黒い太陽
「ん……んん……」
本を読んでいると、ベッドのほうから声がした。
そちらに視線を向けるとぼーっとした表情をした少女が起き上がっていた。
「あれ……私……」
起き抜けで脳が働いていないのか、小首を傾げている。
「よう」
「ひゃぁ!?」
声を掛けると、素っ頓狂な声が返ってきた。
今ので目も覚めただろう。
「ど、どちら様ですか!?」
「まずは落ち着け。ほら、そこに水がある」
「あ、はい」
側に置いてるコップを手に取り、一口して息を吐く。
すこし落ち着いたようなので、本を閉じて話を続けた。
「今まで気を失ってたんだ。どこまで憶えてる?」
「えーっと……あ、そうだ。私……」
どうやら背中をばっさり斬られたことは憶えているらしい。
「で、でも……」
戸惑ったように少女は背中に手の甲を当てる。
「あぁ、背中の傷は俺が治しておいた。痕も残ってない」
「本当だ……あ、ありがとうございます! 助けていただいて」
「どういたしまして」
人に感謝されるのは何年ぶりだろうな。
「あ、あの……それで、ほかのみんなは?」
「あぁ、連中なら逃げたよ。倒れた仲間を見捨ててな」
「あっ……」
そこから先の記憶を思い出し、少女の表情は一気に暗くなった。
「……そっかぁ」
見捨てられるのは、たぶんこれが初めての経験だろう。
信頼していた仲間に捨て置かれるのは精神的にもかなりキツい。
俺も初めて組んだパーティーで捨て駒にされたときは、夢を追うことが怖くなったっけな。
「私……本当なら死んでいたんですね」
涙ぐみ、声が震えている。
これは相当、参っているな。
「まぁ、そう落ち込むな。世の中、薄情な連中ばっかりだが、そうじゃない奴もいるにはいる。自分の命を預けてもいいと思える相手を探すといい。そうすりゃ今回みたいなことは起こらないさ」
俺はそういう相手を見つけられなかったが、同じ末路を辿るとは限らないしな。
「貴方みたいな、ですか?」
「俺か? そいつは、ちと気が早すぎるな」
まぁ、仲間を裏切るような真似をするつもりはないが。
「今は精神的に参っているから、そういう風に見えるんだ。注意しとかないと付け込まれるぞ」
「ふふっ、良い人ですね」
「だから、そういうとこだっての」
まぁ、今はなにを行ってもダメかもな。
「着替え、そこに置いてあるから着替えとけ。背中ばっさりやられてるだろ?」
席を立ちつつ、そう告げた。
「ここの農家の人が用意してくれたんだ。この部屋もな。あとで礼を言いに行こうぜ」
ドアノブに手を掛けて開く。
「じゃ、俺は出てる。終わったらリビングまで来てくれ」
「は、はい。あの」
「ん?」
部屋を出ようとして呼び止められた。
「名前、教えてもらえませんか」
「そう言えば自己紹介がまだったな」
「私の名前は虹乃空です」
「俺は蒼崎篝だ」
今更になって俺達は互いの名前を知った。
「ありがとうございます、篝くん」
「そいつは家主に言えって言ったろ?」
軽く笑って俺は部屋をあとにした。
§
きちんと礼を言って、俺達はダンジョンから出ることにした。
第一階層は塔外の時刻とリンクしている。
空はすでに茜色に染まっていて、夜が近いことを知った。
「病み上がりで悪いが急ぐぞ。夜になると面倒だ」
「はい、私は大丈夫ですから。急ぎましょう」
どうやら背中の太刀傷は完治しているみたいだな。
痛みもないようだし、これなら平気そうか。
「グルルルルルルッ」
時折現れる狼に似た四足獣型の魔物を、黒炎で灰燼に帰して先を進む。
「す、すごい火力ですね、その黒い炎」
自分自身を燃やして灰燼に帰す死の炎だ。
半端な火力では桁外れの生命力を持つフェニックスは死に切れない。
だからこその骨まで焼き尽くすこの火力だ。
「こっちは戦闘用だからな」
「戦闘用? なら、別の炎もあるんですか?」
「あぁ、こっちは回復用だ」
そう言いつつ手の平に白炎を灯す。
「背中の傷もこいつで治した。触っても熱くないぞ」
「ほ、本当ですか? じゃ、じゃあ」
恐る恐ると言った風に空は指先を近づける。
それを見てふと悪戯心が芽生えた。
「わっ!」
「ひゃあっ!?」
驚いた空は跳び上がるような悲鳴を上げた。
俺はその様子に笑いを禁じ得なかった。
「も、もう! 篝くん! ひどい!」
「はははっ、いや、悪い悪い。ものの見事に引っかかるからさ」
「もう! もう! 笑わないで! 篝くん!」
背中をバシバシと叩かれつつ、夕闇に染まりつつある第一階層を進む。
地平線の彼方から透き通るような夜空が追い掛けてくる。
それに追いつかれないように転移ゲートを目指した。
「ちょっと不味いか」
上空の様子を見つつ呟く。
「どうしたの?」
「いや、ちょうど逢魔が時だからな。こういう時はたまに――」
噂をすれば影。
黒い靄のようなものが無数に現れて周囲に落ちる。
それは魔物の形を象り、瞬く間に大規模な群れを作り上げた。
「よくないことが起こる」
案の定、起こった。
「ワォオオオォオオオオッ!」
先ほども相手をした狼の姿を模した魔物の群れ。
一匹が吼えると一斉に襲い掛かってきた。
「流石に相手していられないな。ゲートまで急ぐぞ」
「うん!」
大量の魔物に追い掛けられながらゲートまで急ぐ。
