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「今日は私も一緒に斡旋所へ行きますね」
翌朝。
宿の一階で食事していると、ソフィアに言われた。
「いいけど……結構混んでるし、ここで待っててもいいんだよ?」
「いえ、行きます。アイル様は危険なことに巻き込まれがちですから」
昨日、夜遅くに宿へ帰ってきたアイルは、流石に今回ばかりは事情を説明しなきゃ駄目だと思い、誘拐事件に巻き込まれたことを話した。その話を聞いたからだろう。一緒に仕事を選ぶと告げたソフィアは、笑みこそ浮かべているが、譲らないという頑なな意志を全身から滲ませている。
確かに王都に来てからというもの、色々と危険な目には遭っていた。港では大量の荷物が崩れて人が下敷きになりそうな場面に出くわし、昨夜も誘拐事件に巻き込まれた。波瀾万丈とはまさにこのことである。
(……あれ? 港での話は、ソフィアにはしてないような)
巻き込まれがちと言われたことに、アイルは違和感を覚えた。
ただの言い間違いだろうか。それとも、生まれつき不幸な人間だと思われているのだろうか。
後者だと嫌だなぁ……と思いながら、アイルはソフィアと斡旋所へ向かった。
王都ラテイルの労働斡旋所は二階建ての大きな施設で、一階は仕事の紹介や手続き、二階は商談用のスペースとなっている。アイルは二階に上がったことがないし、今のところ上がる予定もない。
「日雇いの仕事はここに張り出されているんだ。……って、王都に住んでいるソフィアなら知ってるよね」
「いえ、実は中に入ったのは今日が初めてなので、知りませんでした」
斡旋所に入ると、ソフィアはきょろきょろと視線を周囲に巡らせた。
今日も彼女はフードで顔を隠しているが、その佇まいというか所作からは常々気品のようなものを感じている。少なくとも、斡旋所で仕事を受けるほど経済的に困ったことのない人間なのは間違いなかった。
「次はこの、薬師のお手伝いでもやってみようかな」
「施療院のお仕事は大変だと聞きますが、大丈夫ですか?」
「うん。これでも実家では農業を……」
そこまで言ったところで、アイルは船の荷揚げで足を引っ張ってしまったことや、鍛冶屋の親方の屈強な肉体を思い出した。
「……王都の住民って、皆凄く鍛えられているよね」
「全員が全員、身体を鍛えているわけではありませんが、この街はローレンス王国の中心ですからね。意識も能力も高い人たちが集まり、その中で更に篩をかけられ、生き残った人たちだけが平穏を掴みとることができます」
「そっか。……僕、やっぱり場違いなのかなぁ」
「そんなことはありません」
ソフィアは、はっきり首を横に振った。
「意識が高くなければ生き残れない街なんて、いずれ誰もが疲弊して去っていくでしょう。のんびりした生き方や、慎ましい生き方は罪ではありません。そういう人たちに適した人生を用意できていないのは、この国の至らぬ点です」
持論を述べるソフィアの声には、強靱な意志が込められていた。
その瞳には炎とも光とも言えない力強い輝きが灯されている。誰も汚すことのできない、尊くて高貴な思想が彼女の中に座していた。
今まで彼女から漠然と感じていた気品が、明確な輪郭を帯びたような気がした。
そうか……ソフィアは、こういう人間なのか。
「願わくば、私がそれを変えたいと思っています」
「ソフィアが……?」
「間違えました。誰かが変えてくれたらいいなと思っています」
力強く輝いていた気品が霧散する。
だがもう遅い。アイルは察した。ソフィアは意図的に己の本質を隠している。
一体、彼女は何者なんだろう?
