10
軍が所有する大型の馬車に揺られ、アイルたちは王都北東にある山に到着した。
山の中腹には小屋のようなものが見える。王都の近郊ということもあって、ところどころ整備されているようだ。万一遭難しても助かる可能性は高い。しかし安心もできない。剥き出しの自然も確かに残っていた。
山の麓に到着すると、まずは地図と台紙を渡される。それぞれ各班につき一つだけのようで、予備はない。
「この山には獰猛な魔物がいる! 更には自然の脅威も襲いかかるだろう! 制限時間は明日の日没だ! それまでに印を集めてこの場に戻って来なければ失格となる! 生還してこその任務成功だと思え!!」
カーリアが大きな声で、受験生たちに伝達する。
「では――試験開始!」
試験はすぐに始まった。
武器やサバイバル道具の貸出や、食料の支給があるので、アイルたちは武器以外を受け取ることにする。ルウは剣を、クララは杖を既に持っていた。
「試験官の位置は、川の畔と山頂……あと一つはどこだ?」
「中途半端な位置にいるわね。近づかないと分からないのかも」
地図を見ながらルウとクララが考える。
麓から山頂に向かって三つの点が記されており、そこに試験官がいると読み取れた。しかし二つ目の点がどこを指しているのか分かりにくい。
取り敢えず今は山を登るしかない。
他の班と同じように、駆け足で坂道を登ろうとしたその時、アイルは誰かとぶつかった。
「すみません……」
「ちっ」
背も歳も一回り上の男たちが、ぶつかったアイルを一斉に睨んだ。
「貧乏臭ぇガキが邪魔してんじゃねぇよ」
「その辺のドブさらいの方がお似合いだぜ?」
ははははは! と下品な笑い声が響いた。
軍の入隊試験は十五歳から三十五歳までなら誰でも受けられるが、アイルたちのように最年少で試験に臨んでいる者は見たところ少数派だ。ただでさえ「お前にはまだ早い」と言われそうな空気の中で、男たちが馬鹿にしてくるのは無理もない。
クララがそっと杖を構え、ルウも険しい顔をした。
だが馬鹿にされた本人であるアイルは、いつもと変わらない様子で――。
「いいですね。僕はこう見えてドブさらいが得意で、ご近所さんからはドブ掻きアイルと言われていました。王都のドブさらいは腕が鳴りそうです」
「お、おぅ……」
笑顔でそう言うと、男たちは面食らった様子で沈黙した。
男たちは、気味悪そうな表情を浮かべて去って行く。
「……あれ、どこか行っちゃった?」
折角なので、ドブさらいの仕事がどこで紹介されているのか訊きたかったが……。
首を傾げるアイルに、クララが声をかける。
「アンタ、ああいうことを言われても張り合わないのね」
「張り合う?」
「馬鹿にされているとは感じなかったの?」
しばらくの沈黙が生まれた。
やがてアイルは、クララの言わんとせんことを理解する。
「僕は馬鹿にされていたのか……」
「今、気づいたのね」
ショックを受けるアイルに、クララは溜息を吐く。
悪意に気づかなかった。……でも理由がないわけではない。
「……一理あると思っただけだよ」
理解できなさそうなクララに、アイルは説明する。
「僕は子供だから、いざという時は家に帰ればいい。でも大人たちはその家を守るために頑張っている。……賭けているものが違うんだ。どんな大人だって、僕なんかに仕事を取られたくはないと思うよ」
アイルは見ていた。こちらを馬鹿にしてきた男の薬指に、銀色の輪が嵌められていることを。子供に悪態をつくなんて大人げないとしか言いようがないが、あれはもしかすると、後がない必死さから出てしまった虚勢なのかもしれない。
しかしクララは、アイルの話を聞いてなお鼻で笑った。
「つまんない男ね。他人を蹴落とす度胸がないだけでしょ」
「……そうかもね」
それもまた事実だ。
