07-ミヤサワクンの物語 <ミヤサワ君のコピー>
「主任! 水田主任!」
私を呼び止めるのは去年からの私の出向先であるE-EDO(エネルギー・新技術研究機構)の武鳥研究員。私にしばしば絡んでくる、ときどきかわいい部下?普段はかわいくない同僚?だ。
「水田主任! 後15分で今日3回目のシステム起動です。コントロール室へ行きましょう。」
「また論理矛盾でシステム・フリーズになるんだろう? 時間の無駄は好きじゃない。」
「でも、あなたがこの人工人格システム構築プロジェクトの現場の責任者なんですから、自分の子供の誕生には立ち会うべきです。」
う〜ん。子供じゃなくてお父さんなんだけどなあ。
「今回の変更点は?」
「人格基本データベースの導入優先順位の変更です。」
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理恵子ママの3回忌も終わり、私は半導体設計会社を退職し、国の研究所で新しい研究テーマに取りかかっていた。人工知能による『人格の形成または再現』である。つまり、人工的な『人格』の構築である。人工知能を自立的にするために必要な『人格』の構築、ある意味『人工魂』の構築である。この研究は倫理的に許されるものかどうかは後の議論を待たねばならない。でもまあ、まずは作ってから考えよう。難しいことは後回しだ。
人の意識の中心は脳である。脳のはずである。でもなぁ、狭間の世界を知っている身としては、そう断言できない。『魂』は存在するのだろう。それは、脳と言うコンピューター・ハードウエアーの上で動くソフトウエアーの評なものだろう。実体はないが、確かに存在するモノだ。しかし、ソフトウエアーもハードディスクのようなメディアがなければ保存できない。狭間の世界で、魂というソフトはどのようなメディア上に存在し、どのようなハードウエアー上で動いていたのだろうか? う〜ん、謎だ。
人工知能は電子計算機の上に脳機能を構築するものである。ただ、そのデバイスはエレクトロニクスだ。電子を使うエレクトロニクスではその電子の軽さ(軽い粒子の波としての性質と言うべきか)ゆえに一つの素子上の電位は均質化する。一方、人の脳の仕組みはイオニクスによる電位形成である。イオニクスは同じデバイス上で局所的に電位を形成できる。これが一つの脳細胞が1000個ものシナプスを持ち、それぞれ別に機能できる原理である。単一素子多重並列情報処理機能を可能にしている。普通のエレクトロニクスではこのような単一素子上による並列作業はできない。それこそ量子コンピューターの出番である。
イオニクスの計算速度はデバイス内でのイオンの移動速度に制限される。極めて遅い。この遅さによるタイムラグが単一素子多重並列情報処理機能の鍵である。一方でエレクトロニクスによる電位の伝播は電子の移動速度ではなく電気の伝播速度になる。光の速度なみに速い。これにより高速計算を可能にする。
電子計算機で脳の機能をシミュレーションすることは簡単ではない。脳のイオニクスによる『難しいand/or絡み合った』計算を電子計算機のエレクトロニクスによる『単純な繰り返しのめんどくさい』計算に置き換えなければならない。ずいぶん乱暴な例えだが、これは小学校で習う『ツルカメ算』を大学の線形代数で習う『行列と逆行列を使った計算』に置き換えるようなものだ。人間の脳は『難しい』ことには耐えられる。しかし、その一方で『めんどくさいこと』には耐えられないし、ケアレスミスに起因する計算ミスを起こしやすい。一方で電子計算機はケアレスミスをしないため『めんどくさいこと』は得意である。その一方で『難しい』ことは苦手だ。要するに人間向けの『難しいこと』を電子計算機向けの『めんどくさいこと』に置き換えなければならない。アーキテクチャー思想の根本的な変更を必須とする。
