04-理恵子ちゃんの物語 <保護者以上恋人未満>
高校生の僕はしばしば、狭間の世界を訪れた。そのたびに、クーボ先生と環境問題や哲学的な議論をし、教えを受けた。そして、いつのまにか僕は立派な(?)受験生になっていた。
受験生になっても、僕は狭間の世界で真理子さんと他愛も無い会話を楽しんだ。クーボ先生の教えの影響で僕の考え方はねじ曲げられてしまい、皆とは異なるものになっていた。僕は『標準的な世間の常識』をすぐに疑ってしまう。それが『陰謀論者』っぽいと言われた。常識を問われる『受験』への影響を懸念したクラスメートたちから、僕は浮いた存在になった。そのため、現世での付き合いは表面的なものになっていった。
その孤独を埋めるため、僕は真理子さんと狭間の世界へ精神的に依存するようになっていった。僕と彼女の関係は性別を意識しない友情のような、共犯者のような、残念ながらプラトニックな関係であった。まあ、肉体を失った彼女とはどうしてもプラトニックになる。二人の間に男女間の恋愛感情を育む余地はなかった。お互いに信頼できる善き(?)理解者となった。彼女と狭間の世界が無かったら、僕の精神は現世の孤独に蝕まれていたかもしれない。もっとも、常識を疑うようになったのは、この狭間の世界とクーボ先生のおかげであり、この世界に踏み込まなければ、僕が世間の常識を疑うことも無かったろう。周りと同じ価値観を持ち、何も考えずに常識的な標準的な生き方をした、そんな生き方しかできなかったろう。
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現世での理恵子ちゃんとの交際は順調だ。『お兄ちゃん』と、よく懐いてくれる。可愛い女の子に懐かれて、嬉しくないオトコノコはいない。でも真理子さんの監視の目があるから調子には乗れない、乗らない、踊らない。高校生として節度ある交際だ。大きなお友達じゃないぞ。保護者みたいなものだ。…このままずっとお兄ちゃんなのはつらいかもしれない。まあ、理恵子ちゃんの心の傷が癒えるまで気長に待つとしよう。その後はその後のことだ。ケ・セラ・セラ。あの放火事件以来、水田父との関係も良好になった。『虫の知らせ』発言から察したのか、水田母は僕のことをイタコのようなものと認識しているらしい。時々、それとなく真理子さんへの伝言を言付かる。
放火犯は起訴され、裁判中だ。余罪もあったらしい。検察は『大変悪質かつ再犯の怖れ有り、情状酌量の余地なし、更正の見込みなし』としている。
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翌々年、理恵子ちゃんは歩いて通える距離の、しかも自動車での送り迎えの許されているステラ・マリス女子高等学校に進学した。この高校はいわゆるミッション系のお嬢様学校だ。男女交際にうるさく、ここの制服を着た女の子が街中で男の子と並んで歩いているのを見たことがない。都市伝説ではあるが、男の子と手をつないで歩いていることが高校にばれるだけで停学処分を受けることになるそうだ。カラオケだと無期停学だとか…本当かょ?
大学受験と大学進学と僕のチキンハートは理恵子ちゃんとのおつきあいの障害になっていた。デートの頻度が下がっていた上に、遠距離恋愛化した。自分の本来のレベルよりも高いレベルの大学への進学は、二人の中を疎遠にしている。そして、未だに彼女と手をつなげない僕は、どんなチキンハートか。小学生以下である。なさけない。自分でそんな小心者の自分を懇々と諭してやりたい。
そんな中、理恵子ちゃんがあの厳格な高校へ進学したことは、僕の安心材料だ。成長するに従い『カワイイ』から『キレイ』に進化している理恵子ちゃん、いや理恵子さんを僕にはつなぎ止め続ける自信も実力もなかった。それでもつなぎ止めておきたいと思う僕の独占欲は強いのだろうか? 心は狭いのだろうか?
