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「こちらにいらっしゃいましたか」
そびえ立つ竜殺しの塔を鑑賞していると、背後から誰かに声をかけられた。
振り返るとそこには二人の女性がいた。一人はアイルの母と同じくらいの年齢。もう一人はアイルと同い年くらいに見える少女。
二人は何故か、外套のフードで頭を覆っていた。フードの隙間から美しい金色の髪が見えるが……あまり周囲に顔を見られたくないのだろうか?
「えっと、もしかして貴女たちが……」
「ガイド役です」
そう言って、大人の方の女性は柔和に微笑んだ。
「お久しぶりですね、アイル君。昔会ったことがありますが、覚えていませんか?」
「……すみません」
覚えていない。ということは多分、五歳よりも前の話だ。
アイルにとって最も古い記憶は五歳の時に見た英雄の凱旋である。記憶が確かなら、それ以降で目の前の女性とは会っていない。
「気にしないでください。ところでアイル君はこちらで何を……?」
「竜殺しの塔を見てました。……凄いですね、こんなに大きなものを一人の人間が創ったなんて、信じられません」
塔の周りには常に人集りができていた。寄り道と言うには長すぎる時間をここで過ごしてしまったが、その間、人集りが消えることはなかった。誰かが去ると、すぐに誰かがやって来る。塔の周りは常に賑やかだった。
「……本当に、何も覚えていないんですね」
キラキラした目で塔を観察するアイルに、女性は小さな声で言った。
どういう意味だろう? と首を傾げるアイルの前で、女性は口を開く。
「父君からお話は伺っております。まずは王都で色んな経験を積みたいと」
「はい。……父と母は、僕の将来について悩んでいるみたいです。僕が聖職者になろうとしているのは、推薦状に引っ張られているだけなんじゃないかって」
「推薦人が推薦人ですからね。アイル君が本心からその道を志しているのか気になるのでしょう。聡明なご家族ですね」
「僕もそう思います」
アイルは満面の笑みを浮かべた。
家族のことを褒められるのは、とても誇らしい。
「宿の手配ができていますから、まずはそちらへ案内いたしましょう」
「あ、えっと……」
旅立ちに際して、父から「王都に行けば案内してくれる人がいるはずだ」とだけは聞いていた。しかし宿まで手配されているとは思わず、アイルは少し考えた末、申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、お気持ちだけ受け取らせていただきます。折角なので、できるだけ自分の手でやってみたいんです」
「……そうでしたか。ではせめて、ガイドだけでも受け取ってください。この街は入り組んだところが多いですから」
そう言って女性は、隣で佇む少女に目を向けた。
「私の娘です。困ったことがあれば何でも相談してください」
少女が一歩前に出て、アイルと目を合わせる。
真っ白な――初雪の如くきめ細かな肌が、フードの奥に見えた。美しく、そして可憐な少女は、にこりと優しく微笑む。
「ソフィアと申します。よろしくお願いします、アイル様」
「えっと……よろしくお願いします」
なんだか妙に品を感じる少女に、アイルは胸中の動揺を押し殺すことに努めた。
◆
少年と少女が、肩を並べて王都の中心へ向かう。
その背中を見届けたところで、フードをかぶった女性は静かに竜殺しの塔から離れ、人通りの少ない路地裏に向かった。
「殿下、ご挨拶は終わりましたか?」
「ええ」
騎士と合流した女性は、フードを外す。
絹の如く艶やかな金髪が垂れた。整った目鼻立ちに、真っ直ぐ伸びた背筋。薄暗い路地裏の中で、彼女の周りだけが輝いて見えるほど高貴な空気を纏っている。
素顔を晒した女性に、騎士は薄らと警戒心を高めた。
この女性は、本来ならば簡単に市井に顔を出していい人物ではない。
「貴女も顔を出せばよかったのに。ずっと会いたがっていたでしょう?」
女性の問いかけに、騎士は困ったように笑った。
「……ご冗談を。ここで私が顔を出せば、騒ぎになってしまいます」
「そうね。あの塔は、貴方が創ったことになっているから」
路地裏から、女性は竜殺しの塔を見た。
塔の真実を知る者はごく一部。いずれ明るみに出るかもしれないが……今はまだ、その時ではない。
「城に戻るわ。その後は彼らの護衛をお願い」
「承知いたしました。彼も、ソフィア殿下も、必ずお守りいたします」




