神が降りてきた
男は傍らにいるマニマニを見て合点がいったように何度も頷く。
「ははあ、やっぱりそうか。匂いがしたからもしかしてとは思っていたんだけれどね」
いったいなんなのだろう、そう疑問が浮かび隣のマニマニを見て驚かされた。
彼の表情はこわばり、臨戦態勢となっていたからだ。
「え、なになに」
「おいお前! コイツと知り合いか」
「はひょう、知りませんけど!?」
「じゃあどこで会った。てめぇ、よくのこのこオレの前に顔出せたもんだなおい。よく聞け、コイツこそ、オレが追ってる夢想病事件の犯人だ」
マニマニが衝撃の告白をした。
瞬間、館内からどよめきが起きる。それはそうだろう、突然男が大声を上げたと思ったら、巷を騒がせている病気の原因が目の前の人物にあると言っていたのだ。
しかし、男は余裕を崩さない。
「おいおい、突然なにを言い出すかと思えば、失礼じゃないか。それに僕らは、互いに今日が初めましてだろうに。尽くすべき礼が欠けているのではないのかい」
「会ってもないやつに銃ぶっ放すよかよっぽど親切ではあると思うぜ。奇襲されないだけありがたいと思って欲しいぐらいだな」
「奇襲しないんじゃなくて、出来ないんだろ」
お互いに一歩も譲らない言葉の応酬。マニマニの言葉が正しいのなら、この男もまた神霊を体に宿した超人ということになるが。
「まあ、落ち着けよ。君たちを今すぐどうこうしようと言うんじゃないんだ。僕にだって、世間体はあるんだから。こんなトコロでは暴れられないだろう、お互いに」
周囲はこちらを、より具体的にはマニマニを奇異の目で見ている。もしもここで一暴れしてしまえば、守るべき一般人を傷つけてしまうことになりかねない。だからこそマニマニは力を使うことを躊躇してしまっていた。
「でも、裏を返せばここから出てさえしまえば、襲ってくるって事でもいいんだよな」
「まったく、そうしてそういう物の見方しか出来ないのか。物騒すぎて困るなあ」
二人はそこで言葉を切った。お互いに黙って視線を交わす。
武術の達人は実際に拳を交える前に敵とのイメージ戦闘を行うという。戦闘力、技の種類、周りの状況。そういった様々な要素を加味して、相手が繰り出すであろう十手先まで読み攻撃を仕掛けるのだ。
先に動いたのは、マニマニだった。
「行くぞ」
たった一言そう呟くと、踵を返して去って行った。
敵への警戒を解けていない三好は、ジッと男を見つめたまま動くことが出来ない。
「本当に、アンタが病気を」
「さあ、知らないな。安心しなよ。ここにいる間は、後ろから攻撃なんかしないから。ああ、もしも僕が君たちの妄想している敵さんだったらの話だけれど」
「おい、行くつってんだろ」
双方からの声でようやく、しかしじりじりとであるが出口へと向かった。
マニマニに追いついて耳打ちする。
「本当にあの人が犯人だったのかな」
「いいから行くぞ。多分、しばらくしたら襲ってくるぞ」
ゆっくりと歩き出す。
歩きながら、話し合っていた。
「ミョンシー、あいつにどこで会ったんだ」
「どこでって、君とあの道で別れたろ。その後バッタリな」
「多分そこで匂いを嗅がれたんだ。神は他の神の匂いがわかる」
「マニマニはその割に、近くに来られるまで気づいてなかったようだけど」
「この辺りは、妙にやつの匂いがきついんだよ。待ちのどこにいても匂ってくる。だから麻痺してしまってたんだ」
「どこにいても?」
それはまた妙な話だ。神の匂いがわかると言っても、神霊が付いている本人でなければその匂いは少なからず薄れると考えて良いはずだ。それは初対面の三好をみた男が、すぐさま神霊憑きだと気がつけなかったことからも覗える。同じ条件ならば、マニマニも判別できてしかるべきだ。
だが、他の匂いが強すぎて気がつかなかったというのは頂けない。相手の方がよりそういう匂いを知覚するのに優れていた可能性も、もしくはマニマニが極端に匂いオンチだと言う可能性も捨てきれないが、やはり不自然に感じる。
「あちこちに匂いがするっての、どういうことなんだろうな」
「知らん」
「例えばこういうのはありか? 神は自分の気配を分散させることが可能で、他の人物の中に自分のかけらを分け与える事が出来る、とか」
うーんとうなるマニマニは、しばらくしてかぶりを振る。
「ないな。いくら神霊といえども、その体は一つだ。他の誰かに乗り移れても、何人もの人間に憑くことは出来ない、と思う」
「思うって言うのは?」
