不死鳥の涙
姿勢を低くしたまま駆け抜け、蝙蝠に似た魔物の群れの真下を潜り抜ける。
辿り着いた最奥で一体を斬り捨てると、魔法防壁を挟んだ向こう側に人を見た。
魔力を振り絞って亀裂だらけの魔法防壁を必死に維持している少女。
その表情は驚きと戸惑いで満ちていた。
「よう、無事か?」
そう声を掛けつつ、振り向きざまに黒刀を薙ぐ。
死角から襲い掛かってきていた魔物を二体まとめて斬り裂いた。
「もうすこし頑張れ。すぐに片付ける」
意識を少女から魔物の群れへと向ける。
「空! 行けるな!」
「うん! 行けるよ!」
魔物を挟んだ向こう側に残してきた空が返事をし、虹色に輝く光剣が飛ぶ。
それに合わせてこちらも黒刀を振るい、黒炎の嵐を巻き起こす。
黒炎の嵐と光剣の乱舞に挟まれた魔物に対処のしようはない。
断ち切られ、灰となり、瞬く間に無数の魔物を死へと追いやった。
「よし」
見える限りの魔物を排除して、少女へと向き直る。
「た、助かった?」
魔物が一掃されて腰が抜けたのか、崩れ落ちるように座り込む。
「大丈夫か?」
「は、はい。私はなんとか――で、でも友達が!」
思い出したように自身の背後を指差す。
そちらに視線を向けると、大量に出血した怪我人がいた。
「俺に看させてくれ」
すぐに駆け寄って様態を看る。
腹部に深い裂傷があり、すでに多くの血液を失われていた。
顔が蒼白く呼吸も浅い。
必死に手当した形跡があるがこの様子だとダンジョンの外まで持たない。
このままなら。
「き、傷を焼くのか?」
右手に白炎を灯すと、彼の仲間から声が掛かる。
「いや、治すんだ」
右手を当て、再生の炎を灯す。
それは患部を癒やし、傷を焼失させる。
流血が止まり、抉れた肉が補われ、数秒ほどで治癒が完了した。
血色も微かによくなり、息も深くなる。
とりあえず、これで死は遠ざけられたはずだ。
「す、すごい……あんな大怪我が、こんなっ」
「で、でも、助かった。ありがとうございます」
「礼なら後でいい。それより他に怪我人はいるか?」
「こっちだ。足をやられた」
呼ばれてそちらへと向かい、血の滲んだ包帯を捲る。
こちらもまた深い裂傷を追っていた。
だが、止血が上手く行っていたのか、それほど血は失っていないようだ。
白炎を灯して傷を癒やし、重傷者の順に癒やす。
そうして気づいたが、誰も彼も大なり小なりの裂傷を負っていた。
どうしてこうも同じ怪我ばかりを負っている?
「理屈はわからないが、とにかく凄い回復魔法だ。これでとりあえず移動はできる。出来れば一刻も早くこの場から移動したい」
足を負傷していた少年が、このパーティーのリーダーだろう。
彼は立ち上がると焦ったように言葉を紡いだ。
なにかに怯えているかのように。
「……なにがあった? 怪我は蝙蝠共のせいじゃないだろ?」
「それは移動しながら話すよ。とにかく、ここに留まるのは危険だ」
その言動には強い意志があり、鬼気迫るものがある。
事情はまだよくわからないが、ここは彼の言う通りにするべきか。
「移動するなら、そいつに手を貸してやってくれ。血はそれほど戻ってないからな」
「あ、あぁ、わかった」
大怪我を負っていた少年が肩を抱かれて立ち上がる。
座り込んでいた少女も立ち上がり、俺達は揃って移動を開始した。
俺達が灯した白炎を道標に、ダンジョンからの脱出を計る。
「あいつは唐突に現れたんだ」
その最中、彼らの身に何が起こったのかを話し出した。
「あいつ?」
「人型の魔物だ。たぶん、階層落ちだと思う」
「階層落ちか」
階層落ちは基本、その階層の生態系における頂点と化す。
見たところ初心者のようだし、その前に階層落ちが現れたのなら壊滅も頷ける。
「どうなったかは知ってるだろ? まるで歯が立たなかった。あの時、幸村が機転を利かせてくれなかったら、あのまま全滅していたかも知れない」
「幸村?」
「魔法防壁を張ってくれていた幸村恵実」
「あぁ。なら、二回も救われてるな」
階層落ちとの遭遇時に一回、魔法防壁を張ってもう一回。
「頭が上がらないよ。キミたちにもね」
そう言った彼の言葉にはどこか覇気がなかった。
「篝くん!」