クララは更に深い溜息を吐き、ルウの方を見た。
「ルウ、こいつ荷物持ちの方がいいわよ。戦いに向いてないわ」
「言い切るのは早いと思うが……アイルはそれでいいか?」
念のため確認するルウ。
その優しさに申し訳なさを感じつつ、アイルは頷いた。
「うん。戦いに向いてないのは本当だから」
「分かった。……まあぶっちゃけ、最初からほぼそのつもりだったんだ。俺とクララは荒事が得意だから、後の一人にはサポートを頼みたいって事前に話しててな。アイルにはできるだけ負担をかけないから、頑張ってついて来てくれ」
元々アイルは急遽この試験を受けることになったため、準備も気持ちも二人には追いついていない。それでも最終的に試験に参加すると決めたのはアイル自身なので、二人の足を引っ張らないよう努める責任がある。
サバイバル道具と食料の入った鞄を、アイルは背負った。
◆
山を登り始めて一時間が過ぎた頃。
それは襲来した。
「クララ、魔物だ!!」
四足方向の獣が三体近づいていた。灰色の毛並みに鋭い牙。まるで狼のようだが、全身から微かに黒い靄が滲み出ている。この靄と、人間を積極的に襲う習性こそが、動物にはない魔物の特徴だ。
「任せて!!」
俊敏に動く魔物たちをクララの目は正確に追いかけ、杖の照準は一瞬も外さなかった。
魔法使いが好む杖という武器には特殊な鉱石が内蔵されており、魔法を安定させる効果がある。クララは炎の弾丸を三つ放ち、それぞれ魔物の頭を撃ち抜いた。
「ちょろいわね」
「……やっぱすげぇな、魔法って」
ルウの感想にアイルも同感だった。
だがアイルは、目の前で命を散らした存在にも注目する。
(これが、魔物…………)
魔物の全身から滲んでいた黒い靄が消えた。今まさに息絶えたのだ。
こうなると動物との区別がつかなくなる。死体を魔物か動物か区別するには専門の知識が必要で、それを生業にしている者もいるくらいだ。
「おっと」
アイルが魔物の死骸を気にしていたその時、四体目の魔物が襲撃してきたが、ルウが難なく剣でその胴を切断した。息一つ乱さず剣を鞘に戻すルウに、アイルは感心した目を向ける。
「ルウの剣も凄いね。どこで身につけたの?」
「実家」
端的に答えたルウは、続けて説明する。
「うち、両親がとある流派の剣士でさ。現役の頃はバリバリ戦場に出てたって話だけど、結婚したら落ち着いた生活に憧れたらしく、ど田舎に引っ越しやがったんだ。……ったく、生まれる息子のことも考えろよな。ガキの頃から剣ばっかり教えやがって、田舎でどう活かせってんだよ」
いつからか、ルウはふと思ったのだろう。――この剣を田舎で腐らせるのは勿体ない。
ルウが胸中で燃やす野心。その原点を垣間見たような気がした。
その後、アイルたちは特に問題なく一人目の試験官を発見した。地図に記された通り一人目は川の畔にいた。ここまでの道筋は川を辿るだけだったので、一人目の試験官は誰でも見つけられるだろう。
「ほれ、印だ。あと二つ頑張れよ」
「ありがとうございます」
台紙に印を押してもらい、アイルたちは次の試験官を探した。
印は二本の剣を交差させた絵だった。カーリア少佐がこの試験を「わくわくスタンプラリー」と言っていたことを思い出す。他二つの印がどんなものなのか、ちょっと気になってきた。
「なるほど……洞窟ね」
地図を頼りに二人目の試験官を探した末、アイルたちは洞窟の入り口を発見した。
二人目の試験官は、地図上ではどこにいるのか分かりにくかった。どうやら洞窟の中にいるようだ。
「先に腹ごしらえしとこうぜ」
クララが勇み足で洞窟に向かおうとした刹那、ルウが提案する。
「なんでよ」
「洞窟は視界が悪い上に逃げ場も少ないだろ? 持久戦を強いられた時、空腹になったら不利だ。準備は万端にしとこうぜ」
