満、神様と出会う
「いってきまーす」
二階でランニングシューズを履きながら一階向かって言う。
「いってらっしゃい、満。九時には戻ってきてよ?」
「はーい」
返事をしながら階段を降りると、厨房からいつもの甘い香りが漂ってくる。
入口の前で軽いストレッチをして開店前のドアを開けた。
『pâtisserie Akasaka』それが俺の家だ。
パティシエの両親が開業した店で今では母さんと二人で切り盛りしている。
父さんは二年前に他界した。不幸な事故だった。心の傷はまだ癒えていないが、二人で支えあいながらなんとか過ごしている。
鳥居の前でランニングの足を止める。一礼をし、手水舎で手を清め、賽銭箱まで足を運んだ。財布を開けると、
「げ」
小銭が一円も無かった。まじかよ、とひとりごちる。今更になって、昨日スーパーで小銭をきれいに使い切ったことを思い出した。
今から戻っても九時には間に合わなくなる。かといって、いつものルーティーンを崩したくなかった。
少しの罪悪感がありながらも、神様は一日くらい大目に見てくれるだろうという結論に至った。
二礼
二拍手
一礼
賽銭をしていない分、丁寧に拝礼する。
心の中で自分の名前と住所もきっちり伝え、三秒数えて、顔を上げる。
目の前に男が座っていた。
「うわっ‼」
反射的に後ずさった。
男は和服姿でタバコをふかしていた。
明らかにヤバそうな雰囲気だったが、ここで立ち去ればいちゃもんをつけられそうな気もしてどうしよかと逡巡していると、
「おい」
男がじっと俺の顔を見た。
「は、はい!」
「お主……、俺が見えるのか?」
「……え?」
見えるのか?いったいどういう意味だろう。賽銭箱の上にあぐらかいてますよねってつっこんでもいいのだろうか。
「だーかーらー、この俺が見えるのかって聞いてんの!」
そう言って、さらにぐっと顔を寄せてくる。
よく見るとすごく顔が整っている、俗にいうイケメンだ。
「みえてます!みえてます!賽銭箱のうえに……」
「うえに?」
「……座らないほうがいいと思います」
「別にいーんだよ。俺、ココの神だし」
あくびを噛み殺しながら、目の前の自称神様はタバコの煙をふーっと吐き出した。
「…………カミサマ?」
「ああ」
「神様って、白髪で白髭のおじいさんってイメージでした」
「まあ、そういうやつもいるな」
「神様って、タバコ吸うんですね」
「一回試しに吸ってみたらやめられなくなっちまった」
「ニコチン中毒だ」とボソッと呟く。
「ん?ニコ?なんだ?」
「あ、いえ、なんでもないです」
神様はニコチン中毒を知らないらしい。
「満、参拝するならちゃんと賽銭しろよな」
そう言って、賽銭箱をコンコンと叩く。
「どうして名前を」
「さっき参拝したとき名前言ってただろ」
……本物の神様だ。
「小銭忘れてしまって」
「ああ、そういうこと。まあ、正直金もらっても俺は使えねーからどーでもいいけど」
……本物の神様だよな?
再び疑い始めると
「あ!じゃあ満、賽銭の代わりに何かお供え物してよ」
「お供え物?」
「そう。俺ここから出られないから暇なんだ。だから何か持ってきてほしい」
とんだわがままにーさんだな。
「そうですね……ケーキとか好きですか?」
「けえき?」
「はい。生クリームを使った甘いスイーツです」
「なまくりいむ?すいいつ?何を言ってるのか分らんが面白そうだな。そのけえきとやらを持ってこい」
分からないものでいいんかい!と心の中でつっこむ。
「分かりました。またあとできます」
「おう!楽しみにしてるぞ!」
神様は子供のような笑顔で言った。