第21話 冒険者ジローのプロローグ
時は少々前後する。
芋討伐が失敗した、佐々木次郎たちが【原初の火】を食らった直後のこと――
「――た――え」
声がする。男の声だ。
「――起きたまえ」
意識がハッキリしてくると、自分が野原で寝っ転がっていることを理解した。
「ここは……」
「やあやあ、お目覚めのようだね。どうだい気分は? どこか変な感じはあるかい?」
「べ、別になんとも……」
妙に俺のことを気にする白人の中年。どこか見覚えのある男。
このファンタジーワールドでスーツ姿なのだから、否が応でも目立っている。
「似合ってるだろこれ。イタリア製の勝負服なんだ」
「はあ」
曖昧な返事しかできない。
というのも、状況がまったく不明だからだ。
「たしか俺、〝不滅の女王〟と戦っていて、それで――」
最後の最後、俺がファイヤーランスを撃ったところで記憶は事切れていた。
まわりには誰もいない。俺とスーツ男のみ。
「そうなると、ひょっとして俺……」
「君は〝不滅の女王〟と相打ちになった」
「マジかぁ~……勝てんかったかぁ~」
人生でトップ3に食い込むほどガンバったのに、勝利には届かなかった。
結局俺は、俺たちは、負け犬のままなのか。
「そう気を落とすことはない。私の設定したビリオンモンスターを相打ちとはいえ撃破したのは君たちが初だ。快挙といっていい。胸を張りたまえ」
「金もらえないんじゃ一緒で……」
ん? 待て待て。
「いま『私の設定した』って言った?」
男は「イエス」と答えて、スーツの襟を正した。
「挨拶が遅れたね。私はエドワード・リッチマン。このゲームの制作者だ」
「はあ!?」
「うんうん。わかるよ。そもそも私は資産家だ。システムエンジニアでもなければ機械工学に明るいわけでもないのでね、厳密にいうなら製作企画者? 制作総指揮というところか」
「いやいやいや!」
そうじゃなくて、そうじゃなくてさ!
どおりで見覚えあるわけだよ!
「あなた死んでますよね!?」
「もちろん。バッチリ死んだぞ。なんと死因は暗殺だ。いやはやまいったねこりゃ」
死んだ本人に朗らかに笑われましても……。
どんな顔をしていいのやら。
「仮想通貨なんて危なっかしいオモチャを転がすのが楽しくて、金融相場をひっちゃかめっちゃかにしたのが不味かったようでね、世界銀行総裁から名指しで怒られてしまったよワッハッハ」
「えぇ……」
「もともと倫理的にアウトな研究にも投資をしていた身の上だ。世界各国の諜報機関から命を狙われていたので暗殺もいまさら。どの国の機関が殺したのかも興味はない」
平然と恐ろしいことをいう。
しかし、何より問題なのは、彼の反応があまりにもリアル、人間味があることだ。
「リッチマンさん……あなた本当に死んでるんですか?」
「安心してくれ。どこぞの都市伝説と違って生存説はない。遺体も祖国に埋葬されている」
「じゃあここにいるあなたはAI、人工知能ってことっスか?」
「ふむ。生物学上の定義はさておくとして、そうだな。私は人工知能、エドワード・リッチマンの分身ということになる。しかしだね、私の記憶をもっていて、私と同じ振る舞いをする。果たしてそれは誰であるか?」
記憶と思考が一致して、なおかつ自意識を持つのだとしたら、それは人間でいうところの魂と呼べるものではないのか?
