冬休み4
そんな風に悪戦苦闘しつつも、残りのパンの耳の幾つかを何とか白鳥に食べさせることに成功した。
手元にあった餌が空になり帰ろうとする二人の後を、諦めきれない白鳥の何羽かが川面を滑りながら追い縋って来る。期待を向けられ続ける万里は、何だか申し訳ない気持ちになってしまった。
「もうパンは無くなったよ。バイバイ!」
言葉では伝わりっこない、と思ってはいるものの、何とかそれを伝えようと万里は手を大きく振ってアピールする。橋を渡った所でようやく追い縋るのを諦めた白鳥を目にして、万里はホッと胸を撫で下ろした。
疾風はそんな白鳥達など放って置けとばかりに、サッサと前を進んで行く。
ついさっき、子供っぽさ前回で爆笑していたのが嘘みたいだ。万里をチラリと一瞥するだけで無言で帰り道を辿る疾風の背中を、彼女は再び恨めしく眺めずにはいられない。
「もうちょっと、居たかったな」
余韻も何もあったもんじゃない、と万里は思う。
冬休みだから、万里はいつものように疾風と一緒に帰ることなんて出来ない。割と頻繁に顔を合わせていた筈なのに、それを寂しいと思っているのは自分くらいなものなのだな、としんみりした気分になってしまう。
せっかく久しぶりに会えたのだから、ちょっと川べりでウダウダしておしゃべりくらいしたかったのに、と恨み言の一つも言いたくなったのだ。
「……何か言ったか?」
「! んーん、何でもない!」
ごくごく小さな呟きを拾われて、慌てて万里は首を振る。用事は終わった、とばかりに真っすぐ帰路につく疾風が、ポツリと呟いた一言を耳にとめるとは考えていなかった。
万里は疾風に、自分の我儘を聞いて貰いたい訳じゃない。
もしかしたら『もう少し話して行こう』と誘ったら、疾風は頷いてくれたかもしれない。だけど、それじゃあ意味がないのだ。
出来るなら疾風の方から自然に『万里と話したい』と、思って欲しい。
万里と会えなくてちょっと物足りない、とか。久し振りにあったから、もう少し一緒にいられたら楽しい、とか。そんな程度で良いから、疾風にも万里を惜しんで欲しい、そう思うのだ。
ひょっとして、自分は少し贅沢になったのかもしれない。
自分の気持ちを告白出来て、一緒に跨線橋を渡る間隣を歩けて、話し掛ければ応えてくれて。それだけで十分満足していた筈なのに。
いつの間にか。自分と同じように、疾風の方でも万里と一緒にいたいと考えて欲しい、なんて願っている。
余所者の『転校生』じゃなくて、ちゃんと同じクラスの『同級生』だと認識して欲しかった。だからアレコレアピールして―――それが何とか功を奏して、どうやら疾風には、同じクラスの一員くらいには認識して貰えるようになったとは思う。
けれども今ではもう、ただの『同級生』じゃ物足りなくなっている。
ちゃんと疾風からも望まれるような、『友達』までランクアップしたいと願ってしまう。自分がこんなに欲張りな人間だなんて、あの頃は思ってもみなかった。
もし自分のことを疾風が『大事な友達』だと言ってくれたら?
今度は自分はどんな風に欲張りになってしまうのだろう?……なんて、余計な心配まで浮かんで来てしまう。……『恋人』とか? イヤイヤ、それはまだ早い! と万里は思う。
確かに万里は疾風のことが好きだ。むしろ憧れている、と言っても良い。
だけどカレカノとか、そう言うのはもうちょっと先のことだと思うのだ。例えば中学生になってからなら、あり得るかもしれない。勿論疾風にその気があるかと言うと、無いに決まってるので、あくまで一般論。仮定の話なのだけれど。
けれども、万里は疾風と同じ中学校には行けない。それが現実。
父親の転勤は、既に決定事項だ。
それに付き合うとか付き合わないとか、実は万里にとってそう言うことはあまり重要ではない。
ただ万里は、疾風に惹かれているから一緒に居たいと思っているだけだ。今、言葉を交わして隣を歩く時間を、宝物のように感じている。それで疾風にも自分のことを同じように思って貰えたら。―――これほど嬉しことはない、そう思うのだ。
だけどそれは難しいことだとも、ちゃんと認識している。だからこそ、そうだったら良いのに! と強く願わずにいられないのかもしれない。
疾風は同い年とは思えないくらい自分より落ち着いていて、将来の目標もしっかり持っている。一方で万里は、親から『勉強しろ』と言われたくらいで不平を漏らすくらいお子様だった。
疾風に興味を持って、別に馬に興味があるわけでも無いのに追いかけるようにポニー少年団に入ってみたり……これは今でも、思い出すだけで恥ずかしい黒歴史だ。ちょっとしたクラスの争いごとでグラグラ不安になってしまったり。自分が無いのにもほどがある。
だからまず、勉強とか出来ることを頑張ることにした。不安になっても、一呼吸して落ち着いてみる我慢も覚えた。たぶん万里は、彼のおかげで一歩前進できたとのだと思う。
だけど将来具体的に何をしたい、とか……そう言うことは、まるで思い浮かばない。
中学生になったら、なりたいものが見つかるだろうか? 高校生、若しくは大学生になったら? 流石にそこまで大人になれば、自分のするべき事がハッキリと掴めるようになるのかもしれない。何しろその年になれば、結婚だってできるようになるらしい。大学生はお酒を飲む人もいるし、政治家を選ぶ選挙権だって持つのだと聞いた。
でもその時にはもう、万里はこの場所にいない。疾風と気軽に話せる場所にはいないのだ。
もし中学校が一緒だったとしても。疾風は中学を卒業したら競馬の学校に入りたいと言っていたから、そこでお別れになるのだろう。そのままそれを仕事にしてしまうかもしれない。つまり彼は、やがて万里の手の届かない、遠い所に行ってしまう存在なのだ。
「ねぇ、大野」
そう、今は今だけ。
万里の呼びかけに、足を止めた疾風が肩越しにチラリと視線を向ける。
ギュッと拳を握り込み、万里は勇気を振り絞った。
「私ね、大野の友達になりたいの!」
思った以上に大きな声で、そう叫んでいた。
次話で最終話です。