そして、人格の形成での『記憶』の重要性は言うまでもない。記憶は一次情報だけでなく、その情報に接した際の脳の情報処理の結果、つまり感情などの二次情報などと一緒に格納されたものである。だから、人により同じイベントでも、いや、同じ人でもTPOが違えばその記憶は異なったものになる。人が一生に接する一次情報量は、画像情報を覗けば、高々数〜数十テラバイトである。一方、その記憶はそれに数百倍、数千倍するものになる。TPOによって二次情報の内容は大きく変化する。そのようなビッグデータをどのように形成し構築するかは大きな解決すべき課題である。
自動運転では同じイベントでの同じアウトプットを行う情報処理を求めた。もちろん、バグ情報や動作の不具合の情報は共有され、日々アップデートされるシステムであることも求められる。そのため、Webなどにより一カ所に集めて共有することができる。この場合、情報処理速度もだけど、通信速度も技術的な鍵になる。そのため、グローバルな巨大人工知能システムに、それぞれの車のローカルな人工知能がアクセスするタイプのシステムの構築が必要だ。
一方で人工人格は、個別であることが重要なため、それ自身が複雑(怪奇)なシステムになる。そして、同じ一次情報でもその導入順序やTPOにより、異なる格納情報を形成しなければならない。子供の頃に読んだ本の印象が、大人になってから読んだ時には大きく異なるようなものだ。『インシデントごとにアウトプットの変化しない』人工知能から、『アウトプットの変化する』人工知能への変更は、そのインプットにこれまでの経験を加味してやらねばならない。畢竟、そのシステムは時間軸を含めた多次元化とそれに伴う膨大な情報の瞬時処理を必要とする。大きな計算資源を必要とする。
幸いに高次のフィードバックを必要とする格納情報のビッグデータ化のためのプログラムは、生成AIの助けにより比較的短期間に作り上げることができた。また、情報処理エンジンのGPU設計にも成功した…んだよね?。単純思考の人を『単細胞』と呼んでいたらしいが、このAIエンジンは『単素子』ではなくとてつもなく大きなフレームになった。
今日までに数千回、このシステムの起動を試みている。しかしまだ上手く起動できていない。どこかで論理矛盾が生じ同期できないシステムがフリーズする。当たり前かもしれない。一次情報を入力しても、人の高次の記憶を構築することは簡単ではない。
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「主任。ところでこのシステムの名称は、なぜ『ミヤサワクン』なのですか? それ、いったい誰ですか?」
「う〜ん。それは良いところに気がついたね。ミヤサワは私の父の旧姓だよ。私のお父さんの記憶形成の一次情報が多く残っているので、それを利用して人格を再生することにしたんだ。それに、出来上がった『ミヤサワクン』の人格を私自身が娘として検証できるからね。」
私はインプットする一次情報を父(ミヤサワ君)のものとした。父(ミヤサワ君)をモデルとしたこの人格AIの出来は、娘(真子)なら検証できるし評価できる。さらに、幸いなことに、父もおばあちゃんも『捨てられない人』であったため、父の実家、我が家には父の読んだ本や雑誌やマンガや薄い本、テストやドリル、読書感想文、夏休みの自由研究に至までナニモカモが残されていた。父はご丁寧にも理恵子ママに捨てさせられたマンガや書籍を数テラバイトの電子情報化していた。そのおかげで入力情報の取得が容易になった。さらに古いパソコンのフォルダーからミヤサワ君の人格形成に関わったと思われる暗号化されているあやしいデータやこっそりと書いた詩などの雑文を拾い上げることにも成功した。狭間の世界にいるオリジナルのミヤサワ君がこのことを知ったら、恥ずかしさに頭を抱えることであろう。その横で理恵子ママは、この娘の狼藉蛮行に「あらあら、まぁ」とあきれかえっているであろう。狭間の世界で真っ赤になって顔を両手で覆い、リエママによしよしされるミヤサワ君が目に浮かぶようだ。
あの狭間の世界でのこと、そして狭間の世界については、私だけの、真理子だけの秘密だ。ミヤサワクンにも教えない。でも、それでミヤサワクンはミヤサワ君になれるのだろうか?




