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神のマニマニ   作者: 朝日ドライ
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キノコ狩りに行ったら、空から神が落ちてきたのだが

 十月。季節は食欲の秋である。秋刀魚に柿、芋、キノコ、なにを食べてもおいしい。特にキノコ狩りは一つの大ムーブメントといっても差し支えなく、毎年多くの観光客が訪れている。フリーターの三好明も、その中に混じってキノコを探し山を歩き回っていた。


 彼は、都内のオンボロアパートに一人暮らししている、家賃は滞納し、大家からは白い目で見られる日々。その日も、いつも通り平凡な朝だった。ちゃっちゃと溜まっていた洗濯物を干しているところで、力強く玄関が叩かれたのだ。


「はいはい、どなたですか?」


 寝ぐせと寝巻のまま、のっそり扉を開ける。そこには見慣れたへちゃむくれの顔があった。


「あ、大家さん」

「三好さん、こんにちは。こんな時間までゴロゴロとは、いい御身分ですな」


 いつも通りの冷ややかな視線がつき刺さる。心の中でため息が出た。


「家賃は明日必ず払いますから、勘弁してください」


 もう何度目かわからない言葉。最初は言うのが躊躇われたが、今となってはもうスラスラ言えてしまっている。言えているだけで罪悪感はあるのだが。


「いいのいいの。今日はその話じゃないからさ」


 しかし、存外に寛容な台詞があっけらかんと告げられて、拍子抜け。


「じゃあ、いったいなんの用で」

「いやね。もうすっかり秋も深まってきてさ、ご飯も美味しくなってきてるよね」

「そうですね」


 お金がない身には関係のない話だ。なんだかんだ言って、その手の楽しみを受けられるのはある程度の経済的余裕を持つ家だけ。貧乏暇無し娯楽無し、である。


「うちも昨日はお鍋したんだけど、これがおいしいのなんのって、食べ過ぎちゃって困るくらいよ」

「用ないなら私も暇じゃないんで」


 延々と続く生産性のなさげな無駄話を切り上げようと扉を閉める手が、すかさず押さえられた。


「今晩はね、キノコ。キノコ鍋でもいいし、焼いても美味い」


 力を込めて振り払おうともがくが、微動だにしない。なんて馬鹿力だろうか。

 そうこうしている間に話はついに確信へと迫っていた。


「あーあ、どこかの一文無しがキノコを沢山狩ってきてくれたら先月分の家賃は大目に見てあげるのになあ。松茸でいい」

「……俺に、キノコ狩りに行けと?」


 嫌な予感を口に出す。ただ、大家は静かに首を振ると先の発言に少し補足を加えた。


「買ってくるのでもいいよ」

「お金」

「嫌なら今すぐ家賃払うか、出てってもらうしかないからね」

「それはちょっと待ってくださいよ」

「わかったならささっと支度。いいね」


 それだけ言うと返事も待たずに踵を返して帰っていく。小さくなる背中を見つめながらオンボロ廊下に一人取り残され、呆然と立ち尽くした。大変悔しいのだが、家賃の話をされたら断れない。仕方がないと、三好は山行きの準備をした。


 適当なところで車を降り、山へ入る。お金はないので、もちろん不法侵入である。

 しばらく歩いていたが右を見ても左を見てもキノコは見当たらない、もう三時間にもなるのに、である。汗はだくだく、文句もたらたら、やる気は地にまでおちていた。


 キノコ狩りなどの行楽は、通常その手のプロがインストラクターに付くのだが、彼の場合不法侵入なので、素人一人で山をうろつくはめになったのである。

 何事も素人の仕事は雑で効率が悪い。その手のプロがついていない人間がキノコを得れるはずもなかった。その上、先ほどから行く先々で他のキノコ狩り集団を見つけては、バレないように隠れていたため効率も悪かった。


「なんで俺の行く先々に人がいるんだよ。きっとあいつらキノコ全部採ってるから、俺の分のキノコがないんだ。ちくしょうめ」


 時間がたつにつれて、やる気と引き換えに焦りが出てくる。このまま手ぶらで帰ったら、大家から文句を言われるのは目に見えている。何としても、せめて一つだけでも手に入れなければならない。しかしキノコは見つからない。大変まずい。


