06-真子ちゃんの物語 <計画>
計画書には『天才美少女育成計画』とタイトルが記されていた。文字の拙さとタイトルの痛さのわりに、計画はしっかりしたものであった。
「6才までに高卒レベルの基礎学力を付ける。12才までに大学院修士レベルの専門能力を修得する。18才までに論文を何報か書いて、その歳に大学へ進学。大学で師匠を見つけて修行し、その後は人工知能を扱う会社に就職か…。具体的な能力目標は?」
僕も学生の進路指導モードになる。
「高卒レベルの基礎力として、数学や理科、それに社会科は必要ね。国語は理系の論理文を書けるレベル? そして何より英語を身に着けるわ。」
「どうやって? 小学校入学までの3年間で高卒レベルに達するのはかなり無理がないか?」
「高校1年レベルの知識はあるから、高校3年間分を3年間で学習するのは楽勝ではないけど、無理ではないわ。でも、問題は英語力ね。論文を書いたり海外の企業に就職できる英語力を身につけるのは結構大変だと思うわ。ねえお父さん、シカゴ・マニュアルにケンブリッジ理系スタイルガイドとレトリックの教科書、それとパラフラフライティングの教科書を手に入れてくれない? オ・ネ・ガ。イ♡」
真子?は媚びるような上目遣いでおねだりをしてくる。ふ〜っ。この手の本の代金を家計費からは出してもらえない。僕のお小遣いから買わなければならない。洋書は高いんだぞ。頭が痛い。
「ふむ。高校レベルの学力までは大丈夫そうだね。英語力の具体的な目標は?」
「TOEIC860点かな?」
「英検ではなく?」
「英検は外資系への就職の役には立たないでしょう?」
「留学するつもりならTOEFLじゃないの?」
「海外留学するつもりはないわ。お父さんの稼ぎでは無理でしょ。就職ならやはりTOEICだわ。」
よく調べている…。うん。僕の収入で海外の大学への留学は無理だ。というか、大学教員の世界では、昇進しても年収一千万はなかなか難しい。それに、真子以外にもまだ子供が欲しいし…。そんなことを思っていると、真子が僕の思案している顔を見てニマニマしている。こいつ、真理子モードで僕の考えていることを読もうとしているな。
僕はコホンと咳払いをして、話しを続けた。
「ここまでどうやって調べたんだ?」
「昼間にお父さんのパソコンでWebを検索したわ…。」
ぎょっとする。
「おいおい、ブラウザーの履歴は見ていないよね。」
「さぁ〜ねぇ〜♡」
油断も隙も無い。これからはブラウザのシークレットモードを使わなければ。
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
「じゃあ、大学や大学院はどうするの? 僕とは専門分野が違うから、高等教育以降の数理工学や情報工学、制御工学についてはアドバイスできないよ。」
「そうね、まずは国内の…学費の安い国立大学の工学部を目指すわ。その後の詳細は入学した大学とそこで見つけた師匠によるわね。」
「その前に、義務教育はどうする?」
「もちろん学校には行くわ。行かないとお父さんが社会的に非難されちゃう。義務教育は親が子供に教育を受けさせる義務であって、子供の義務ではないわ。」
真子はニヤッと悪い顔で笑う。
日本の大学進学において16年?33年?のアドバンテージはとてつもなく大きい、チートだと僕は理解した。しかも3才で就職について明確な目標を持っているのなら、今から15年で世界の最前線に躍り出ることも可能だろう。しかし、この計画には隙のない分、余裕がない。
「う〜ん。お父さんはこの計画には少し反対だな。余裕がない。若いうちに体力作り、体作りをしておかないと長生きできないぞ。友達作りも大事だ。それに若い貴重な時間に部活などで友達とわちゃわちゃしてすごすのも、大事なことじゃないかな?」
何か気に障ることを言ってしまったのだろうか? 横に座る娘の両手がぎゅっと握りしめられている。泣くことをこらえた真っ赤な顔を僕の方に向けて唇を噛んでいる。泣きそうな目で僕を睨みつけている。そして、しばらくしてやや下を向き、吐き出すように言った。
「私も失った青春を取り返したいわ。でも、私にはそれよりも大事なこと、やらなければならないことがあるの。そのためには時間が足りないの。何かを成し遂げるためには人生は短かすぎるの。何かを成し遂げるためにはたくさんの楽しみを諦めないといけないの。」
「大事なこと? 何をやりたいの? 何を成し遂げたいの?」
真子は横に座る僕の顔を再度見上げたあと、うつむいてからボソッと言った。
「…交通事故の撲滅…」
僕は真子の思いを理解した。あの真理子の死亡事故は水田家の人々の心に、大きな傷を残した。あの事故が理恵子を引きこもらせてしまった。それを真子に転生した真理子はひどく憎んでいるのだ。事故を起こしたひき逃げ犯ではなく、むしろ交通事故そのものを憎み、交通事故を起こす自動車技術の不完全さを憎んでいるのだ。そして、その不完全さを撲滅する闘いに挑もうとしている。
転生ラノベの交通事故で死んで生まれ変わった主人公は、ノンビリ人生を生きようと願うけど、真子になった真理子は自分を殺した理不尽との闘いの場に身を置こうとしている。強い子だ。でもまだ3才の僕の娘だ。僕には娘にその無謀とも思われる闘いを、やめろとも挑めとも言えない。僕には彼女の人生をサポートすることしかできない。
ソファーで隣に座っている真子は、思いの丈を吐き出し、唇を震わし、目に涙をためて真っ赤な顔でこっちを見ている。
「おいで…」
僕は両手を広げて真子をさそった。真子は僕によじ上り胸にしがみついた。僕は真子を抱きしめた。真子は堤を切ったように僕の胸に顔を埋めて泣き出した。
「よしよし。」
僕は泣きじゃくる娘の後頭部と背中をやさしくさすった。
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お風呂からでてきた理恵子カーサンが、泣きながら僕にしがみつく真子を見て口をへの字に曲げた。
「あらあら、あ〜もう。お父さんたら、真子を泣かしちゃって。ダメじゃないの。」
叱られた。
「おいで真子。あ〜、よしよし。」
カーサンはソファーに座ってから真子を抱きしめた。真子はカーサンにしがみつき、さらに泣きじゃくった。泣きながらしがみついているのは真子なのか真理子なのか、しがみつかれているのはカーサンなのか、理恵子なのか、僕はそんなことをぼーっと考えていた。
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
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30年後、当初の予定通り、レベル5の安全な自動運転自動車を実用化するための鍵となる人工知能(AI)技術の開発に携わった娘に僕は聞いた。
「どこまで行くの?」
娘はニヤッと口角をあげて答えた。
「行けるとこまで。」