そんなわけで、理恵子さんと僕との関係は清いまま、手紙とたまに電話であった。理恵子さんの顔を見るのは、月に一回程度、帰省した僕が水田家を訪問して、居間で一緒にお茶を飲むくらいだった。未だに彼女の部屋には入れてもらえない。僕のことはただの『近所のお兄ちゃん』に、まだ留まっているようだ。クスン。
ラブコメでは高校生の彼女に横恋慕する同級生男子のインターセプション・イベントが発生するところなのだろうけど、水田家の居間でのデートでは、そのようなスパイシーなインシデントは発生する余地もなかった。まして、青春ドラマのようにデート中に不良に絡まれることもなかった。そのかわりお茶を飲んでいる時に、ニコニコ顔の水田父に「何で君がここにいるのかな?」と、しばしば絡まれた。
しかし、そのような楽しくも輝かしい日々もある日突然終わりを告げた。
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私、『ざっくばらん山本』の通うことになったステラ・マリス女子高はミッション系の高校だ。先生や職員の半分はシスターだし、残りもほぼオバちゃんだ。男性の教員はおじいちゃんしかいない。漫画にあるようなカッコいい男の先生はいない。あこがれターゲットにできるカッコいい若い女の先生もいない。おばさんやおばあちゃんばっかりだ。がっかりだ。がさつな私は親の意向で厳格な淑女教育をこの高校で受けることになった。
この環境には恋話成分が足りない。そして私たちも年頃の女子高生だ。その手の話しに飢えている。その中で水田サンの『近所の大学生のお兄ちゃん』の噂はおいしい。格好のネタだ。寿司屋なら時価でも食べたいネタだ。だから、その真相を明らかにしなければならない。しかし、彼女の同級生の口はなぜか堅い。入学前の事前聞き取り調査でも、知りたい情報を手に入れられなかった。なんとかしてその『お兄ちゃん』と水田サンの関係について詳細情報を得なければ、という歪んだ使命感と下衆な好奇心に突き動かされ、私は朝の教室で水田サンに突撃した。
「水田サン?」
「え〜とあなたは…山本サン?」
「はい。山本です。」
「何か御用?」
「うん。御用だ! 御用だ!」
「何よそれ。何の時代劇? 捕物帳?」
水田さんは苦笑のような笑みをこぼした。つかみはOKかな? しかし、彼女の苦笑いは….、なんか堂に入っているな。うん。彼女は苦笑いの達人に違いない。
「うん。教えてほしいことがあって。」
「何?」
「あなたの『近所の大学生のお兄ちゃん』について。…教えてぇ?」
甘え声で問うてみる。 あ!水田サンの目が泳いだ。あからさまに動揺している。ホームルーム開始までの20分でここは畳み掛けて聞き出さなければ。
「え〜と、山本サン? いったい何の話しかなぁ?」
「ばっくれてもダメよぉ。ネタは割れてるの。あなたの同じ中学校の同級生から聞いたわょ(本当は、詳しいことは何も聞いていないけど)。 さあキリキリと吐け!」
「何よまた時代劇? ここはお白州なの? もろ肌脱いで桜吹雪なの?」
「話しをはぐらかそうとしてもダメよ。さあ、私の目を見て答えなさい。誰なの?どんな人なの?あなたとの関係は?どこまで行ったの?」
関係を聞いたところで、それまで微笑みながらも目元に怒りをにじませていた水田さんの顔が曇った。目の光が弱くなった。目をそらした。これは地雷を踏んだかもしれない。やっちまったか?
「ミヤサワのお兄ちゃんは近所のお兄ちゃんで…交通事故で亡くなった私のお姉ちゃんの恋人?お友達? そういう人なの。 私がお姉ちゃんを亡くして辛かった時に、…自分も辛かったろうに、私を一生懸命励ましてくれた人なの。」
うをっほ! これは私の想像以上に重い話しだった。メチャ重かった。彼女の同じ中学の子たちの口が重かった理由を理解した。
「お兄ちゃんは、お姉ちゃんの交通事故のトラウマで外に出られなくなった私を家の外に連れ出してくれたの。私の心を救ってくれた恩人なの。 でもね。私を見る目がトコトンやさしいの。何の濁りもないの。本当に妹を見る目なの。亡くなったお姉ちゃんに遠慮しているのかな?…忘れられないのかな?…手も握ってくれないの。お兄ちゃんが私に見ているのは、…たぶんだけど、…お姉ちゃんの面影なの。」
さらに重い。ドロドロの修羅場の方が、まだ軽く明るい。
「…お兄ちゃんのこと…、好きなの?」
「うん。 多分。 でも、好きというより感謝しているの。」
「…ごめんね、あなたの心の中にずかずかと踏み込んじゃって。」
「いいの。私も言葉にして、自分の感情を整理できたわ。お兄ちゃんは保護者以上恋人未満の存在なのよ..ねぇ。どうしたもんだか、ねぇ。」
水田さんはため息をついてふっと微笑んだ。
ここが潮時だ。話しを少しそらすことにした。
「ところで、お兄ちゃんって、どんな人?」
「う〜ん… ジャガイモかなぁ? おでんの中の煮くずれたジャガイモ。」
「ジャガイモって…何ょそれ?」
「見た目も行動もジャガイモ。 少し太っているし、芋臭いし、何か全体の調和からずれているの。でもね、ほくほくしていて食べるとあったまる…みたいな?」
「えっと? 何でそんな、お芋な人を好きになっちゃったの?」
「人畜無害なとこかなあ。変に気を使わなくても良いし、その気楽な関係が心地よく安心なの。それに交際は両親公認だし、家族ぐるみだし。」
「それ、何の中世歴史ラブロマンス小説の婚約者?」
「婚約者だったら、何も思い悩むこともなく、ほんとうに良かったのにねぇ。それに、お兄ちゃん、去年大学へ進学しちゃって、なかなか会えなくなっちゃったの。」
「どこ大学?」
「古都大学」
「え〜っ。旧帝大じゃん。お兄ちゃんてば優良物件じゃん。要らなくなったら頂戴?」
「嫌っ。あげない!」
「ケチ!」
水田サンはおかしそうに笑った。そして、私は高校生活初日に水田理恵子という生涯の友人を得た。




