勇者はただの村人のようだ ~最弱の呪文しか使えない村人は時間遡行でレベル4桁になりました~ (作者:するめいか)
「……永かった」
魔王の存在が視界に入ったその時……選ばれし「勇者」であるこの俺の口から零れ出たのは、そんな小さな呟きだった。
魔王……悪の根源にして、この世ならざる異形の主であり、現在戦争をしている魔物たちの王。
それが今、俺の目の前にある。
「やっと……やっと、ここまでたどり着いたぞっ、魔王ぉおおおおおおおおっ!」」
俺は剣を握りしめ、腹の底から、魂の底から湧き上がるような咆哮を挙げる。
……そう。
永い、永い道のりだった。
言葉にしても信じられない、誰に語っても理解してもらえるとは思えない、
そんな旅の果てに、俺は今、ようやくたどり着いたのだ。
魔王の間には、神殿の中のような重苦しい空気が漂い、魔王の姿はステンドグラスから差し込む光の所為で影に覆われ、その輪郭すらはっきりとは見えない。
そして、緊張の所為か、魔王が放つ重圧の所為か、それともこの空間が持つ重苦しい空気の所為だろうか。
俺の手足は震え、冷や汗が額と背中、手のひらから一気に溢れ……頬を流れていくが、生憎と今は、伝っていく汗を拭おうすら思わない。
──怯えている?
──そんな、筈はないっ!
──俺は……冷静だっ!
自分はこの瞬間をこそ望んでいた筈だと……両手に構えたままの大剣を強く握り直し、眼前の怨敵を討つ決意を新たに抱き直すと、床を蹴る。
「ぉおおおおおおおおおおおおっ!」
その声は、闘志が表に出た声であって恐怖を振り払うための悲鳴ではない……そう信じつつも俺は、手の中にある剣の感触だけを頼りに、俺を見ても悠然と構えたまま動じることのない魔王へと、一直線に襲い掛かる。
「いらっしゃい」
ふと、魔王がそんな言葉を発した。
異形の主にして人間と戦争をしている筈の魔物たちを率いる王が、人類の希望たる勇者に向けて、そんな場違いな言葉を。
だけど、俺の足は止まらない。
ただ両手に握ったままの大剣を大きく振りかぶり……
「勇者君のためにクッキーを焼いたんだ~。私の手作りなの」
俺には、その声の意味が分からない。
声は聞こえているし、何を言っているかも分かるが……さっぱり意味が分からない。
ただ、その小さな袋を差し出すような魔王の姿は……何故か可愛らしいシルエットをしている気もするその姿が、俺には見えず、俺の口からの叫びは止まらず。
そして、俺の両手から放たれた大剣が描く鈍色の弧は止まらない。
「えへへ、結構上手でしょ? よかったら勇者君に――――」
俺の放った大剣が、小柄な魔王の影を両断したその瞬間……何もかもが終焉を迎えたかのように世界は闇に包まれ……
「……ぁぁぁぁ……」
酷く、長い夢を、見ていた、気がした。
長く叫んでいたかのような咽喉の痛みと、身体中に噴き出す脂汗、そして辺りで紡がれる小鳥の声と、窓から差し込む朝日。
──また、か。
見慣れた天井、身体に馴染んだ部屋の空気、聞き慣れた鳥の声に慣れ親しんだ朝日。
目を開いて今自分が「何処にいるのか」を理解した俺は……起き上がることを拒否しようとする全身の細胞一つ一つをねじ伏せ、強引に上体を起こす。
何故、上体を起こす作業一つを身体中が拒否するのか……それは、俺が「これから何が起こるのか」を理解しているから、だろう。
「嘘だ、ろう」
そう小さく呟いたものの、朝日は消えず小鳥の囀りは止まらず、見慣れた天井の染みが見知らぬものへと変貌を遂げる筈もなく。
俺は毛布をかぶり直して目を閉じる。
──畜、生。
そう内心で呟く俺だったが……何かが変わる訳もない。
それほどまでに俺が朝を憂鬱に感じ、起き上がるどころか朝そのものを拒否しようとしている理由……それは、全て『昨日』にあった。
ただただ毎日のように鍬を振るい土にまみれ日々を生きるだけの農民だった筈の俺は、何の因果か『昨日』、人間全てを統べる我が国の王、デンガル国王によって「勇者」に選ばれたのだ。
魔王を……現在戦争をしている魔物たちの王を討つ者、即ち勇者として。
──瞳が紅いからって何だよ、それは……
そんな下らない理由で選ばれた俺は、当然のように戦う術など知る筈もなく……弱いどころかろくに役にも立たない呪文を、たった一つしか使えない。
必死に断固拒否し、全力でその任務を拒否しようとしたものの……結局、旅に出ざるを得ないところまで追い込まれてしまったのだ。
──くそっ。
──また、繰り返すのか。
──また、死ななきゃならない、のか。
……そう。
そして、俺はその旅路の果てに、死んだ。
一度ならず二度までも……いや、八度目以降は数えることすら辞めたほど。
数十度に渡って味わい続けた死の苦痛には未だに慣れず、そもそも最初は旅に出ることすら、戦うことすら苦痛でしかなく……
──あと、八日。
そんな俺が死ぬのは、今日の日付から八日以内。
ろくな呪文も使えないただの無力な村人、ただの餓鬼でしかない俺が……死んで死んで死んで死んで死んで死んで死に続けて。
訳も分からず理由も知らず、ただ延々と死に続ける俺は、いつしか魔王討伐だけが唯一の救いと考え……今回もまた旅に出ることになる。
「くそっ、くそ野郎っ、くそったれがぁっ!
