第三章
場所は変わって食堂。
そう言えばすっかり忘れていたのだけれど、僕たちが宿泊しているハートウォーム(血が出すぎて心臓が痛いぜって意味なのかもしれないと今更ながらなんとも的を得たネーミングセンスに感服いたしましたとさ)は入り口の上にある階段兼渡り廊下を境に南北に建物が分断されていて、S館は一階にラウンジ、二階は階段側の部屋にオーナー、奥にヒッキー。三階の手前の部屋は飛ばして一番奥に涼華と僕の愛の巣。N館(てっきりMだと思っていた僕としては非常に残念だった)の一階は食堂、二階の手前は故ムッツリ氏、奥は女子大生AB、三回の手前は失禁OL、奥は不倫カップルABという部屋割りになっている。
ラウンジにはソファーが南の端に一つ、南北に長いテーブルを挟んで対岸にソファーが一つ。テーブルの両脇に三人掛けのソファーが一つずつという配置になっている。南端のソファーは未だにV字さんが占領しているため聖域と化している。
意外と大きめの食堂にはテーブルが大小合わせても優に十以上はあり、皆さん疑心暗鬼になっているのか、各々近しい人間と二人なり三人組になって黙々と朝食(固形物を摂取しているのは僕と涼華だけなんだけど)を摂取している。
朝食はどうやらバイキング形式を採用しているらしく、僕と涼華は両手に持ったトレイになるたけたくさんの料理をと競うように載せていた。もちろん二人ともミネストローネにトマトジュースは欠かせない。途中で僕たちが喜々として赤い物体を口に入れるのを見かねたのか、傷心OLが口を押さえて食堂を後にしたが誰も何も言わない。やっぱり朝食は静かにゆっくりと。一日の始まりは優雅でなくっちゃね。
「あ~お腹いっぱい」げふぅ。あ、失礼。
僕は口の周りについた血液、じゃなくて主にトマト。をナプキンで拭き取ると。辛気臭い顔で目の前のジュースやらコーヒーやらを見つめている皆さんに提案した。
「ところでっ」全員が図ったようなタイミングで震えるのって、見ててなかなか楽しいかもしれない。夕食の時にもう一回やってみよう。うん、そうしよう。
なんだろう、どうやら涼華と僕は他の全員に悉く怯えられているような気がする。やっぱり朝食はスパゲッチーにするべきだっただろうか。んでもあのミートソースのパスタ、なんか見るからに不味そうだったんだよなぁ。あれなら小学校の給食に出たナポリタンのほうが美味しいに違いない。給食のおばさん嘗めたらあかんぜよ。
「みなさんはこれからどうします? 僕としては、命が大事な人は部屋に鍵をかけるなりしたなるべく誰かと行動を共にした方が良いと思うんですよ。まあ――」
この時の僕の笑顔ったら、涼華が危うく昇天しかける程だった。傷心OLなら即座に床に飲んだコーヒーを漏らしていたことだろう。その色が気になったけど涼華に怒られそうなので、皆さんに止めの一言を差し上げた。
「同室の方が殺人鬼でないと言う保証はないんですけどね」
「き、君はさっきから一体何なんだ!」
そう言って声を震わせながら立ち上がったのはペンションのオーナーさん。いけませんよぅオーナーさん「人を指で差したらダメって言われませんでした?」勿論首を傾げるのも忘れません。「立葉りゃん可愛いぃ~」悶えているのは涼華一人だけで後の皆さんは揃いもそろって戦々恐々、オーナーさんなんか歯の噛み合わせが悪いのか、ガタガタと奥歯を振るわせる始末。三十代
でそのレベルだと、老後は総入れ歯ですな。心中お察しします。
「そうそう、言い忘れていましたが、僕は涼華の助手です」
「助手って、君たちは一体何者なんだ」ええええ、オーナーさん。その問いかけは至極当たり前に生じる疑問によるものですね。判ります。
「僕たちは」
僕は目の前の席でトマトジュースを飲んでいる涼華とアイコンタクト。登場シーンでこけたら探偵が泣いて飽きれる。
『(迷)探偵です(よんっ)』
