EV~エレベーター~
「EV~エレベーター~」
私は暗闇が嫌いだ。
そして、私は閉鎖された空間も嫌いだ。
また今日も遅くなってしまった。
残業、残業、うら若き乙女をここまで残業で縛り付けるのも、いったいどうなの?
駐車場に車を停めて、チラリと車の時計を見る。もう10時を過ぎている。
まったく、何でこんな時間まで私の時間を使わなくちゃいけないの。
私は腹立たしくなって、車のドアを思い切り強く閉めた。
いつもの私らしくない、下品な行動だわ、気をつけなくちゃ。
車のドアの閉まる音があまりにも大きくて、私はふと我に返った。
カツカツとハイヒールの音をアスファルトに響かせながら、私は高層ビルのように高い自分のマンションを見上げた。
とりあえず帰ってきたわ。
早くシャワーを浴びて、ちょっとお酒でも飲んで寝たい。
ふと、隣のマンションが目に入った。
そして、そのせいで嫌なことを思い出してしまった。
先日、隣のマンションの一人暮らしの女性が集団の男に暴行されるという、身の毛もよだつような事件が起こったばかりなのである。
女性は24歳の独身。
私と全く同じ。
犯人グループは帰宅時間を狙って部屋に押し入り、複数人で女性に暴行を加えた挙句、金品を盗んで逃げた。
犯人グループは翌日には検挙され、グループ全員逮捕されたことで、周囲の住人は一安心したのだが、それでもその恐怖は私のような一人暮らしには影のように付きまとう。
駐車場からエントランスまでの間が奇妙に長く感じて、足早になる。
カツカツという自分のハイヒールの音だけが響く。
私は、急いでエントランスの段差を駆け上がり、エレベーターのボタンを押した。
最上階にあったエレベーターが下りてくる時間が、無性に長く感じられた。
13・12・11・・・早く降りてきて。
チラと腕時計を見る。
10時15分。
早く部屋に入りたい。
長い長い時間を待って、ようやくエレベーターがぐぉんと音を立てて降りてきた。
自動ドアは半分ガラスになっていて、降りてくるエレベーターが見える。
中には誰も乗っていない。
ドアが開こうとしたとき、エントランスの向こうから、男たちのがやがやとしゃべる声が聞こえてきた。
早く乗って閉めてしまおう!
私は、エレベーターのドアが開くのももどかしく、少し隙間が開いた瞬間に、中に滑り込んだ。
急いで14階のボタンを押しながら、外を見た時、エントランスから入ってくる男の集団と目が合った。
気がついた男は、エレベーターを指差し、間に合うぜ、といった口ぶりを見せた。
私は急いで、まだ開ききっていないドアを見ながら「閉」ボタンを連打した。
なぜなら、その若者たちの集団が、あまりにも派手で不吉なファッションをしていたからである。
詳しく見るヒマはない。
ただ、チャラチャラと金属を鳴らし、あたりかまわずやたらと飾り立てた男たちだった。
早く閉まって!私は心の中で叫びながら、ボタンを連打した。
ごぅんと一旦開いたドアが、すぐに閉まり始める。
男たちは慌ててエレベーターの方にかけて来る。
お願い間に合って!
ひたすらボタンを連打する。
ドアが閉まりきったか、閉まりきらないか、わからないくらいのタイミングで男の一人が、エレベーターのボタンに触ったようだ。
開く!?
しかし、幸いにも間一髪間に合ったようで、エレベーターはぐん、と一旦反動をつけるようにして上昇を始めた。
窓の外の男たちが、何事かを叫びながら横に走り出すのだけが、窓の外に見えた。
私は、ほっと胸を撫で下ろしていた。
しかし、エレベーターは3階に達した時、ぐぅん、とスピードを落として停まった。
窓の外を見ると、はあはあと息を切らした若者の一人が外からエレベーターのボタンを押しているのである。
私は、ビクリ!と飛び上がって戦慄した。
男は横の階段を駆け上がって、3階まで先に到達し、エレベーターを停めたのである。
私の意思に反し、エレベーターのドアが開き始める。
「おぅ、間に合ったぜ!おめぇら、おっせえなぁ。ダッシュすりゃ楽勝よぉ。へっへっへ。」
若い男は、エレベーターの中に乗り込んできて、私が立っていたコンソールの前に割り込んだ。
「えっと、15階…、と。」
そう言いながら、15階のボタンを押し、「開」ボタンを押し続ける男。
黒いTシャツの背中に髑髏のマークが大きく入った趣味の悪い服を着た男。
私はコンソールから少しだけ後ずさった。
男は大きな声で罵った。
「てめぇら、おっせぇんだよ!獲物が逃げちまうだろうがよ!早く乗れっ!」
獲物?獲物ってなに?