 自分自身が何かなせる人間だと考えたことはなかった。特に、今のような家賃も払えない生活が続くと、自尊心もズタボロになっていた。

 その上キノコもろくに見つけられないという事がその足から力を奪っていたのだ。

 自分に出来ることは、あるいは全くないのかも知れないと。


 そんなことをつらつらと考えていたためか、知らず知らずのうちに人のいない方向へと進んでいた。道中には立ち入り禁止の表示もあったのだが、そもそも彼はこの山の不法侵入者なので、警告看板が足を止めることはできなかった。

 耳をすませば遠くから水の流れる音が聞こえる。周囲には、自然がむき出しとなった木々が乱生している。


「昔の俳人、松尾芭蕉とかは、こんな景色を趣深いとかなんとか言ってたんだろうかね」


 曇り空からたまにさす陽光が眩しくて、ふと空を仰いだとき、ふいにどこかで人の声が聞こえた気がした。

 心臓が跳ね上がって、咄嗟に木陰に隠れ、周囲を見回す。だが、いくら探してもその場所には人の子一人見当たらない。


「……もしかして熊か?」


 危ない地域にいてしまったのだろうか。食欲の秋には熊も狂暴化することがあると、以前偉い学者先生も言っていた気がする。


 そろそろ引き返さなければと踵を返しかけたところで、再び人の声がした。もう一度辺りを探すも、誰の姿も見つけられない。

 さては幽霊でもでたのではないか、自分はまったく知らなかったが、ここは地元の人には有名な心霊スポットだったに違いない。そんないわくつきの所でキノコ狩りなどできたものではない。そういうことであれば大家さんも納得して許してくれるに違いない。あの人は根っからのオカルト信者なのだ。

 その場に留まり、逡巡した後、勢いよく立ち上がり、言った。


「帰ろう」


 一目散に元来た道へと走り出したそのときである。

 頭上で大きな爆発音がしたかと思うと、目の前に何かが勢いよく落ちてきた。それは三好の目の前に落ちてきて、彼の足を硬直させた。

 驚いたことに、よく見てみれば落ちてきたのは人間だった。ボロボロの衣服を着て、足はなぜか裸足の少年だ。


 この時三好は逃げることが出来た。まだ彼は三好に気づいていなかったし、尋常でない事態が起きているのは誰の目にも明らかだったからだ。

 だが、三好はこう予感していた。

 彼こそが、自分のうだつの上がらない人生を変えてくれる何かを持っているかも知れないと。

 話しかけようと近づいた時、少年は動き出した。


「痛い。くそが。思いっきりやりやがって」


 ムクリと元気に起き上がった少年はキッと空を見上げて、すぐに棒立ちになった三好に気づくと大きく目を見開いた。


「は? なんでここに人が。ここは立ち入り禁止のハズ……」

「へ、すいません!」


 立ち入り禁止と言う単語に反射的に謝ってしまう三好を横に、少年は何かを二言三言呟いて、険しい顔をすると三好の腕を力強く掴んだ。


「ちょっと、こっちに行くぞ」

「は? え? どういう」

「いいから。オレのミスだった。クソ」


 戸惑う三好に有無を言わさず、全速力で少年は走り出した。不意を突かれたため半分引きずられながらではあるが、とにかく腕がもげないように必死についていく。


 気が付くと後方から「どこに行った」「あのガキャ」「殺してやる」と物騒な大人のがなり声が聞こえる。追われているのだろうか。いや、もしかしたら不法侵入した自分を捕まえに来た地主さんかもしれない。今はただの無一文ぷー太郎なのに、そこに前科一犯までついたらますます就職ができなくなる。そしたら生活もままならない。というか殺すはやりすぎじゃないのか。とにかく、まずい。


「なんで引っ張るの? どこに向かって走ってるのさ」

「悪い。話し出すと長くなっちまう。巻き込んで悪いな。絶対に逃がしてやるから安心しろ」

「逃がすって、何から」

「後ろの追っ手から。捕まったら終わりと思った方がいいから、しっかり逃げてくれ」

「終わりって」

「オレのせいだ。大丈夫、逃げ切れさえすればなんとかなるはずだから」


 必死の様子の彼はおよそ嘘を言っているようには見えない。それがかえって三好の全身から血の気を奪う。終わった。


「そうだ。アンタ車かなんかないか?」

「あ、それなら、もう少し下った麓に停めてあります」

「ちょっと借りたい。あいつらから逃げるまで。ダメか?」

「それで逃げられる?」

「任せろ。逃げるのは、得意なんだ。車までの道案内頼むぜ」


 かくして二人は、追手から逃げつつ車を目指して走った。木の根を飛び越え、落ち葉を駆けて、追いつかれないように必死で走った。途中何度も転びそうになったが、その度に少年に支えられて、走り続けた。