最後尾を任せていた空から名前を呼ばれ、すぐに振り返る。
見るべきは空ではなく、その視線の先である通路の奥。
そうして視界に納めたのは通路のど真ん中に立つ、人影。
その背からは三対の歩脚が広がり、一見して蜘蛛のようにも見えた。
だが、徐々に明確となる奴の輪郭を見て、それは間違いだったと気がつく。
顔面の集眼に両手の鋏、腰の辺りからは長い尾が生えていて、左右に揺れている。
奴は蜘蛛ではなく、蠍だ。
「お前たちは先にいけ。俺達が相手をする」
「任せていいのか?」
「あぁ、安心しろ。俺は不死身だ」
「……わかった、ありがとう」
彼はそう言って仲間たちを引き連れて退避する。
道順は白炎の道標でわかる。
怪我も治したから魔物と遭遇してもどうにかなるはず。
今はとにかく、あの蠍を模した人型の魔物だ。
あいつをこの先に行かせるのは不味い。
「わ、私も残ります!」
パーティーが退避するなか、ただ一人だけここに留まる意思を見せる。
幸村恵実だ。
「戦えるのか?」
魔力はそこを尽き掛けているはずだが
「大丈夫、出来ます」
そう断言するなら、考えがあるのだろう。
「よし、なら手伝ってくれ」
駆け足になって空の隣に並ぶ。
ゆっくりと近づいてくるスコーピオンが軽く両手を広げる。
すると、召喚したかのように通路の暗がりから無数の蠍が這い出てきた。
どれもこれも大型犬くらいのサイズをしている。
「二人は雑魚の処理を頼む、あいつに専念させてくれ」
「うん!」
「はい!」
役割分担をし、一斉に駆け出す。
それに合わせて蠍が押し寄せるが、それは問題じゃない。
黒刀を振るって黒炎を巻き起こし、進路上の蠍を灰にして駆け抜ける。
無数の蠍とすれ違い、そしてスコーピオンに肉薄して一撃を見舞う。
「流石に硬いな」
振り下ろした一撃は鋏の片方で受け止められた。
甲殻類を思わせる強固な外骨格は黒刀でも断ち切るには時間を要する。
だが、すこしずつなら黒刀はその身に沈んでいける。
「――」
このままでは断ち切られると悟ったのか、奴は鍔迫り合いを拒否した。
自ら身を引いて黒刀を滑らせ、再度踏み込んで鋏を薙ぐ。
迫るそれを黒い刀身で受け止めると、衝撃で後ろへと運ばれた。
砂塗れの地面に二本線を引いて踏み止まり、奴の怪力具合を把握する。
「怪力バサミってか」
基本的に人の腕力では魔物に敵わない。
だが、奴の鋏の片方に傷は付けられている。
火傷混じりの刀傷が、しっかりと外骨格に刻まれていた。
倒せない相手じゃない。
「――」
今度は向こうから仕掛けてくる。
近づいてくるスコーピオンに対して、こちらは左手に灯した黒炎を放出した。
視界が黒に染まり、その只中から赤く熱せられた外骨格が現れる。
振り下ろされる鋏を躱すと、砂レンガの地面が割れて破片が散った。
それを空中で断ち切り、水平に振るった黒刀が奴の脇腹を打ち抜く。
「チッ、浅いか」
外骨格が硬く、裂けはするものの深くまで刃が届かない。
道理で彼らが苦戦するわけだ。
黒刀だからこそ傷を刻めているが、生半可な攻撃では無意味に等しい。
「――」
振り抜いた黒刀を翻す間もなく、スコーピオンから反撃がくる。
それは左右に揺らめいていた毒針の尾。
鞭のように薙ぎ払われ、それを屈んで回避して立ち上がり様に黒刀の鋒を掬い上げる。
右脚から右肩に掛けてを斬り裂いて奴が怯む。
その隙を見逃さず、今度こそ刀身を翻す。
そうして幾度となく黒刀を振るい、連続して刀傷を刻みつける。
最後に力の限りに一撃を叩き込んで、その身を吹き飛ばした。
「あぁ、くそ。追い詰められてる気分だ」
こちらが攻撃しているのに、まるで追い詰めている気がしない。
何度、黒刀を振るっても外骨格が裂けるだけでダメージを与えられない。
表面上の攻撃が無意味とばかりに、スコーピオンは傷だらけの体で動き続ける。
怯みはすれど、致命傷は与えられずにいた。
「このままだと埒が空かないな」
大きく息を吐き、黒刀を構える。
こういう戦法は好きじゃないが、しようがない。
「――」
スコーピオンが駆け、至近距離にまで迫る。
まず突き放たれた毒針を弾いて踏み込む。
その時にはすでに奴も攻撃動作を終えていた。
繰り出される鋏による突き。
