第二話
私たちは普段、一日の間にどれほどの人間と出会っているだろうか。
例えば道を歩いていて数百人の人間とすれ違ったところで、そのうちの何人と会話をすることがあるだろうか。おそらく、ゼロだろう。ごくまれに交わされる会話の中身も、肩をぶつけたことに対するわびだったりだとか、コンビニのレジでのやり取りだとか、その程度のことだと思う。これを誰かと出会ったと表現する人は、おそらくいないだろう。
私たちが日常で「会う」相手といえば、家族であったり友人であったり、学生の間はクラスメイトが大勢いるとして、社会人になれば職場の同僚であったりとか、親しくする相手は自ずと限られる。ましてや、日常の中で新たな「出会い」が生まれる
機会などは、ほとんどない。
ところが、これがVR空間であると、その「出会い」を簡単に手にすることが出来る。よく「VRでは性別も年齢も、国籍も関係ない」と聞かされて、さすがにそれはどうなんだと思うことがなくもないのだが、比較的それらが問題にならないことは事実だ。それよりは、性格的な相性の方がよっぽど重要だ。もう一度言うが、VRCの中では誰かと出会うことは、現実世界と比較するとある程度は簡単だし、誰かと出会うことなく彷徨うVRCの世界は、空虚ですらある。
人がVRCの世界を訪れるのに、大量にあるゲームをプレイするためであったり、ライブ型のイベントに参加するためであったり、VRの特性を活かして楽しむことが目的の一つとしてあると思う。リアルには存在しないものを、ヴァーチャル空間で経験する。これがVRCに限らず、VRコンテンツ全体に求められている特性であることは確かだ。
それとは別に、ただ他人と出会うことを、目的としてここに来る人たちも、また、多いことだろう。なにしろ、VRチャットと言うからには、やはりチャットなのだ。他者とコミュニケーションを取るためのツールいうのが、VRCの本質なんだと思う。
とはいえ、いかに人々が他人との交流を求めてここにやってきたとしても、VRC側がすべてお膳立ててくれる、というわけではない。VRCはマッチングまではやってくれないし、短いチュートリアルに沿って動いたところで、正直何がわかるわけでもない。そんな状態でいきなりパブリックインスタンスに放り込まれても、何ができるんだよ。と、少しだけ思う。思った。
彼は、あるいは彼女は、まずは自分から世界に対して働きかけなければならない。誰もがやらなければならない第一歩なのではあるが、これは、並大抵のことではない。見知らぬ相手に会話を切り出すというのは、かなりの勇気を必要とされるし、それ以上に運に左右される。
話しかけた相手が社交的な性格で、なおかつ暇を持て余していたのなら、かなり運がいい方だ。その上で話が弾んで、相性も申し分なく、その後も楽しく関係が続けられるような相手となると、一度目で出会えることはほとんどないだろう。
コミュ力だ社交性だので多少確率が上がるかもしれないが、それよりは諦めずに何度も挑戦する、根気の方が重要だ。この時点で、かなりの人数が、自分にはVRCは向いてないと思って辞めてしまうことだろう。
ともかく、運がいい人は、どこかの時点で、「最初の一人」に出会うことが出来る。私は運のいい方だった。このことは、その後の私のVRC生活を一変させたほどの事件ではあったが、その出会い自体は、とても地味なものだった。
なにしろ、初めて顔を合わせた時のことを思い出してみると、実質的には顔を合わせていなかったくらいだった。意味が分からないと思う。
つまりどういうことか説明すると、二人肩を並べて壁にかかっていたイベントカレンダーを睨みつけたままで、会話を交わしていたのだ。木曜日のことだった。そこには、授乳カフェキタリナの文字が躍っていた。
「授乳カフェって、なんなんですかね……」
しばらく悩んでみた後、私は意を決して尋ねることにした。今となっては当たり前のように目にも耳にも馴染んでしまったその名称だが、初めて目の当たりにしたこの時には、まだとてつもないインパクトがあった。口にするにしても、とても憚られる思いはあった。
「さあ……。俺も気になってはいるんですが……」
彼もまた、面食らっていた。唐突に話しかけられたことが原因ではなく、そのインパクトにやられている真っ最中だった。
ともかく、その後しばらくあーだこーだ悩んだ挙句、どうやらお互いに同じくらいに初心者であるようだと気付いて、それならばということでワールドをいくつか巡って、その日は別れた。次の日、偶然にもまったく同じような会い方をして、同じような別れ方をした。その次の日は、彼に会うつもりでその場所に出向いた。彼も、そこにいた。そうやって、私たちは親友になった。
それからは、息もつかせぬほどに、目まぐるしかった。遊び惚ける日々だった。その出会いをきっかけにして、次々に人の輪は広がっていった。別れも、いくつかあった。やることが山のように増えて、結果、寝る時間が遅くなっていった。
私が日付けが変わっても、この世界から去りがたく、だらだらと長居してしまうのは、友達がいるからだ。私にとって、VRCとは、彼らに会うための、大切な場所だ。