はじめまして。名前はマニマニ
「じゃあ、悪いんだけど説明してもらおうかな」
家に着くと三好は早々にそう切り出した。
目の前の、まだ名前の知らない少年はここまでの移動中に助手席でずっと眠っていたのにも関わらず、まだあくびをしていた。
顔立ちは幼く、体格もまだ小柄で十代前半のようにも見え、タイヤロックを素手で破壊する怪力の持ち主であるとはとても信じられない。
「そうだな。少し長くなるけどいいか?」
「構わないよ。適当に省略されてわからない方が嫌だから」
「それはそうか。アンタは巻き込まれた被害者だからな」
「……」
被害者と言う言葉が、単純に三好に当てはまるとは思えなかった。
突然巻き込まれたのは確かなことだ。それについて、目の前の少年が気を病んでしまうのは仕方ない。
だが、三好自身逃げるチャンスはあったのだ。それに足を踏み込んでしまったのは自分自身の好奇心に他ならない。
そんな理屈で黙った三好の態度を肯定と受け取ったのか、少年は静かに笑った。
「じゃ、何から聞きたい」
「まず名前と年齢を教えて欲しいな」
当たり障りのない反応に少年は素直に応える。
「オレの名前はマニマニ。年は十五だ」
「マニマニって、本名なの?」
「そうだが、なんかダメだったか?」
「いや、そういうわけじゃ」
「そう。ならいいけど」
図星を突かれた。マニマニなんて名前、日本人のように見えたが、そうではないのだろうか。
少年、マニマニはとても十五歳には見えない。少年だとは思っていたが、想像以上に少年らしかった。
「出身は?」
「ここからずっとずっと南の方」
「それって、遠いの?」
「まあそれなりには」
「なんでそんなところからわざわざ」
「それが、一年前から島で奇妙なことが起こるようになってな。その調査のために、東京に来たんだよ」
「調査?」
思わず三好は眉をハの字にひそめる。
「こんなトコまで調査なんて。地元じゃ、何ともならなかったの?」
「元凶がここにいるからだよ」
「元凶?」
「そうだ。アンタ、数か月前から東京で妙な病気が流行ってるの知ってるか?」
少年、マニマニの問いかけに静かにかぶりを振った。
「知らない。だけど、俺が知らないだけで、実は流行しているのかもしれない」
三好は、家賃をしばらく分は払えないような生活をしている。もちろん、携帯電話やテレビなどといったハイテク機械を持っているはずがなかった。そのため、ニュースや社会情勢にも疎く、自分の知らないところで何らかの病気が流行していてもおかしくないと考えたのだ。実際、思い返してみれば最近は商店街に行っても以前よりもマスクをつけている人数が増えていたような気がした。秋は季節の変わり目で風邪をひきやすい時期だからだとばかり思っていたけれど、その病気の対策なのかもしれない。
マニマニは、三好の反応を見て、スマートフォンを取り出すと、なにやら少し操作をしてその画面を見せてきた。
「ほら、この記事見て」
「君、こんなハイテク持ってたのか」
「いいから」
それは新聞の記事らしかった。上部に『夢想病新規感染者十七名 政府が対策委員会設置へ』の見出しがでかでかと強調されている。
「数週間前、都内のある商業施設で客が突然意識を失い倒れてしまう事件が発生した。その人たちには目立った外傷がなく、ただ眠っている以外何も異常がない。しかしたくさんの人間が、同時に眠ってしまうというのは何らかの有毒ガスもしくは感染症と考えざるを得ないということで、専門家はこれを夢想病と診断。以来、定期的に感染者が出続けている、というのが今の東京の状況なんだな。実際は、数か月前から老人ホームでこれと似た事例が少なからず報告されていたんだが」
マニマニの口から告げられたのは、かなり深刻な東京の状況だった。まさかここまでだったとは予測がつかず、思わず三好は茫然としてしまう。
「そんなことが、知らなかった」
「思い返してみろよ。キノコ狩りに来てる人の数も、例年に比べて少なかっただろ」
「いや、それはわからない。例年どれくらい来てるのかを俺は知らないし、そもそもあの山には黙ってこっそり侵入してるから、どれくらい賑わっていたのかも不明だ」
「なんだよ。アンタやっぱり不法侵入じゃないか」
痛いところを突かれて、黙った。
「……コホン。それで、この件と君の島のことと、どう関係してるんだ?」
咳ばらいをして真面目そうな顔を作った三好。マニマニの声のトーンも、一段と深刻になる。
「いやそれがね、似てるんですよ」
「似てる?」
「そう。数年前から、こっちほど頻繁にじゃないが文字通り寝たきりになるジジババがちょこちょこ出ていて。だから、何か手掛かりがあるんじゃないかとオレはここに来たわけだよ」
そこで一度言葉を切って、マニマニはまっすぐに三好の目を見つめた。彼は数秒だけマニマニを見つめ返したが、すぐに鼻で笑うと、
「嘘だ」
はっきりと、マニマニの発言を否定した。
「君は自分の島で起こった事件が、東京でも起こっているからここへ来たといったよね。でも、だとすればどうして自分から出てきているんだ。そのハイテクスマートフォンで、電話なりなんなり病院か役所にかければいいのに。それに、そんな感染症について調べている君がマスクをしていないのはおかしい。うちの町内でもしている人が見られるのに。同じ病気だと思っているのなら、君がマスクを着けていない理由がわからない。そしてなにより、どうして俺の車に乗ったんだ。君はずっと南の方出身だと言ったよね。だとしたら、何らかの移動手段を持っていないのはおかしいと思う」