「……そういう考えなら別にいいわ」
多分、クララはルウが洞窟を前にして恐れたと思ったのだろう。しかしルウには戦略的な考えがあった。
クララだけではない、ルウもこの日のために鍛えている。身体だけでなく、心も。
「アイル、食べ物出してくれ」
「分かった」
アイルは背負っている鞄から、人数分の食料を取り出した。
無味無臭の携帯食料だった。規則的な直方体という形がこれまた食欲を萎えさせる。ルウとクララも顔を顰めていた。
「そういえば、アイルはこの試験に合格したら軍に入隊するのか?」
携帯食料の味を誤魔化すかのように、ルウは話のネタを振ってきた。
「うーん……まだ分からないかな」
「絶対向いてないから、やめた方がいいわよ」
クララは携帯食料をバキリと噛み砕きながら言った。
しかしその冷たい態度に、アイルではなくルウが不服な顔をする。
「向き不向きを決めるなんて時期尚早なんじゃないか? アイルだって軍で鍛えたら強くなるかもしれないぜ?」
「軍は学校じゃないわよ。見込みがあるか分からない人間より、この日のために鍛えてきた人間に国民の血税は使われるべきじゃない?」
「う……それはちょっと、一理あるな」
一理どころか完全に正論だった。
クララはどこか荒っぽい印象を受けるが、発言の内容はいつも論理的で思慮深いことが窺える。
「二人とも凄いね。そんなに将来のことを考えられて」
思わずアイルの唇から零れたのは、本心からの敬意だった。
「アイルも考えてるじゃねぇか。聖職者にはまだ興味あるんだろ?」
「聖職者ぁ? アンタそんなの目指してるわけ?」
クララが怪訝な顔で言う。
ルウは慌てた様子で口を開いた。
「お前……!! 誰がいるか分からねぇんだから、そんな過激なこと言うなって……!」
「心の中では皆同じこと思ってるでしょ。獄炎の日を契機に、あいつらの頼りなさが露呈したから」
獄炎の日――。
ある日、何の前触れもなく教会が焼けた事件。
親方も言っていた。あの事件が切っ掛けで、教会に寄付する者は激減したと。
「所詮、神様ってのは怠け者の言い訳よ。……苦労せずに報われたい。お手軽に一発逆転したい。そういう想いが祈りになるわけ」
そうだろうか。
アイルは異を唱えたかったが、クララの発言も部分的には正しいような気がして唇を引き結んだ。
思い出すのは、誘拐された親方の娘――マリア。
彼女が最後に祈りを捧げたのは、決して怠け者だからではないはずだ。
だがクララから言わせてみれば、それは自衛する努力を怠ったマリアが、その事実を棚に上げて天運に身を委ねただけだということになる。確かにクララが同じ状況に陥れば、きっと祈りなんてせずに魔法で抵抗し続けるだろう。
しかし、学生のマリアに自衛する力を鍛える時間はあるだろうか?
それに彼女はクララと違って魔法を扱う才能もない。
「……全部が全部、苦労して掴み取るのは難しいんじゃないかな」
呟くように、アイルは言う。
「人には向き不向きがあるよ。できることと、できないことがある。……クララにだって、できないことはあるはずだ」
時間だって有限だ。
血の滲むような思いで努力しても、きっと全てに備えることはできない。
「どれだけ真剣に生きていても、自分では抗えない理不尽というのはあると思う。……そういう時のために、人は祈るんじゃないかな」
気づけば全員、食事の手を止めている。
ルウとクララは何も言わず、最後までアイルの話を聞き届けた。
「………………ふん」
クララは視線を逸らし、沈黙した。
一方、ルウは感心したような目でアイルを見つめる。
「アイル。お前、向いてるよ」
「え? 何が?」
「聖職者に向いてる」
そう言って、ルウは優しげに笑った。
「俺、今、ちょっとだけ教会に行きたくなったよ」




