルギーを手に入れることができる。ワッハッハッハッハ。」
うん。僕のおじいちゃんは間違いなくマッドサイエンティストだった。