組んだ手をテーブルに置きまくしたてる。三好は貧乏ではあるが、バカではない。それにマニマニも気が付いて、目を見開いていた。
「まだ、何か俺に隠してるよね。正直に、話してくれないか」
「正直に、話したさ」
こち、こちと時間を刻む秒針の音がはっきり聞こえるぐらいの沈黙が下りた。微動だにしない三好に、マニマニは根負けした。
「嘘は言ってないんだ。本当にな。手がかりを求めてここに来たのは間違いない」
「でも隠し事がある」
「……まあね。初対面のやつにこんなこと言われたら、とてもじゃないが頭がおかし奴と思われるだろうなって思ったから」
「安心しろ」
三好は笑った。
「初めから思ってる」
「……そっか」
へへへ、と乾いた笑いをマニマニはした。
三好にとって、素手でタイヤロックを破壊できる人間はプロレスラーぐらいしか心当たりがなかった。まして目の前の少年にそのような力が宿っているなど、あの光景を目撃した今でも信じられていないというのに。
「夢想病は病気なんかじゃない。人為的に起こされた人災なんだよ」
「人災だって?」
三好は笑い飛ばした。
「そんなわけないじゃん。一体どうしたら、人間を眠ったままにしておくことができるのさ。毒? ガス? 仮に人災だったとしても、警察がそれに気がつかないわけないって。バカも休み休み言いなよ」
「気づかないんだよ。いや、気づけないんだ」
だが、マニマニは少しも動じなかった。
「ミョンシーはオカルトを信じる?」
「ミョンシー? 誰のこと?」
「アンタのことだよ。そうじゃなくて、オカルトって信じるかって話」
いきなり関係なさそうな話題を振ってきたマニマニに困惑しがらも、
「まあ、そう言う類いのは男のロマンが詰まってるからね。妖怪とか幽霊なんかがいるかいないかと聞かれたら、いると答えるかな」
「あ、そう。この世にはね、まだ化学じゃ説明できないようなことが山ほどあるんだよ。妖怪、幽霊、神霊とかね」
「待って、ちょっと話が見えない。どういうことなの?」
「名前をさ」
ふいにマニマニが机に乗り出した。
「聞いたっけ? オレ」
「へぇ?」
「ミョンシーの名前をさ」
「そんなの言ってるに……」
決まっている。そう思って記憶をたどってみたが、そういえばまだ三好は名乗っていなかったことに気が付いた。恐る恐る確認する。
「ちょっと。俺はまだ君に名前を名乗ってないんだが。ミョンシーって、完全に俺の名前知ってるやつの発想だよね。なんで」
「アンタの頭を透視したんだよ」
どこからか冷たい風が首筋を撫でた。窓の外は、いつの間にかもうすっかり暗くなっていて、通りを帰るおじさんの鼻歌がやかましかった。
「俺の島には昔から、島を守る神霊の言い伝えがあった。それによると、代々その神霊を肉体に宿すことで人柱になり島を守っている一族が存在するんだ。その一族の名は、柳。そして、その血はオレにも流れている」
そのことがさす意味を察せないほど三好は鈍感な男ではなかった。
「オレの体には神霊が宿っているんだ。さっきはその力を使って、ミョンシーの心を読んだ。そして、オレの神霊にはほかの神霊の存在を知る力もある。神霊なんだよ、この事件を起こしているのは」
「少し、考える時間が欲しい」
「……どうぞ」
三好は口に手を当てていた。そしてそのまま思考する。にわかには信じがたいが、しかし仮に本当だとすれば、不可解な怪力の説明がつくではないか。
長い三好の沈黙を破ったのは、マニマニではなく、玄関の扉がけたたましく叩かれる音だった。
「三好さん、三好さん。帰ってるの? キノコ、どうなってるの?」
「まずい」
一気に現実に引き戻された気分がした。意味もないのに慌ててふすまの陰に隠れてしまう。そんな姿を見てマニマニは心底不思議そうな表情を浮かべた。
「誰だ?」
「大家だよ。大方、回覧板を渡しに来たんじゃないかな」
「キノコって言ってるけど」
「東京では回覧板のことキノコっていうんだよ」
「じゃあ出たら」
「それはダメだ。俺は……、大家アレルギーなんだよ」
我ながらみっともない言い訳だ、と感じた。マニマニに家賃滞納のことを知られたくないからと適当な方便を話したが、どうせすぐばれてしまうのだと後悔した。
マニマニは信じているのか信じていないのか微妙な顔で立ち上がる。
「なら、オレが出るよ」
「待って! だめだ!」
「なんで」
「俺のアレルギーは、空気に触れるだけでアウトなんだよ」
「どんなアレルギーなんだよ」
そりゃそうだ。
マニマニは腕を組んで訊ねる。
「じゃあ、どうするつもりだ」
「帰るまで待つ。それしか方法はない」
「それなら任せとけ」
不服そうに眼を細めたマニマニは、ドアの方向に向き直ると、まっすぐ腕を伸ばして何事かを呟き始めた。それは以前高校で習った呪術のように聞こえた。
すると、あれほどまでにしつこかった大家さんの声がピタリと止み、そのまま彼女は階下へと降りて行ってしまった。
「……なにが起きたの?」
恐る恐るふすまから出て、窓を開けて廊下の様子をうかがうも、大家が隠れている気配は全く感じない。
振り返って、マニマニに尋ねる。
「君がやったの。神の力で」
「まあね」
そういうとマニマニは腰に腕を当てて胸を張った。何とか助けられたようだ。三好はほっと胸を撫でおろした。全身の力が、へなへなと抜けていく。
「か、神はずいぶんと便利なんだね。ありがとう」
「まあね。このぐらいは」
あっけらかんとそういう少年に、三好は得体のしれない感情を抱いていた。