 十分ほどして、もう大分山の下部に来たところで、遠くに舗装された道路と、見覚えのあるビートルを見つけた。


「あれだ! 俺の車!」

「もう少しだ! 気張れよ!」


 疲れ切っていた足に再び力が宿った気がした。息は、もうずっと前に切れていた。それでも走り続けられたのは、前科一犯になる恐ろしさと、生活がかかっている切実さのおかげだった。

 ガードレールを乗り越え、ようやく車までたどり着きカギを開けたところで、三好は自分の目を疑った。

 車のフロントガラスには、駐車違反の黄色い紙が貼られており、前輪には警察が取り付けたであろうロックがかかっていた。


「しまった! これじゃあ動かせない!」


 あと一歩のところで捕まってしまうのか。そう覚悟したとき、


「大丈夫」


 少年は難でもないように、当たり前の涼しい顔でロックを握ると、あろうことか手で破壊してしまった。


「なっ」

「さ、早く乗れ!」


 人間離れした馬鹿力に口をあんぐりさせ思考が停止する。一方、少年はさっさと助手席に乗り込むと、まるで自分の車のような口ぶりで三好をせかした。

 振り返ると、先ほどから二人を追っていた男たちがもう近くまで迫ってきている。

 瞬間、まばゆい光が三好の目をくらませた。


「しまった!」


 少年が悔しそうに叫ぶ。今のは、写真のフラッシュ?


「おい、早く!」


 怒った少年で我に返り、急いで運転席に飛び乗ると力いっぱいキーをぶん回した。けたたましい音を上げてエンジンが駆動する。


「ゴー!」

「わかってる!」


 とんでもない勢いで排気ガスを吹かせ急発進する車。バックミラーからは、ギリギリのところで振り切った追手が、こちらを呆然とうかがっているのが見えた。その両手に握られた猟銃が数発放たれる。幸い当たることはなかったが、ハンドルを握る手が再び震えた。いくらなんでも普通じゃないことが起こっているのがわかった。

 深呼吸を繰り返して、心臓を落ち着ける。呼吸を整えて、助手席に深く座った少年に言った。


「一体なんなんだ。事情教えてくれないか?」

「本当に、巻き込んで悪かった。とにかく今は逃げることに集中しよう。オレのミスだ。あいつらに写真を撮られちまった。これでアンタも捕まったら殺される」

「殺される? 俺が? どうして?」


 意味も分からずに逃げる。たかが不法侵入でどうして殺されなければならないのか。そもそも、タイヤロックを素手で壊せるこの少年は一体何者なのか。どうしてさっきの奴らは猟銃を構えてまで追いかけてきたのか。

 三好はひどく混乱していた。それと同時に非日常への扉を開けてしまったワクワクが胸にあふれていた。

 少年は神妙な面持ちで口を開く。


「オレはさっきの奴らから命を狙われてる。アンタは、向こうからしてみればその協力者だから、殺す」

「なんで君は命を狙われてるの?」

「それを説明すると長くなる。それよりも逃げる先だ。どこに行けばいいのか……」

 悩む少年に三好は提案した。

「俺の家に来るか? ボロアパートだが、目立つ場所にはないから簡単には見つからないよ」

「いいのか? 危険だぞ」

「仕方ないよ。俺も狙われちゃったしね」

「そうか。仕方ない、か。本当にすまないな」

「いいって。とりあえず今は少し休憩しなよ。事情を聞きたいしね」

「悪いな。アンタは絶対俺が逃がしてやるからな」


 そう言うと少年はすぐに眠ってしまった。


「さて、どうするかね」


 ありえない出来事の連続で、頭がこんがらがる。空から降ってきた少年、猟銃を持った追手、殺される。理解のできない情報が、頭の中でぐるぐる回る。

 結局家に帰るまでずっと、悶々と考えてしまいあまり気分は休まらなかった。

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