表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/37

プロローグ 異世界珈琲店の朝

べてぃ・きゅう と申します。

しばしお時間拝借いたします。

 ここは冒険者ギルドの一階。

 各種受付窓口や、依頼などが張り出された掲示板、ちょっとした待合スペースなどがある広々とした吹き抜けのフロアを通り過ぎて、会議室や役員室などが並ぶ二階へと続くゆったりL字にカーブした階段、その下に、その店はある。


 時刻は朝九時、早朝からのラッシュがひと段落した頃を見計らって、ドアの鍵を開ける。

 俺にとっては普通サイズだが、この世界の一般的な成人男性が入るにはちょっと低いドアから薄暗い小部屋に入り、ランプを点ける。

 カウンター状に切り取られた幅一メートルほどの出窓に嵌った板戸を外して、窓の上に畳まれた緑の庇をよいしょと広げる。

 壁際に並んで職員が待機する一番右端が買取窓口で、その奥から渡り廊下を通ったその先が、宿舎兼寮の棟になる。

 入ってすぐの食堂の横に設置された井戸から水を貰ってきて、大きなヤカンを火にかける。


 掃除が終わったら、ずっしりと重い石臼のミルを取り出して、その日使う分だけコーヒー豆を挽く。

 状態保存のかかった革袋から、あらかじめ焙煎しておいた豆を出し、穴に二~三粒ずつ落としながら取っ手をゆっくり回す。

 臼にも豆にもストレスをかけないように、摩擦で熱が上がらないように、とにかくゆっくりと、を心がけて。

 なかなかの重労働ではあるが、二つの石の間からはやがてさらさらと粉状に挽かれたコーヒーが零れだす。

 無骨な男たちの体臭が染みついたホコリ臭いフロアに、ごりごりという幽かな振動音に乗せて、濃密な芳香がじわりと広がっていく。


 十時になったら、三十センチ角ほどの板に、この世界の言葉で『コーヒー 銅貨三枚』と書いたものをカウンターに出し、異世界珈琲店の開店である。


   ◇   ◇   ◇


 マスター兼唯一の従業員は俺、リョウ。

 この世界では『小さい人』と呼ばれる、異世界転移者だ。


 元は日本の首都圏で、普通の会社員をやっていた。

 鈴木(すずき)良一(りょういち)という名前もありふれていれば、二十八歳独身の取り立てて特筆することのない男であるが、気が付いたらこちらの世界に落ちてきてしまっていた……つまりそういうことである。


 さっぱり訳が分からない。


 そう、異世界転移……ラノベで読んだことがある、知ってた。

 でもまさかそんなことが自分の身に起こるだなんて、誰が思うだろう。


 しかもあれだ、実際体験してみると、もやっと予想はしていたけれど、そうそう美味しいことなんてありはしないものだ。

 そもそも俺は、格闘技の経験なんて、高校の時に必修だった体育の授業でやった柔道ぐらいで、肉体言語系はからっきし。

 取っ組み合いの喧嘩なんかしたこともない、筋金入りのヘタレである。


 そんな俺がなぜ転移してしまったのか。


 当然勇者の素質などないし、何のチートもスキルもなく、鑑定眼も、アイテムボックスなんて気の利いたものも何も持っていない。

 たいていの設定に出てくる、転移者特典みたいな都合のいいものは一切なかった。

 転移もののラノベにしてもチラッと見たことがある程度なので、腕のなさを補えるほどの知識もない。

 この世界の常識も、お金も、武器もなしのまさに身一つ……あ、服は着ていたけどね。

 まさに、あの日あの時あの瞬間の自分のままで、いきなりこの世界に飛ばされてきたのだ。


 ついでに言うと、そもそもまず言葉が分からない。

 これは困った。


 それも、英語のような、学校の授業でもやったし日常的に身の回りに結構存在していたレベルじゃ全然ない。

 それどころか、観光地などですれ違う近隣諸国の方々が話すような、どこかで耳にしたことがある気がする、みたいな記憶が全くない。


 知っている単語は一つも出てこないし、発音も物凄く特徴的で、自分にとっては未知の言語、完璧に初見の言葉を、この世界の人たちは喋っているのである。


 とまあ、軽く八方塞がり万事休す状態だった自分が、ここまで何とかやってこれたのは、手を差し伸べ助けてくれたひとたちがいたからだ。


   ◇   ◇   ◇


 『おはようございます、リョウさん』

 にこやかにやってきたのは、その中のひとりである、ヴィクトリアンメイド姿のサーラさん、猫人族だ。

 猫耳メイド?! が第一印象だったとは本人には言えないが、こう見えて元は冒険者で、人妻、ついでに二児の母である。


 『おはようございます、サーラさん。いいお天気ですね』

『昨日のお休みは、何をして過ごしましたか?』

『はい、市場に行ってきました』

『何を買いましたか?』

『えと、服を少しと、パンと……「腸詰って何て言うんだっけ?」』

「ああ、『腸詰』ですね」

『そうそう、腸詰を買ってきました。とても美味しかったです。娘さんはお元気ですか? 息子くんのお風邪はいかがですか?』

『みんな元気ですよ、ありがとうございます。……ふふ、合格です』

『ありがとうございます!』


 ギルドの職員である彼女は、秘書や総務などの通常業務のかたわら、こうやって俺にこの世界の人族の言葉を教えてくれているのだ。


 この世界は、人族がほとんどを占めているようだが、その他にサーラさんのような獣人族も何種か存在する。

 そして何故か、この獣人族の皆さんとは、最初から話をすることができたのだ。

 つまり彼女は、こっちに来て初めて会話をしたひとなのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