だが、そんな技術は世に出てない。ニューラルネットワークを用いたディープラーニングでも将棋が強いだとか、新手の発見とか、学習経験の積み重ねによる方法論の発展。自己認識性、とりわけ感情の領分は未踏域のはずだ。
「疑うのならチューリングテストでもしてみるといい。それで証明になるのなら」
「生憎と専門じゃないんでリッチマンさんの言ってることはサッパリっスけど……まだ担がれている可能性がありますよね?」
俺を騙して何の得があるのかは不明だが、まだひとつ、大きな否定材料がある。
「あなたがリッチマンさんを騙っているなりすますという可能性が」
「素晴らしい! 自律的懐疑性、論理的思考、まずまずではないか。君の場合、〝オーパスワン〟との相打ちというイレギュラーだったので心配していたのだよ」
「は? なんのことっスか?」
「察しの悪さもグッドだね! いよいよ人間らしいではないか」
ちょ、ちょっと待て。
リッチマンが、この人工知能が何を言いたいのかわかってきたけど、それって、つまりそれって――
「まだわからんかね? 君も私と同じ、人工知能だということだ」
「んなバカな!!」
緊急ログアウトして運営に文句いったろ!
そう考えてコマンドスクロールを出したところ……。
「緊急ログアウトボタンがねえ!? なにこれ、どうなってんの!?」
「まあ落ち着きたまえ。せっかくの良い天気だ。のんびり深呼吸でもしたらどうかね」
「うっさい! こっちはそれどころじゃ――」
そこでハッとなる。
鼻腔を通り抜ける爽やかな青草と土の匂い。
トゥルーライフに嗅覚は存在しないはずなのに!
「あえ? そんな、だって無理でしょ!?」
あの男の言うことを信じるとしてもだ。
人間一人の意識をまるまるコピーできたとしても、何台ものスーパーコンピューターを並列繋ぎにしているようなイメージだぞ!?
「離れた日本で、俺個人の意識をコピーするとか無理でしょうがッ」
「伊達に筐体ひとつに40万ドルの値はつけてない。君らは知らんだろうが、あれは一種の小型CTだ。脳波やバイタル、神経伝達物質の働きなど、リアルタイムでサーバーに送られていた」
あのバカみたいな通信量はそのためだったのか。
「もっとも、どこかの愚か者がブラックボックスに手を出そうとしたら、即座に回路が焼き切れるようになっているがね。やはりデータの破壊は物理手段に勝るものなしだ」
「そうやって、全プレイヤーをモニターしていたのかよ……」
個人情報もクソもねーな。
「ゲーム機という体裁をとるのは苦労したし、あれでかなりロープライスにしたんだぞ? おかげで経営陣から非難囂々、役員会議では自分の持株会社なのにのっとられそうになったもんだ」
クックックと思い出し笑いをするリッチマン。
「そうそう、近々あの筐体をバージョンダウンして、簡易小型CTとして売り出すようだ。また会社の株価が上昇するな。あ、むろんこれはインサイダー情報になるので他言無用だぞ。君も証券取引委員会のお世話になりたくはあるまい。あそこの監査はしつこいからな。鬱陶しさは国連NGOといい勝負だよ」
「そ、そんな心配じゃなくて! た、たしか人間の脳味噌をCPUに例えると何億? 何兆? 詳しくはわかんねーですけど、とにかく膨大な容量が必要でしょう? そんなもん、フィクション世界の量子コンピューターでもないかぎり……」
そこで言葉を詰まらせた。
まさか、まさかあるのか? 現実にフィクションが追いついたと!?
「君の考えるとおりだ。ノイマン型CPUでは実現できないファジー、とりわけ〝魂〟という概念を許容するにはそれしかないだろ」
「だ、だけど、そんな話はまったく聞いたことがないですよッ」
「ニュースや学術誌で挙がるような知識はあくまで表面でしかない。君が思うより、世界の裏側は進歩しているのだよ」
「そ、そんなこといっても俺には記憶が、子供の頃の思い出がある! 知識なんかじゃなくて、経験としての記憶があるんだぞッ」
「なるほど。では逆に問わねばなるまい。果たして記憶はどこに、どんなカタチをしている? すべてがニューロンの電気信号による経験の蓄積というのなら、精密な解析によって再現可能なのではないか? 思考も同じだ。交感副交感神経物質による生理反応や感情変化、経験則と行動統計による予測方針、それらすべても計算に含めたものこそが魂と呼ぶ何か――つまり『魂の量子化』による人工魂の生成だ」
クソッ! SFみたいな用語の羅列に目眩がしてくる。
なんだよ……もうわけわかんねーよ!!