後から追いついてきた3人の若い男もはぁはぁと息を切らして、エレベーターに乗り込んできた。
3人の男は、エレベーターに乗り込むたびに、私を品定めするようにじろじろ見ていた。
男がボタンから手を離すと、扉は閉まり始めた。
私は、そこでエレベーターを降りてしまいたい衝動に駆られたが、それは間に合わなかった。
男たちは、全員が少しはぁはぁと息を荒くし、私の方を奇妙に好奇な目で見ている。
見るからに危ない。
ボタンを押した男は、モヒカンの先を赤く染め、耳や眉毛、鼻や、唇、いたるところにピアスをしている。
顔に細いタトゥーも入れている。
髑髏のTシャツを腕まくりして、ギラギラとした目をこっちに向けている。
後から入ってきた男たちも、3人とも大差ない。
一人は、この巨躯にのしかかられたら絶対に抵抗できないだろうと思われるような大男だった。
肩からは大きなタトゥーが見え、そばにいるだけでも震えがきそうな威圧感を持っていた。
残りの背の小さい男も、ジャラジャラとチェーンのようなものを下げ、まっ黄色に染めた頭に奇妙な髪留めをしている。
この男もタトゥーをしていて、見るからに危険極まりない。
最後の背の高い男は、濡らした様な髪をばさりとたらしたひょろ長い男で、その唇は終始ニタニタと笑っていた。
長い腕にはくまなくタトゥーが見られ、ぞっとする様な死神のような男だった。
4人の男は、私を取り囲むように立っていた。
全員が口には薄ら笑いを浮かべ、少し興奮したようにはぁはぁと息を吐き、ぼそぼそと隣の男と何かを話していた。
「…いいよなぁ…、どうよ…?」
「…いんじゃねぇの…、待ち遠しいぜぇ、いへへへ…」
男たちの視線を、胸に、腰に、脚に感じた私は、じりっとエレベーターの壁に張り付き、胸を隠すように腕を組んだ。
今日に限って、少し扇情的な胸元の大きく開いたセーターを着ている。
自分でも少し豊かだと思う胸の谷間がしっかりと見えている。
スカートもスリットの深く入った、体の線がはっきり見えるタイトなスカートだ。
怖い。
怖い!
男たちの視線が、私を舐めるように見ているような気がして、私はその場にいても立ってもいられなかった。
男たちは、絶えずぼそぼそ、とニタニタ笑いながら何かを話していた。
その間、私から一切視線を逸らしていないように見えた。
私は恐怖で気が狂いそうだった。
男たちが4人、取り囲むようにしてじっと下から上まで私の体を見ている。
まるで、その瞳の中で私を裸にして舐り回すかのように!
いや!
いやぁっ!
怖い!
怖いっ!
エレベーターはこんな時に限って進むのが異常に遅く感じられた。
まだ6階!?
耐えられない!
私は、胸の谷間を隠すように腕組みをして、じりっ、じりっ、とコンソールパネルに寄った。
その一部始終を嘗め回すように男たちは見ている。
ニヤニヤと笑いながら、こっちを見てる。
14階まで、まだ7階!
早く、早く、この場から逃げたい。
でも、14階に着いたとして、そこで追ってきたらどうするの?
出口を塞がれたら?
ああ、もうここでしゃがみこんでしまいたい。
足ががくがく震える。
でもだめ、何とかして逃げなくちゃ。
隣のマンションの被害者みたいになりたくない!
今、まさに男たちの視線が、乳房に、腰に、太もものスリットに、刺さるように感じる。
足が崩れ落ちそう。
このままでは私、ダメになってしまう!
