12
一夜明けた後、アイルたちは空腹に耐えながら山頂へ向かった。
「なんだよ、この魔物の数……っ!?」
山頂に近づくにつれて、魔物の数は増えていった。
地上からは狼のような魔物が、上空からは鳥のような魔物が襲いかかる。空腹のまま険しい山道を上り続けるアイルたちは、疲労困憊の状態で魔物たちと戦わねばならなかった。
「クララ!」
「ええ! ――全部ぶっ飛ばしてやるわッ!!」
クララは立ち直っているように見える。だが昨日のように獰猛な表情を浮かべることはない。本当の意味で立ち直ったかどうかは不明だ。
クララが冷静になったことで、ようやくアイルたちの班はまとまり始めた。ルウが戦略を伝え、クララが魔物を殲滅する。この基本的な方針で魔物の群れをやり過ごす。欲を言えば、これを初日からやっていれば――三人ともそう思ったが、後悔先に立たず。口にしたところで意味はない。
「よく来たな。印をやろう」
山頂にいる最後の試験官から、印を貰った。
三つ目の印は軍帽の絵だった。だが印を観察する余裕はない。印を全て集めたら、日没までに下山しなければならない。
「これは、流石にやべぇな……」
下山しようとするアイルたちの前に、再び魔物の群れが現れた。
山頂付近の魔物が多すぎる。周りを見ればここでリタイアしている者も多く、山頂にいる試験官の案内に従って保護されている姿が見えた。
日没までもう時間もない。
戦うか、迂回するか、すぐに選ぶ必要がある。
「もう時間がないし、できれば迂回したくねぇ。――アイル!! 魔法、使えるんだろ!? 何とかならないか!?」
ルウがアイルの方を見て叫んだ。
だが、アイルが答えるよりも早く、クララが口を開く。
「使えないわよ!」
「はぁ!?」
「使えないって言ってんの! ないものねだりしてる場合じゃない!」
ルウは困惑したが、クララの真剣な面持ちと、アイルの申し訳なさそうな顔を見て疑問を飲み込んだ。もはや議論の時間すら惜しい。己の納得は後回しにする。
「くそ……っ!! これ以上の戦いは無理だ、逃げるぞ!!」
重傷を負えば、下山どころではない。
迂回する作戦を選んだルウに、アイルたちは瞬時に従った。正しい判断なんて誰も分からない。ルウの判断を信じるしかない。
「日没まであとどのくらいなの!?」
「一時間を切ってる! このまま真っ直ぐ下山すれば、ギリギリ間に合うかもしれねぇ!!」
ルウは確実に間に合うとは言わなかった。それほど余裕がないのだ。
このまま、脇目も振らずに真っ直ぐ下山すれば――。
三人の心が一つになった、その時、
「誰か助けてくれぇ――ッ!!」
遠くから男の悲鳴が聞こえた。
その瞬間、アイルたちは反射的に立ち止まる。
ルウが、歯を食いしばりながら考えていた。クララも、拳を握り締めながら悲鳴が聞こえた方を睨んでいる。真っ直ぐ下山するべきだ。そうしなければ間に合わない。軍に入れない。でも、今の悲鳴は切羽詰まっていた。今この瞬間にも誰かが命を散らそうとしている。
「~~~~ッ!! クララァ――ッ!!」
「分かってるわよォ――ッ!!」
ルウの自棄になったような叫びに、クララも呼応した。
悲鳴が聞こえた方へ駆け寄る二人に、アイルも必死について行く。
茂みを掻き分けた先で、二十代と思しき男が複数の魔物に囲まれていた。男は腕から出血しており、更に背後は崖で逃げることができないようだ。藁にも縋るような気持ちで助けを呼んだのだろう。
クララが炎の弾丸を放ち、手前の魔物たちを吹き飛ばす。
直後、ルウが男に襲いかかろうとしていた魔物を豪快に斬った。
噴き出る血飛沫の中で、クララは上空から飛来する鳥の魔物を撃ち落とす。ルウは剣を鋭く切り返し、次々と接近してくる魔物を切り伏せた。
目に入る全ての魔物が活動を停止した後、ルウとクララがそれぞれ武器を仕舞う。
ルウは頬についた魔物の血を拭い、怯える男に近づいた。
「この道を真っ直ぐ進めば、魔物と遭遇せずに山頂まで行ける。そこで試験官に保護してもらえ」
「ありがとう……本当に、ありがとう……っ」
男は泣いて感謝し、ルウに指示された通りの道で山頂に向かった。
その背中を見届けた後、ルウは静かに嘆息してアイルたちの方を振り返る。
「……悪い、もう間に合わねぇ」
「アンタのせいじゃないでしょ。私も同じ判断をしたわ」
体力は使い切った。時間も消費した。
アイルは察する。日没までに下山するのは――不可能だ。