「あんた、いったい何のために……」
「目的かい? それならたくさんあるぞ。まず長寿高齢化していく人類の人口問題、不老不死研究へのアプローチ。あとはそうだな……この先星間航行が可能になったとして、何億光年もの距離を生身の人間に、融通の利かないAIに任せるのかい? 少なくとも私はゴメンだね。信用ならん」
用途は様々あるらしい。
「この技術によって人類は様々な恩恵を受けるだろう。ことによっては新たなる人類の雛形、有機生命体からの脱却も可能になるかもしれないが――本音をいうとだね」
リッチマンは人差し指を立ててウィンクをした。
「私個人が楽しいからだよ」
このゲームが、このゲームをプレイする俺たちを観察するのが、ただ面白いというのだ。
そんな目的のためにシンギュラリティーだとかブレイクスルーを起こそうだなんて、愉快犯なんて生易しいもんじゃない。
考えてもみれば、面白半分で仮想通貨市場を大混乱に陥れて、世界中の個人投資家の首をくくらせてきた男だ。まともなわけがない。
夭折の天才投資家エドワード・リッチマンという男の背景は、もっと純粋で途方もない何か――
「あんた、本当に何者なんだよ……」
「スパゲッティー教の私がこういうのも憚られるのだが――」
そう前置きをして、リッチマンが宣言した。
「このゲーム内において呼称するならそうだね、〝神〟とでも」
◇◇◇
「さて、本題に移ろう」
リッチマンが寿○ざんまいのポーズで俺に語りかける。
受け入れがたい事実の連続に疲弊した俺に、さも楽しそうに語りかけるのだ。
「意識のコピーとはいえ、君は君だ。この場合〝転生〟と呼んで差し支えないと思うのだが、どうだろう」
「……〝転移〟でも〝転生〟でも好きに解釈すりゃあいいでしょ」
「だったら、やはり〝転生〟だ。新たな生を受けたのだからしっくりくる」
ひとりで納得してご満悦。
仮想世界の神様はディティールにこだわるらしい。
「日本のポップカルチャーにおいて、異世界に転生した者には特別な力を授ける慣わしがあると聞く。そこで私も君の新たな門出を祝して特別なギフトを贈ろうかと思う」
自称神様は慈悲深いこって。
まあくれるってんなら何でもいい。
もっというなら、この悪夢から覚ましてくれたらあんたの墓参りだってしてやるよ。
「そうだな。君のデータを拝見するに……」
リッチマンが勝手に俺のステータスウィンドウを開いて思案する。
ゲームの管理者だけあって、プライバシーリポートも自由自在ってわけかい。
個人情報を流し見ていたリッチマンが突然腹を押さえて吹き出した。
「ブフッ」
「……なんスか」
「いやいや失敬。日本では、童貞のまま三十歳を迎えると魔法使いになると聞くが、なるほど。たしかに君は魔法職だな」
「ほっとけやッッ」
新たな生を受けてまで童貞で弄られたくねーよ!
「しかし、既に君は魔法使いだ。そんな君がさらに童貞を続けるとなると、ただの魔法使いというのも無礼にあたる。大魔法使い、さしずめ『賢者』といったところか」
「てか、これが転生っていうのなら、俺だって生後0歳っしょ! ノーカンだノーカン!!」
「そう否定するものではない。いくら新生とはいえ、紛れもなく君の意識は現実からの連続体だ。その童貞、是非とも大切にしたまえ」
「余計なお世話だバッキャロー!!」
血涙を流さん勢いで掴みかかろうとしたときだ。
俺のステータス表示に新たな称号が加わった。
『称号【賢者】を獲得しました』
例のアナウンスが響いて、リッチマンが「贈り物だよ」と歯を見せた。
たったいま、この男は裁量ひとつでテキトーに称号を増やしやがったのだ。
「そうか、あんたか……そうやってあのときも、俺に【童貞】だなんて実用性皆無の称号を送りつけやがったんだなッ」
「さすがにすべてを把握しているわけではないがね、あのときは笑わせてもらったよ」
この男を一発ぶん殴ってやりたいところだが、まずは称号の確認だ。
またぞろデメリットだけのゴミ称号だったら目も当てられん。
『称号【賢者】――スキル【大魔法大全】が使用可能』
何じゃそりゃ?
