10-カー太ンの物語 <カー太ンとの出会い>
僕には幽霊が見える。あれは死者の魂だろうか? この世の者ではない、緑色あるいは黒の半透明に透けた存在に見える。家の裏の坂のお地蔵さんの祠の前には透明に輝く二人の幽霊?がいる。彼らはいつもニコニコしており、邪悪な者、僕に害を及ぼすような怖しい者には見えなかった。何よりお地蔵さんの祠の前だ。きっと善なるものだろう。彼らが僕の祖父母であることはごく最近、そのお二人とお話しできるようになり、知った。祖父母は現世で迷子になっている魂を『狭間の世界』、つまりあの世に送り出す役目を負っていた。それって、お地蔵様、地蔵尊のお仕事じゃないのかなあ? だからお地蔵様の祠の前に陣取っているのかなあ。
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そのカラスの幽霊を見たのは2年前だった。半透明で緑色に染まり、何かを一生懸命探していた。 目が合った。そのとき僕は理解した。こいつの探しているのは僕だ。そのカラスの幽霊は迷わず僕の足下まで跳び、僕のズボンの裾を咥えて引っ張った。どうやら僕をどこかに連れて行きたいらしい。そのカラスの幽霊に引かれて、僕は畑の向こうの雑木林へと歩んだ。
その雑木林の入り口付近の地面に1羽の小さなカラスが落ちていた。カラスの幽霊はその子カラスを見て、懇願するように僕を見た。
「この子カラスを助けろってか?」
カラスの幽霊はコクコクと頷く。
「助けろって言われても、僕はカラスを飼ったことが無いょ。どう育てればいいのさ?」
カラスの幽霊は両羽を広げて突っ伏し、頭を下げ続ける。土下座のようだ。
「上手く助けられなくても僕のことを恨まないでね。」
カラスの幽霊はもう一度、深く頭を下げて僕の肩に飛び乗った。その緑色は少しだけ薄くなっていた。
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家に帰り、小さな段ボール箱に古タオルを敷き詰めて、そこに子カラスをおいた。親カラスの幽霊はその段ボール箱のふちに止まり、ヒナを守っているようだった。 さて、何を食べさせようか?
「カラスは生ゴミをあさるから、生ゴミを食べさせれば良いのかなあ?」
…カラスのお母さんの幽霊に睨まれた。仕方なく、僕のお母さんに相談することにした。
「おかあさん、子カラスが落ちているのを拾った。」
「落ちていたとこへ返してらっしゃい。」
わりと容赦ない。
「でも、『助けてやってくれ』って、親カラスの幽霊に頼まれちゃった。」
普通の母親ならここで「キャー」と叫ぶとこだろうが、母はこの手の話しに耐性がある。昔、僕がカエルやヘビを持ち帰って、母を鍛えた成果であろう。
「その親カラスの幽霊と約束しちゃったの?」
「…うん。」
「約束したなら仕方が無いわね。はい、5千円。ドラッグストアーで離乳食の瓶詰め、そうねお肉系のものを買ってらっしゃい。後、ペットショップで小鳥のヒナを飼うのに必要な道具を買ってらっしゃい。店員さんに相談するのよ。ケージは要らないわ。おつりは返すのよ。余分なものやアイスを買っちゃダメよ。 カラスを触った後は、必ず手を石けんで洗うのよ。」
僕は買い物に駆け出した。
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子カラスは小さな木べらで差し出す離乳食を美味しそうに食べた。その食事風景を親カラスの幽霊と僕のお母さんが見守っている。カラスの表情は僕には良くわからない。でもほっとした安堵感が伝わってくる。子カラスを『カー太ン』と名付けた。
「子カラスっていうからもっと小さい子かと思ったわ。結構大きく育っているわね。あんまりかわいくないわね。」
母の「かわいくないわね」のところで、親カラスの幽霊がお母さんを睨んだ。でも、何か不穏なものを感じたのだろうか、母と目を会わせずに、下をむいた。あれは服従のポーズだな。
「まあ仕方が無いわ。室内に置いておくなら、このプラスチックの衣装ケースにその巣を入れておいてね。ダニが這い出ると嫌だから。あまり触っちゃダメよ。それにかまいすぎると死んじゃうわよ。 後でダニ取り剤を買ってくるわ。」
母はカー太ンの室内飼いに結構協力的だ。でも、前にカエルやヘビを飼うことは、どうしても許してくれなかったのにね。
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数ヶ月ほどして、カー太ンの巣は軒下に据えられた棚の上に移された。カー太ンは既にだいぶ大きくなり、巣の中でバサバサと羽ばたいている。
父はカー太ンのことをカー太と呼ぶ。カー太ンと呼ぶと、なんか頭がピンポンパンになって幼児退行してしまいそうだから嫌だという。なんだそれ?
一方、カー太ンは僕の言うことがわかるようになって来た。そのおかげで躾もスムーズだ。糞は必ずティッシュの空箱で作ったトイレの中でする。外に漏らすことは無い。ウッドデッキの棚の下に引いていたペットシートは無駄になった。お母さんに言わせれば、
「立ちションションで飛沫をトイレの床にまき散らすお父さんやキミよりも優秀よね。」
だそうだ。
「でも、便座に座っておしっこをすると、残尿感が嫌なんだよねえ。」
と僕が言うと、横で父がウンウンと頷いている。
最近のカー太ンのお気に入りは、僕の肩の上だ。僕が庭に出てくると、棚の上の巣からポスンと飛び乗ってくる。そして、僕が庭のウッドデッキのベンチに座ると、肩から庭に降りて、地面をほじくる。 しばらく土遊びをしてから、デッキのベンチの上、僕の横でひなたぼっこする。二人?ひとりと1羽?でボーッとする。 そんな日々が続いた。
お父さんが、巣で羽ばたくカー太ンを見て、
「そろそろ巣立ちかな?」
という。
「え〜。ずっといっしょにいたい。」
と僕が言うと、
「でもね、何がカー太の幸せなのか考えてあげなさい。自然に返すベキじゃないかな?」
カー太ンの巣立ちはある日突然にやって来た。 いつものように庭へ降り立ったカー太ンは、僕の方を向くとこくんと頭を下げ、大きく羽ばたいたかと思うと空へと飛んでいった。しばらく上空を旋回し、『カー』と一声なくと、畑の向こうの林へと飛んでいってしまった。
「さよならカー太ン….」
父に諭されて、別れを覚悟していた僕は、泣かなかった。…泣くもんか!
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その別れから1週間後、そろそろカー太ンの巣を片付けようとして軒先の棚を見たら、あらまあ! そこにある巣の中でカー太ンともう1羽のカラスが寄り添って鎮座していた。
「はぁ〜あ?」
カー太ンはどうやらお嫁さんを探しに行ってたようだ。そして、軒先の自分の巣へ彼女を招いたようだ。その相方も僕の方を向いて、一声
『クーァ』
と鳴いて頭を下げた。
僕は微笑み、彼女に頭を下げて挨拶した。そして、
「僕の涙を返せ、」
とカー太ンを睨んだ。カー太ンはそっぽを向いて、『クークー』と鳴いて僕と目を合わせなかった。




