3.祝砲
気持ちのよい朝だった。
大学1年生の、6月のとある土曜日の朝である。
新しい土地での、憧れの大学生活は3か月目を迎え、新生活にも慣れてきたところだ。
カーテンからこぼれ出る朝日と、チュンチュンと聞こえるスズメの鳴き声は、理想的な朝の風景だった。
大学も休みだし、今日はなにをしようかな。
大学生という自由の身の、さらに自由な休日の朝である。
これから始まる素晴らしい1日に期待が高まる。
そんな時である、急に屁を扱きたくなったのは。
私はこの時、世の中は自分を祝福してくれているかのように思っていたのだ。
この急な放屁をしたいという欲求も、まるでパーティーの前に突然友人からクラッカーを渡されたような気でいたのだ。
この素晴らしい1日の朝に相応しい祝砲を挙げようではないか。
そんなことを思いながら、私は下腹部と尻に力を込めた。
屁にも様々なものがあるが、この時は大砲のほうなどでかい屁を扱きたいと思っていたのだ。
ここで、私は1つのミスを犯していた。
それは、この日の腹の調子がどうなのか、まだ確認していなかったことだ。
私は腹を下しやすい性質だ。
便秘になることは滅多にないものの、腹はしょっちゅう下している。
腹が冷えた時、牛乳を飲んだ時、緊張した時など、様々な時に腹を下した。
雨の日の約50%は腹を下している。
そして、その日は腹を下していたのだった。
力を込めた私は、体内を通り肛門へと向かうものが、屁ではないことを悟った。
正確には、それが肛門に到達した時に悟ったのだ。
祝砲を挙げろどころか、私は悪しきものを呼び出す儀式を自ら行ってしまっていたのだった。
屁とは異なるそれは、肛門をにゅるっと通過し、怒涛の勢いで外に溢れ出てきた。
さながらそれは、アビスゲートの奥に封印した魔物が、封印を破って外の世界を攻めてきたような、そんな感じだった。
その時、私は咄嗟に尻の筋肉に力を込めて、尻を閉じた。
それは、真剣白刃取りをする時の手のようだった。
その悪しきものの侵攻を、ぎりぎりのところで食い止めたのだ。
まさに英雄である。
私は尻に力を込めたまま、ゆっくりと立ち上がり、慎重にトイレに向かった。
悪しきものと英雄の戦いは拮抗していたため、トイレまでの移動には相当神経を使うこととなった。
トイレに到達後、私は諸問題を一気に解決することができた。
悪しき軍勢は一掃され、尻は清潔さを取り戻したのだ。
ただし、一つだけ、被害があったのだ。
すんでのところで英雄によって食い止められたと思われた悪しきものの侵攻だったが、パンツに1点、その茶色い爪痕を残していたのだった。
そのパンツは捨てた。
そして私は、一つの教訓を得ることができたのだ。
朝一番の屁は、本当に屁であるかどうか疑った方が良い、と。
なお、その日1日がどんな内容であったのかは、忘却の彼方に消え去った。