そう思って、魔法コマンドのスクロールを開いたところで変化があった。
「こ、これはッ……」
俺が修得していた下位魔法や補助魔法の他に、もっとたくさんの、本来だったら職業適性で修得不可能な魔法まで載っているではないか。
「スクロール長ッ!!」
カーソルを最後尾へもっていくのも数秒を要するほどだ。
なにより驚愕したことは、まだ使用できない黒文字の魔法群。そのひとつとして見たことも聞いたこともない。
その意味するところ、Lv70止まりでバランス調整ガン無視のVRMMO、世界一高額なクソゲーと揶揄されていたトゥルーワールドの実態は、もっと深く広く、俺たちプレイヤーにも明かされていない未知があるというのか?
「未完のクソゲーが、完成していやがったわけだ……」
「サプライズだよ」
リッチマンが目を細める。
「生身のプレイだとどうしても制限がかかるのでね。感覚器官の再現まで負担させたら、とても一個の筐体では収まらんだろう。だから肉体は邪魔だった。余計なインターフェイスがなくなった分、よりゲームを鮮明に感じるはずだ」
「そ、それは……そのとおりだけど……」
「五感に痛覚、各種生理反応のフィードバックもある。ある程度現実と遜色ない体験をお約束しよう」
「マジっスか」
「もともとの出発点は娯楽だからな。その部分は開発当初からかなりこだわったものだ。なかでも料理に関しては自信があるぞ。長者番付上位の私がモニターになったのだ。味に関しては期待してくれたまえ」
リッチマンの台詞でハッとなる。
生理反応も再現しているだって?
バババッと身体中に触れて、股間のジョニーを確認する。
「まさか……できるのか!?」
「Hentai文化に敬意を表して」
「やったー!!」
世界各国の美女と浮き名を流した成金野郎がモニターなら、ムフフでアハンなお店のクオリティは保証つきじゃないっスか!
苦節3×年、とうとう俺にも春が来た。
二次元(?)美女とのめくるめくハーレムの予感!
「もちろん童貞を捨てたら賢者の称号はなくなるがね」
「ガッデムッッ」
チクショウが! ドチクショウめが!!
膝から崩れて四つん這いになって、草花をブチブチ引っこ抜いて八つ当たりして、地面に倒れてグネグネしたくて、目の前の成金サイコパス野郎に呪詛を永遠と吐き散らしたいけど仕方ない!!
我慢だ。ここは我慢しなければならない。
まだこの男には訊くべきことが残っているのだから。
「ぐぬぬぬッ、もう一個だけ質問いいっスか……」
「何なりと」
「もしも、もしもっスよ? 俺がこのまま死んでしまったら――」
ああ、見なきゃよかった。
あの顔。ニンマリと意地悪く歪んだ笑顔。
「君の知るNPCは死亡したらどうなったかね?」
「だよな……」
HP0で宝石化しないってことは、リザレクションも使えない。
データの魂は消え去るのみ。
いまとなっては俺もただのデータ、情報集積体にすぎないのなら人権もクソもない。神様の手のひらで転がされる哀れなモルモットってわけだ。
「リッチマンさん、やっぱこれクソゲーだよ」
「命懸けのな」
笑えない。まったくもって笑えねーよ。
そんな俺の絶望も、この男を楽しませるエッセンスにすぎないのだろう。
この状況に打ち拉がれている俺に、リッチマンは優しく語りかけてきた。
それこそ神様のように。
「悲しむことはない。君の未来は喜びに、冒険に充ち満ちているのだから――最後に君に、この言葉を贈ろう」
彼は大仰に手を振り、芝居がかった仕草でお辞儀した。
「トゥルーライフへようこそ」