躱そうと思えば躱せたそれを、俺はあえて受け入れた。
「ぐッ……」
腹部が貫かれ、内臓が串刺しになる。
喉の奥から血が込み上げ、口の中で鉄の味がした。
だが、これでいい。
俺の攻撃もすでに済んでいる。
鋏が俺の身を貫くと同時に、黒刀も奴を貫いていたからだ。
斬り裂いた外骨格の隙間を縫い、黒い鋒を肉体に食い込ませた。
「でも……こんなもんじゃ、死なないだろ」
魔物の生命力は人間以上だ。
階層落ちともなれば身を貫いたくらいで死にはしない。
だから、ここから更に一手を打つ。
「お前は串焼きだ」
黒刀を燃え上がらせ、スコーピオンを内部から焼き尽くす。
外骨格がいくら強固でも、内部が焼ければ関係ない。
「――ッ」
身を焼く苦痛に耐えきれずに暴れるが決して逃がさない。
鋏が捻られ、俺の内臓がぐちゃぐちゃになっても、より深く黒刀を突き刺して固定する。
更に火力を上げて内部を焦がし、刻み付けた刀傷から灰が舞う。
そしてついに力尽き、スコーピオンは力なく地面に倒れ伏した。
「ゲホッ、ゴホッ……あぁ、くそ。いってぇな」
だから、捨て身は嫌いなんだ。
すぐに患部に白炎を当て、再生を促す。
ただでさえ不死身で傷の治りも早いが、白炎によって更に効率があがる。
あっと言う間に痛みが引いて、ぐちゃぐちゃにされな内臓も元に戻った。
「ふぅ……」
完治した患部を摩りつつ、一息をつく。
「篝くん!」
それも束の間、空の切羽詰まった声が響く。
すぐにそちらへと視線を送ると、無数に渡る蠍の死骸の最中に空を見る。
その腕にはぐったりとして意識のない恵実が抱えられていた。
「どうしたっ!」
すぐに駆け寄って事情を聞く。
「急に倒れちゃって、たぶん毒針に!」
「毒、毒か……」
やはり無理をしていたのか、蠍から一撃をもらったみたいだ。
「解毒剤は?」
「持ち合わせは全部試したけど効果がないの」
「なら、俺のもダメか」
だとしたら、残された手段は一つか。
「行けるか?」
すぐに白炎を灯し、刺されたであろう傷痕を癒やす。
だが、全身を白炎で包んでも恵実の様態はよくならない。
「くそっ、毒までは無理か」
「そんな……」
傷は癒やせても、毒を無毒にはできない。
白炎は再生の炎だ。
灰から自身を蘇らせることが本来の用途であって、そこに解毒の効果は含まれていない。
「どうすれば……」
今から全力で走れば病院まで間に合うか?
いや、この様子だと持たない。
なにか打つ手はないのか。
「そうだ……篝くん、泣いて!」
「え、あ、泣く?」
「不死鳥の涙には浄化の効果があるって聞いたことがあるの。それで毒が消せるかも」
「そうか、浄化か」
俺も耳にしたことがある。
不死鳥が流した涙はどんな不浄も浄化し病を払う。
不死鳥憑きのスキルでそれが再現できるかも知れない。
白炎を消して試す価値はある。
「よし」
黒炎や白炎が手から出せるんだ。
泣かなくても涙を出せるはず。
炎を出すのと同じ感覚で、不死鳥の涙を生産する。
指をぴんと伸ばし、その先に意識を集中した。
すると、一滴の涙が空中に浮かぶ。
「これを……」
そっと指先を恵実の口元にやり、涙を呑ませる。
その瞬間、淡い光が全身を包んで掻き消えた。
「ん、んんん……あれ、私……」
そして、恵実が意識を取り戻す。
「はぁぁぁああああ……」
無事に毒が消えたことを確認して、大きめの溜息が出た。
「よかったぁ」
空も胸を撫で下ろしている。
「さぁ、はやくここを出よう」
恵実を抱き抱えて立ち上がる。
「途中の魔物は頼んだぞ」
「うん、任せて!」
プリズマソードが展開され、急いで白炎の道標を辿る。
そうして俺達はなんとか無事に遺跡ダンジョンを抜け出すことに成功した。
転移ゲートを潜ると、先に逃げていたパーティとも合流する。
恵実の仲間たちに何度も礼を言われ、こうしてなんとか無事に全員を助け出すことが出来た。
俺はここでようやく心の底から安堵できた。
§
「私をパーティーに入れてくれませんか?」
恵実がそう言ったのは、それから数日後のことだった。
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