そんな疑問を抱くアイルに、がたいのいい男が近づいた。
「よぉ、アイル」
「……あれ、親方?」
声をかけられて振り返ると、そこには昨日世話になった鍛冶屋の親方がいた。
「おはようございます。日雇いの募集ですか?」
「いや、まあそうっちゃそうなんだが……お前のことを探しててな。よければ今日もうちで働かねぇか?」
まさかの提案に、アイルは目を丸くした。
そして何故か、親方の後ろには娘のマリアがいる。
「この通り、娘もお前のことを気に入っているみたいだし」
「パパ……!!」
「わざわざついて来てる時点で、バレバレだっての」
マリアは恥ずかしくなったのか、親方の背中に隠れた。
昨晩は怖い思いをさせてしまったかと内心で申し訳なさを感じていたが、どうやらすっかり立ち直れたらしい。強い子だ。
「とはいえ、お前は色んな経験を積みたいって言ってたからな。無理強いはしねぇから、他に気になる仕事がなかったらうちに来い。それを伝えに来ただけだ」
「……ありがとうございます」
本当にそれだけ伝えて親方は去って行った。
最後にマリアがこちらを振り返ったので目が合う。アイルが微笑んでみせると、マリアは顔を真っ赤にして親方のもとへ駆け寄った。
「良好な関係を築けているようですね」
「うん。この街の人たちは、僕みたいな田舎者にも寛容だよ」
「……それは、アイル様だからですよ」
ソフィアが小さな声で言った。
取り敢えず親方のおかげで今日の仕事がなくなることはないため、慎重に他の仕事を探してみる。施療院の他にも、銭湯、書店、飲食店など、職場は様々だった。
「あれ?」
掲示板を見ていたアイルは、視界の片隅で人集りができていることに気づく。
この斡旋所では基本的に掲示板を使って仕事を募集する仕組みだが、追加料金を支払うことで雇い主が直接声で労働力を求めることもできる。だから偶に「金貨五枚で受付募集!」とか「白金貨一枚で住み込みの雑用募集!」といった声が飛び交う。
「軍の入隊試験に協力してくれる人を募集する! 心身ともに強ければ誰でもよし! 報酬は要相談で!!」
人集りの中心から、変わった仕事の募集がされていた。
だがアイルは、その仕事内容が気になったのではなく……その声に聞き覚えがあることに気づき、近づいた。
人集りの中心には、アイルと同い年くらいの黒髪の少年がいた。
「ルウ?」
「……アイル?」
王都までの馬車で一緒になった少年ルウが、そこにいた。
「久しぶりだな、アイル。と言ってもまだ数日しか経ってねぇか。……アイルはここで仕事を探してたんだな」
「うん。ルウは仕事を依頼する側なんだね。なんだか、変わった仕事を出していたけど」
ルウは「まあな」と肯定して、事情を説明した。
「馬車の中で、国境の小競り合いが激化してるって話はしただろ? その影響かは知らねぇけど、今年の軍の入隊試験は変わっててな。三人から四人のチームを組まねぇと、参加すらできねぇんだ」
「へ~。……僕らみたいな田舎者にとっては不利かもね」
「そうなんだよなぁ。知り合いなんてまずいねぇしさ。幸い、同じように困ってる奴がいたから、そいつに声かけて一人は確保したんだけど、あと一人が見つからねぇからここで募集することにしたんだ」
「ここは仲間というよりは労働者を雇用する場所だと思うんだけど、いいの……?」
「むしろ発想を褒められたぜ。試験官が言うには、頭数を揃える力も見てるんだってさ」
だがそれは、単に数を揃える能力だけを見ているわけではないだろう。
軍の入隊試験はきっと過酷だ。果たしてその過酷な試験に、金で雇われただけの労働者がどこまで耐えられるのか疑問である。いざという時にここで雇ったメンバーに逃げられたら、ルウはとても困るだろう。試験官が見ているのは、頭数を揃えるのは大前提として、その上でちゃんと背中を預けられる仲間を集められるかだとアイルは思った。
ルウは今、苦境に立たされている。
本人も薄々勘づいているはずだ。背中を預けられる仲間を、金で雇う。その難しさを……。
「僕に協力できることがあったらいいんだけど……」
「ははは、気持ちだけ受け取っておくよ。入隊試験、めっちゃ厳しいらしいし、訓練してない人には辛いと思うぜ。それこそ、アイルが実は魔法を使えるとかだったら話も変わるんだけど……」
「魔法……かぁ……」
含みのある態度を取ったアイルに、ルウは目を見開く。
「…………え? なんだその反応、まさか使えるのか?」
「いや、その……使えるというか、使える時があるというか……」
「使えるんだな!? お前、魔法使いなんだな!?」
ルウがアイルの両肩を力強く掴んだ。
なんか最近、よく肩を掴まれるなぁ……と思うアイルを他所に、ルウは興奮した様子で叫ぶ。
「――三人目確保ぉ!!」