「なんといっても神霊だからな。俺の想像にないタイプがいるのかも知れない」
頼りないことだ、と勝手に失望する。
「そうだ。そういう神はいないのかを、君の中にいる神に訊いたりとか出来ないのか? 直接話せるのなら、何か新しい情報が得られるのかも知れない」
提案した三好だったが、マニマニは苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「どうした」
「いや、そうか、うーん。神と話したいか」
「ああ、話したい。出来ないのか」
「いや、出来るっちゃ出来るんだけども。そうか、うーん、そうか、わかった」
何かを決心するように大きく息を吐いて、マニマニは覚悟を決めた。
「わかった。神と話させてやる」
「本当か?」
「ただし」
ピンと立てた人差し指を三好の眼前に置いた。
「もし無茶をしそうになったら止めろよ」
「は?」
訳のわからないことを言って、マニマニは突然倒れてしまった。
「おい、大丈夫か?」
慌てて声をかけると、空気が変わった気がした。
先ほどまでの不遜な態度はどこへやら。マニマニの顔つきが一層険しいものに変化して、脇も開き、足もがに股になる。
「……ふう、久々に借りるのお、坊主」
「ぼ、坊主?」
「おい、おまんか! このワシと話がしたい言うとるやつは!」
誰なんだ、先ほどまでとは一人称も代わり、荒々しく語気も強めなこの人物は。
マニマニは三好のことをミョンシーとか言うよくわからないあだ名で呼んでいた。そして、一人称は彼と同じ俺だったはずである。
「あんたは、いったい」
「ワシか! ワシは、弘法大師の時代より代々こん島を守ってきた守神が一柱。名を泰然の神という! まあ、気軽にターくんき呼んでくれや」
マニマニの皮を被った神霊との初対面は、こんな調子であった。
その豹変ぶりに三好は信じられない気持ちでいっぱいだった。目の前にいる男は、顔も、声も、体も、間違いなく先ほどまでマニマニだったものだ。なのにその居住まいや、表情、仕草口調は、まったく別の他人であると強く思わざるをえなくなっている。
しばらく呆けていたが、やがて気を取り直して訊ねてみた。
「あの、おたずねしたいことがあるんですが」
「ところで、綺麗なぷりぷりねーちゃんはおらんのかえ」
「は?」
「だから、おっぱいとおしりのプリチーなぴちぴちおねーちゃんはおらんのかと聞いてるんじゃき。おまん、神に何かを訊ねるときはお供えもんがいると相場が決まってるじゃろうて」
「ええ……。そんなのありませんよ。聞いてません、反則です」
「反則ってなんじゃにの。昔から神には酒と女がセオリーじゃのに。まったくなっちょらん。最近の教育はどうなってるんじゃ」
ずいぶんと時代遅れの神がやってきたのもだと、内心あきれてしまった。
「あの、そういうのはいいから、聞きたいことがあるんですよ」
「そういうのとはどういうことじゃ! こういう形式は大切に守られていくべきだと、ワシは思う。中途半端にやれコンプライアンスだのやれ差別だのいってなんでもかんでも無差別に規制していく世の中は是正されるべきなんじゃ」
「ずいぶんと最近の言葉知ってるんですね」
「そりゃあ神だから。神社に来るやつの話盗み聞きしてるもんね」
神社での話は神に盗み聞きされてる可能性があるのか。注意しとこう。
「ともかく、お供えがないとやる気もでん! そういうことっちね」
「めんどくさ。あなた本当に神様なんですか? というか、それでも神様のつもりなんですか?」
「うるさいうるさいうるさーい! ……て、おやあ?」
突然目を大きく見開いたと思ったら、泰然はジッと三好の顔を見つめてきた。
あまりの距離の近さに思わず背けてしまう。
「むむう」
「あの、人の顔をじろじろと見て、一体なんでしょうか。私の顔に何か憑いてるのでしょうか」
「待て、動くなよ」
そういった泰然は、そっと三好の髪をなでた。マニマニの大きな手が、頭に感じられる。
「あの、やめ」
「チェスト!」
かけ声と共に手はそのまま髪をつまんで、引っこ抜いてしまった。
「痛い!」
「おお、すまんすまん。なんか変なもんが憑いていたからな」
「変なもん?」
「おまん、どっかの神に妙なもん植えられとったに。とっちゃったばい。なんか心当たりはないか?」
いつ植えられたのか。その心当たりについてはめっきりないものの、どっかの神には心当たりがあった。
「多分それ、私達が今追ってる神の仕業です」
「ほう、詳しく聞かせろ」