逃げ出してぇっ、畜生っ!」
気付けば、そんな弱音を叫び運命を口汚く罵倒する俺だったが、それでも俺がこの何もかも苦痛でしかない旅から逃げ出さない……いや、逃げ出せないのは、ひとえに「これから仲間になるみんな」を見捨てられないから、だろう。
もしかすると、そうして死からも運命からも逃げ出せないからこそ、この俺が「勇者」なんかに選ばれたのかもしれないが……俺はそんな英雄になどより、ただ普通に暮らしていたかった。
「兎に角、もう一回、最初からだ」
そう吐き捨てることで、この朝から……この旅から逃げられないと覚悟を決めた俺は、毛布から出ることを全力で拒否しようとする身体に鞭打ち、身を起こす。
それでも手が首からぶら下げたロケットに触れていたのは、運命や神にすら縋れなくなった俺の、唯一の拠り所だったからかもしれない。
「忘れるな。2561、ヘレン、レイ……。
本、猫、妹……。イズ、ネメス、エル……大丈夫だ、覚えている。
今度は……今度こそは、うまくやってみせるさ」
頭を抑えるようにそう呟き、俺は部屋を出る。
これから魔王を倒す旅に出るというのに、今日から人類を救う旅に出るというのに……そんな俺を送り出してくれる家族などいやしない。
寝室同様生活感のない居間を通り、以前友人から「殺風景だ」と酷評されたのを何となく思い出しながら、キッチンへと向かう。
「……また、これ、か」
保存しておいた肉を焼き、自分で育てた野菜を沿えて……このキッチンで作るには少しばかり豪華な、だけど何度口にしたか分からないメニューを強引に口に運ぶ。
今日から旅に出るのだから他に材料など用意してある筈もなく、味付けを変えるほど調味料の種類もない……そして朝食を変えて気分転換と言えないほど、何度も何度も繰り返した朝食である。
俺の口からそんな溜息が零れ出るのも仕方ないだろう。
一応、肉も味付けの胡椒も貴重なものであり、この食事も農民だった頃と比べるとかなり豪華な分類に入るのだが……もう以前の食事が思い出せなくなるほどには、俺はこの死に向かう旅を繰り返してしまっている。
「失敗すれば……死ねば、またこれを食うことににある、か」
何度も繰り返した絶望の記憶と、今度も同じ結末を辿るかもしれない予感に吐き気を覚える俺だったが……食べないと旅に出るどころではない。
何とか呑み込むように食事を喰らうと、俺は部屋へと戻り……
──コレが必要になる……方がマシだった、な。
机の上に置いた……「昨日」の内に書いていた、たった一人しかいない友人に宛てて書いたその遺書を、苛立ちに任せて破り捨てる。
何しろ、俺は死ぬことがない。
いや、何度も何度も何度も何度も死んでいるのに、遺書というものが必要になったことがなかった、というべきか。
遺書の残骸が散らばった床を眺めると、溜息を一つ吐き、「昨日の内に」用意していた服に着替え、荷物を手に取ると……
「これで……今度こそ、終わらせてやる。
もう、死ぬのにも飽きてきた」
煉瓦造りの家を出る時に、挨拶代りにそう小さく呟くと、俺は……魔王を討つ勇者は何十度目かになる冒険の、第一歩を踏み出したのだった。
勇者はただの村人のようだ ~最弱の呪文しか使えない村人は時間遡行でレベル4桁になりました~ (作者:するめいか)
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※構成がほぼ触れなかった、というか自分も同じように書くなぁと。
※ただ、一人称にした方が繰り返しの憂鬱さを書けるかなとその点だけは改編してみました。