だが、人と獣の足では速度に差がありすぎる。
じわじわと距離を詰められ、更に――
「あっ――」
本人が気づかないところで体のどこかが不調だったのか。
空が躓いて転倒した。
「あぁ、くそ」
それを見てすぐ足を止め、空のもとに駆けつける。
「ご、ごめんなさいっ」
「気にするな」
とは言うものの、魔物に包囲されて逃げ場がどこにもない。
一体一体は弱いが数が数だ。
このままだとじわじわと嬲られるな。
「やれるだけ、やってみるか」
立ち上がった空を抱き寄せる。
「篝くん?」
そして白炎で全身を包み込んだ。
これで黒炎から空を守れるはず。
「覚悟しろ。狙う獲物を間違えたってことを思い知らせてやる」
頭上に黒炎の火球を灯し、夕闇に黒い太陽が昇る。
それを受けて魔物達は一斉に跳びかかって来たが、もう遅い。
黒炎で満ちた火球が爆ぜ、周囲にあるすべてを焼き尽くす。
あとに残ったのは焦土と貸した地面のみ。
牙を剥いていた魔物はすべて風に乗って散る灰となった。
「す、すごい……」
目の前に広がる焦土を見て、空は目を丸くした。
「俺もびっくりだ」
死の炎、その火力がここまでとは。
「もう魔物は残ってないな」
白炎を掻き消して周囲を見渡しても魔物の影はなかった。
「あ、あの……篝くん。その……」
「ん? あぁ、悪い」
抱き寄せたままだった空から体を離した。
「ありがとう。篝くん」
「まぁ、自分でも驚いたが、うまく行ったよ」
一気に魔物を葬れた。
「そうじゃなくて――それもだけど、見捨てないでくれたこと」
あぁ、そっちか。
「嬉しかったよっ」
そう言って空は吹っ切れたように微笑んだ。
「そいつはよかった。さぁ、外に出ようぜ」
二人並んでゲートを潜り、俺達はダンジョンを出て地上へと戻ってきた。
塔の外に出ると人混みの中に見知った顔があるのに気がつく。
空を見捨てた連中だ。
「虹乃! 生きてたのか!?」
「よかった、無事だったんだね」
「もう会えないかと思ったぜ、本当によかった」
誰も彼もが白々しい戯言を吐く。
連中が安堵しているのはたしかだが、それは空が無事だったからじゃない。
自分たちが仲間を死なせるような人間にならずに済んだからだ。
「そっちの人に助けてもらったのか?」
連中の視線がこちらに向かう。
「う、うん……」
「そうか、ありがとうございます。虹乃を助けていただいて」
「いいや、礼には及ばないぜ。あの時、お前たちがやるべきだったことを代わりにやっただけだ」
そう言ってやると連中の全員が居心地悪そうにする。
「し、しようがなかったんだ! 俺達から見た虹乃はもう……その、死んでいるようにしか見えなくて」
「それにあの階層落ちはとにかく強すぎて、とても敵わなかったし」
「わ、私たちも自分のことで精一杯だったの!」
口々に言い訳を垂れ流し始める。
「で、でも、今度は違う。次は絶対に見捨てたりなんかしない! 誓うよ!」
このパーティーの中でもリーダー格の男がそう言ったところで我慢の限界がきた。
「お前らまず空に言うことがあるんじゃないのか?」
「え?」
「まさか、ここまで謝罪の一言も出てこないとはな」
そう指摘すると連中は一斉に閉口した。
「口から出てくる言葉と言えば言い訳ばかり。自分を正当化したくて堪らないって顔に書いてあるぜ」
流石はあっち側の人間だ。
自己保身のことしか頭にない。
「まぁ、俺は飽くまで部外者だ。余計な茶々はここまでにするよ。どうするかは結局、空次第だからな」
「私は……」
空は迷う素振りを見せた。
こちらを見たり、あちらを見たりして悩んでいる。
どんな答えを出すにしろ、俺はもう口を挟む気はない。
黙って見ていると、リーダー格の男のほうが口を開いた。
「見捨てたことは本当にすまないと思ってるよ。でも、さっきの言葉は本心だ。次は絶対に置いていったりしないよ」
「うん、ありがとう。そう言ってくれて」
「じゃあ」
「でも、ごめんなさい。私はもうみんなを信じられそうにない」
はっきりとした拒絶の意思を空は突き付けた。
解釈違いのしようがない言葉に、連中は少なからずショックを受けているようだった。
「そっか……じゃあ……また、どこかで」
「うん、さようなら」
きっぱりとそう言って、空は別れを告げる。
連中は複雑そうな暗い表情をして、とぼとぼとどこかへと消えていった。
「あーあ、一人になっちゃった。誰かパーティーに誘ってくれないかなー」
わざとらしく空は言う。
「俺に言ってるのか?」
「うん、篝くんに言ってるの」
続けて、空は言う。
「命を預けてもいいって思える相手、篝くんしかいないから」
「精神的に参ってるから、そういう風に思うのかもよ」
「ううん、それは違うと思う」
空の瞳は真っ直ぐだった。
「……わかった」
当分はソロでいくつもりだったけど予定変更だ。
「俺とパーティーを組もう。空はほっとけないからな」
「あ、それどういう意味?」
「そのままの意味だよ。危なっかしくて目が離せない」
「もうっ、篝くんのいじわる!」
こうして俺達はパーティーを組んだ。
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