私は決意した。
12階で降りて、階段を走ろう。
扉の閉まる時間を考えると、2階分くらいなら走った方が早く部屋にたどり着ける。
逃げなくちゃ!
先に部屋に入れれば、カギをかけてしまえば、後は警察に通報するだけ。
大丈夫、脚力には自信がある。
ダテにスタイルがいいだけじゃない。
私は機を伺いながら、コンソールパネルに近づいた。
男たちの包囲網が少し狭まったような気がする。
しかし、出口は塞がれていない。
9階を過ぎた。
男たちに見えないように、こっそり12階を押して、扉が開いた瞬間、ダッシュで外に出て階段を駆け上がる。
多分、男たちもそれは予期していないはず。
いける。
逃げなくちゃ。
私は「獲物」になんかなりたくない!
あんたたちの前に、この肌の端っこだってさらしてやるもんですか!
私は冷や汗をかきながら、コンソールパネルを背中で隠し、機を待った。
11階を過ぎた。
私はこっそり後ろ手で12階を押し、停まるのを待った。
ごぅん、とエレベーターは急減速し、12階に停まった。
男たちは何が起こったのか分からないかのように、辺りを見回し、誰かいるのか?とばかりにエレベーターの窓から外を見た。
ゆっくりとエレベーターの扉が開く。
私は脱兎のごとく、その隙間からエレベーターを滑り出た。
隙間が狭かったせいか、ドアの端っこにカバンをぶつけてしまった。
ガシャンと音がしたが、そんなことは構っていられない。
私は、そのままの勢いで、2階分の階段を駆け上がるつもりだった。
ドアが閉まれば男たちはエレベーターの中。
間一髪で、私の方が先に部屋に着くはず!
そこでがやがやと後ろで男たちの声がした。
男たちが降りる!
追ってこようとしているっ!
急いで!
急いでっ!
急いでぇっ!!
私の脚っ!
後ろから、追ってくる音がする。
私は一心に階段を駆け上がり、14階の廊下を駆け抜けた!
大丈夫っ!
男たちよりは早い!
間に合った!!
そう思ってカバンに手を入れた時、私の背筋に戦慄が走った。
カギがないっ!
カバンに入れたはずなのに、ないっ!
慌てないで、落ち着いて捜せばあるはずよ。
焦らないで!
焦っちゃダメ!
自分で自分に必死で言い聞かせた。
カバンの底から探ってみるが手に当たらない。
部屋の前でカバンを汗だくで探っている私の目に、階段を上がってくる男たちの姿が見えた。
ダメ!
急いでっ!
追いつかれるっ!
私は、その瞬間閃いた。
そういえば、スペアキーを免許証のケースに入れてあるはず!
それで今は開けないと!
私は、免許証のケースを取り出し、中から部屋のスペアキーを取り出した。
手が震える。
ガタガタと震えて、鍵穴に差し込めない!
男たちが廊下を走ってくる。へらへらと薄ら笑いを浮かべたような顔で!
早く!
早くっ!
私の手!
落ち着いてっ!
鍵穴はここ!
ほら、落ち着いてゆっくりと差し込んでっ!
カチカチとドアにカギが当たって定まらない。
なんとか、鍵穴にカギを差し込んで回した。
カシャン、カギの開いた音!
急いでドアノブに手をかけドアを開こうとした私の手を、狂気のような笑い顔をした男の右手が掴んだ。
いやあぁっ!放してっ!
私は、かっと目を見開いて男の方を見た。
今にも悲鳴を上げようかと言うその時、
男はその風体に似合わぬ、ニッコリと人懐っこそうで爽やかな笑顔を見せて、左手を差し出した。
「失礼、お姉さん、カギ、落としましたよ。コレ、ハイ。気をつけないと。」
(完)
これ以降は言い訳&あとがきですので、お読みにならなくても結構です。
あとがき
すみません!このオチ!読めてましたか?
実は、本物のバイオレンスにするつもりは、最初からありませんでした!
女性は密閉されたエレベーターなどでは、このように恐怖を感じているのだと言うことを伝えたかった、ただそれだけの短編です。
しかも、多分作者はバッドエンドにできない性格のようで、どうしても悲惨な暴力物にはできませんでした。
正直、作者、平謝りの駄作ですが、ご勘弁くださいm(_ _;)m