二つ目の願い事 中編
最近、母の寝つきの悪さが増している。
あの日が近づいているからだ。
「みつる、今日は待ちに待ったピーチタルトよ、早く準備してきてね」
母はいつもの空元気な明るい声で言った。
ピーチタルトはpâtisserie Akasakaの看板メニューだ。
父さんの実家が桃農家で毎年、まるっとみずみずしい桃を毎年送ってくれる。はじめは食べるだけだったが、せっかくならとタルトを作ってみると、桃の甘みとさっぱりとしたクリームがマッチしていて美味しいと評判になり、店の看板メニューとなった。
「すごいきれいな桃だね」
キッチンにはピンク色のまるっとしたぱんぱんの実が三つ鎮座していた。
「お義母さんが送ってくれたの」
母は嬉しそうに、頬をきちんと上げて笑顔に言った。
ピンク色の実を手に取り香りを嗅ぐ。
表面のザラザラした産毛が少しだけ鼻にあたった。あまい、優しい香りがふわっと漂う。
「もうそんな時期なんだね、おばあちゃん元気かな、あ、そうだ、今度遊びに行ってみる?お父さんにもお供えしないとね」
と、そんな言葉が出てくるわけでもなく当たり障りのない相槌を打って桃の話は終わった。
母もそれ以上は何も言わなかった。
タルト生地が焼き上がり、香ばしい甘い香りが俺たちを包む。
タルトが冷える間に甘さ控えめのカスタードクリームとさっぱりとした生クリームを作る。
どちらも桃の甘さを最大限に出すために父が試行錯誤しながら母と一緒に作ったレシピ。 それを今俺は母から教わっている。
父が生きていたら、俺は父からこのレシピを教わっていたのだろうか。それとも今と同じように母から教わっていたのだろうか。もし、父が生きていたら母はもっと———
———る、——つる、みつる‼
「え?」
「『え?』じゃないでしょ!ハンドミキサー止めて。それ以上すると硬くなりすぎるから」
ボールの生クリームはもう十分もったりしてツノが立っていた。
俺は慌ててハンドミキサーのスイッチを切る。
「…ごめん」
ハンドミキサーの騒音で騒がしかったキッチンに静けさがやってくる。
「料理に集中しないとケガするわよ」
クリームがついたビーターが下にならないように横倒しに置く。
「うん、ごめん」
渡されたゴムベラを受け取り、クリームの空気をつぶさないように、ヘラを優しく縦に差し込む。
「…なんかあった?」
「……いや、」
冷えたタルト生地にフワフワの生クリームをそっと置いた。
「それ、絶対なんかあったときのやつじゃない」
母さんがくすっと笑う。
「何かあったらいいなさいよ」
柔らかい母の声を右耳で聞き流す。
少しやつれた眼差しは見ることができなかった。
見てしまうと、どこかに決めた決心が鈍りそうだった。