04-理恵子ちゃんの物語 <火事>
その日の夕食後、僕は文化系の部活動の答えのない課題に取り組んでいた。参考資料は難解で、部屋は暖かく不覚にも僕はうとうとしていた。そんな僕の朦朧とした意識下に真理子さんの声が響いた。
「ミヤサワ君!助けて!」
これが『夢枕に立つ』という現象か。夢うつつの中で僕はそんなことをまだのんびりと考えていた。
「ミヤサワ君、あいつが私の家の周辺をうろついているの。新聞紙の束とライターを持っているの。あいつは、あいつは私を跳ねて逃げた奴よ! うちの家族を助けて!」
僕は飛び起きようかと思ったが、完全に覚醒したら真理子さんのメッセージを聞けなくなる怖れがある。意図的に半ぼけの状態で机に突っ伏したまま、会話を続ける。
「真理子さん家に電話しようか?」
寝ぼけている割には、まともな提案だと思う。
「だめよ。お父さんはまだ帰っていないし、お母さんは睡眠導入薬を飲んで寝ているの。リエは何かがあってもおびえて何もできないわ。」
僕は瞬時に覚醒し、立ち上がった。
「わかった、すぐ行く。」
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僕は部屋着のジャージのまま外へ飛び出そうとした。玄関でサンダルを突っかけて、扉を開けた。その物音を聞いて居間で父と兄の帰りを待っていたおふくろが顔を出してきた。
「どうしたの?」
「嫌な予感がする。水田さん家に行ってくる。」
「はあっ? 嫌な予感? 何それ?」
おふくろは間の抜けた返事をした。でも僕の慌てぶりを見て何かを感じたんだろう。僕の後から家を出て、玄関の鍵を閉めていた。
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水田さん家の玄関横のコンクリート塀の裏にそいつは居た。出窓の下に新聞紙の束を置いてしゃがんで火をつけていた。赤い炎が家の壁を照らしている。それを見て僕は大きな声で叫んだ。
「火事だ!火事だっ!」
そいつは慌てたように立ち上がり、僕を突きとばし、その場に何かを落とし、一目散に逃げていった。近所の人がわらわらと出てくる。
「火事だ!放火だ! 誰かその男を捕まえて!」
まずは消火だ。僕は新聞紙の束を燃えるもののないコンクリ壁の方へ蹴飛ばした。火の粉が飛び散る。庭の散水用のホースを掴み、蛇口をひねった。スニーカーを履いてくれば良かったと後悔した。サンダルから露出した靴下の指先が融けて穴があいている。つま先が痛い。しかも水がかかってびしょんこで冷たい。ジャージもびしゃびしゃな上に所々に火の粉で溶けた穴があいている。
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ボヤで済んだ。近所の人が通報したのだろう、警察と消防がすぐにやってきた。水田家の室内に灯はついているけど、警察が玄関の呼び鈴を押しても水田母も理恵子ちゃんも出てこなかった。
「お母さんは睡眠導入薬を飲んでいるそうですよ。理恵子ちゃん…娘さんは引きこもっているようです。」
「第一発見者は君だね。それにしても詳しいね。」
「はい、家族ぐるみでおつきあいしておりますので。」
なんとかごまかすことができた? でも、何か疑われているようだ。
「ところで… 何でこの夜更けにこんなところに居たのかな?」
警察の追求は続く。まだ疑われているようだ。返答に困った。まさか亡くなった真理子さんが夢枕に立ったとは言えない。でもここは開き直るしか無い。
「虫が知らせました」
真理子さんを虫にしてしまった。後で狭間の世界に行った時に怒られるんだろうなあ。ゴメンナサイ。
青い作業服を着た警官が、放火犯の落としたライターを丁寧に拾い上げ、ビニール袋のようなものに入れた。これから鑑識で指紋を採取・照合するそうだ。
しばらくして水田父が仕事から帰って来た。自宅前に消防車やパトカーの止まっている様子を見て慌てていた。警官から状況を聞き、急いで玄関の鍵を開け、水田母と理恵子ちゃんの無事を確認していた。理恵子ちゃんは犯人が火をつける様子を出窓のカーテンの隙間から見ていたようだが、怖くて恐ろしくてなにもできず、声も出せなかったそうだ。
理恵子ちゃんのたどたどしい証言や表に飛び出してくれた近所の人の証言で、僕が放火犯ではないこと、僕がボヤの発生を大声で知らせてから消火していたこと、逃げて行く男のことが警官と水田父に周知された。また、おふくろが後からやって来て、僕があわてて飛び出したことなどを証言した。それらと僕自身の証言に矛盾点が無いことから、とりあえず僕は放火犯の第一候補からは外れたようだ。それでも、『虫の知らせ』は無理があるのだろう、理解してもらえなかった。その後、警察署で指紋を取られた。水田父母からは感謝された。
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後日、放火犯の落としていったライターの指紋から、放火犯は真理子さんをひき殺した男であると特定された。警察の取り調べでは、『無免許で事故を起こして逃げただけ』で2年間も収監されたことを逆恨みしての犯行だった。2年前の交通事故当時、犯人はまだ18才で少年法に守られており、彼の個人情報を水田父は知ることができなかった。娘の命を奪い、さらに逆恨みから放火しようとした犯人を水田父は社会的に潰し葬る、と僕に怖い笑顔で言っていた。でも、今回は犯行が悪質であり、犯人も成人になっていることから、かなりの重罰になるだろう。水田父の出番はしばらくなさそうだ。
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予想通り、狭間の世界で真理子さんに大いに感謝され、そして彼女を『虫』にしたことを大いに怒られた。