「ちくしょう……馬鹿なことしたかなぁ」
「なんでよ?」
「だって、軍人になったら、もっとたくさんの人を助けられたんだぜ?」
「目の前の一人も助けられないなら、軍人になったところで意味ないでしょ」
ルウは「それもそうか」と言って溜息を零した。
それから、アイルを見る。
「アイル、ごめんな。ここまで付き合ってもらったのに、台無しにしちまって」
ルウが弱々しく笑いながら謝る。
だがアイルは、そんなルウたちを見つめた。
上手くいかなかったはずなのに、どこか清々しい様子の二人を……。
「どうして二人は、あの人を助けたの?」
アイルの純粋な眼が、ルウとクララを映し出す。
風が吹き抜けた。枝葉が一斉に揺れる様は、まるで山が呼吸したかのようだ。
「助けたら絶対に間に合わない。見捨てる選択肢もあったはずだ。……なのに二人は、どうして全てを投げ捨ててまで、あの人を助けたの?」
真剣な様子のアイルに、ルウとクララは茶化すことができなかった。
二人は悩みながら、訥々と答える。
「まあ、改めて言語化してみると難しいけど……なんつーか、助けないと駄目だと思ったからじゃねぇかな」
「そうね。……助けなきゃ、恥ずかしい人間になると思ったから」
助けを呼ぶ声が聞こえた時、二人は明らかに葛藤していた。
あの一瞬で辿り着いた結論は、二人とも似たようなものだったらしい。
助けなきゃ、人として恥ずかしい。
「僕は恥ずかしいと思わないよ」
アイルはクララの方を見て話す。
「ルウも同じだと思う。誰も君を恥ずかしい人だなんて思わない」
「……そうかもしれないわね」
クララはアイルの言葉に頷いた。
「でもさ……私たちを見ている誰かは、そうじゃないかもしれないでしょ?」
そう言ってクララは天を仰ぎ見た。
夜が訪れる寸前の夕焼けを、クララは無言で見つめる。彼女の目は、雲の向こう、空の果て、星の彼方すら越えた遥か遠くを見ているような気がした。まるでその先に誰かがいるかのように。
「それって、誰のこと?」
「知らないわよ」
クララは美しく微笑んだ。
「ただ……誰かに見られてるって思った方が、頑張れるじゃない」
切なくて、揺るぎない。そんなクララの微笑みを見てアイルは思った。
誰かに。
それは――誰だ。
その誰かは、空想の産物でなければならないのか?
架空の存在でなければならないのか?
人は困れば困るほど、曖昧なものを希望にする。はっきりとした助かる道が思い浮かばないから、漠然とした未来に縋ることしかできない。
だが、そうでなければならないのだろうか?
最後の希望は、いつだって曖昧でなくてはならないのだろうか?
希望とは、心の中だけで完結するものでなければならないのだろうか?
――――否。
あったって、いいじゃないか。
空想でなくても、架空でなくても……。
そこに、確かな希望があったっていいはずだ――――。
「え……?」
「は……?」
クララとルウが目を見開いた。
ぶわり、と翼が広がる。
アイルの後ろに何かが現れようとしていた。いつの間にかキラキラとした光の粒子が辺りを漂っている。その粒子が一対の白い翼を象っていた。
「――見ているよ」
そっと、アイルは告げた。
ルウやクララが思い浮かべた誰かではないかもしれない。
だが、ここには一人、ルウとクララを確かに見ている者がいる。
「君たちは――――僕が見ている」
アイルの背後に、大きな白い鳥が顕現した。
光を集めて生み出したようなその鳥は、あまりにも神秘的で、いっそ芸術的で、ルウとクララは思わず感嘆の溜息を漏らす。
「乗って!」
アイルが鳥に乗って、二人に言った。
驚いていた二人はその瞬間に我に返り、訳も分からないまま白い鳥に乗る。
三人を乗せた鳥は、すぐに空へ飛び立った。
冷たい風が頬を撫でる。不思議と風は強くなくて、落ちる恐怖もなかった。何故、自分は安堵しているのか、ルウとクララは分からなかった。
あっという間に山の麓へ着く。
鳥が着地し、アイルから順に地面に降りた。
「ルウ、印を押してもらった台紙を」
「あ、ああ……」
アイルに言われるまま、ルウは懐から台紙を取り出す。
辺りを見回したアイルは、目当ての人物を見つけ、ルウたちを率いながら近づいた。
「カーリア少佐!」
アイルは台紙を持つルウの背中を押し、赤髪の軍人カーリアの前に立たせて告げる。
「印を集めました!!」