…………ああ、ゴメン涼華。打ち合わせしなかった僕がいけないね。でも、そんな君が可愛いから僕はいつも打ち合わせをしないんだ。だから今日も昨日も明日も明後日も、年柄年中無休で無給、僕にとっては涼華記念以下略。
あーごほん、閑話休題。
「……は、はぁ」
やっぱり反応はそうなりますよねぇ……。
「と言う訳で、犯人さんには悪いですけれど、ここは一つ、奇麗さっぱり自主なんて考えず、僕たちを殺すのが早いか僕たちに暴かれるのが早いか、徹底的に勝負といきましょう」
まあ、きっと犯人さんは今頃罪の意識かスパゲッチーになった元恋人を思いだしてかしりませんが、トイレでびちゃびちゃやってるんでしょうけどね。
全くもって殺人鬼というのは、何がしたいのか判りませんね。自分で殺したくせに、それにショックを受けるなんて、僕には到底理解出来ない。殺して後悔するような相手なら殺さなければいいし、殺してもなんとも思わない人間の末路を思い出してびちゃびちゃなんてもってのほかだ。
みんなみんな、あまりにも生きるのが下手過ぎる。
一応何かしらのカロリーを摂取し終えたところで、僕たちは全員でラウンジに集まってムッツリ氏(V字氏が体勢を改めたので呼び方を変えることにしました、死んでも迷惑な人ですねぇ)と昨日の夕飯の残骸を片付ける作業に移りました。と言っても、傷心OLさんなんか皆が片付けていく端からびちゃびちゃ汚すものだから、見かねたオーナーさんに素敵な前掛けを頂戴していました。それを見た他の皆さんも失禁さんだけ不公平だろうと(みなさんびちゃびちゃだった訳です)猛抗議。結果的に探偵コンビ(え? 前に変態が必要だって?)以外はオーナーさんも含め、絨毯を拭いては吐いて拭いては吐いてと、まるで地獄のいつまでも終わらない拷問のようでしたとさ。
そんな訳で皆さん昼食を入れるはずの胃袋はムッツリさんよろしく度重なるびちゃびちゃですっかりズタズタになってしまい、変態コンビの僕達だけが昼食を摂る運びとなりました。
「ねえねえ立葉」
「なんだい涼華」
「さっきから私たち食べてばかりな気がするのだけれど、気のせいかしら」
「気のせいかしら?」
「かしらかしら」
『気のせいかしら~』
二人とも当時は小学校低学年だったはずなのに、意外と覚えてるもんだよなあ。少女革命。
「ねえねえ涼華」
「なになに立葉」
「やっぱり、犯人は傷心OLで決まりなのかな?」
「そうね、失禁OLで決まりだと思うわ」
「痴情のもつれ?」
「こんぐろまりっとね」
「ビルトインスタビライザーってなんか、かっちょいい変形ロボットみたいだよね」
「そうね」
『はぁ~……退屈』
早く次の殺人事件でも起きないかなあ。
探偵がそんな事言ったら不謹慎だって? いいじゃない、迷探偵なんだし。しかも自称だし。
僕たちが長いランチタイムを満喫し終えてラウンジに戻ると、異臭はともかくとして、絨毯はなんとか昨日までの面影を取り戻しつつあるように思えた。まあ、ところどころ黄色いのは御愛嬌ってことで。スピューの染みって、なかなか落ちないんですよね。
「それでは皆さん、作戦会議といきましょうか」
『……………………』
あらら、すっかり皆さんお疲れのようです。
まあ、はしゃぐだけはしゃいだことですし、一回涼華ちゃんとバトンタッチでもしますか。
「へい涼華」
「お、おう!」
失禁OLさんを含めた全員がソファーに座っている事を確認した上で(犯人さんが死体のあったソファーに座っている図はなかなかにシュールなものですな)「あー、あーあー」と喉の調子を確認してすっと一呼吸おくと、涼華は僕と会う前の彼女。鷲宮グループ総帥の令嬢としての有無を言わさず耳朶を揺るがす声でとうとうと語りだした。
「まず今回の殺人において、犯人の特定を大まかに特定する基準として、空間的な密室、豪雪による建物自体の隔離と言うものがあげられます」
きっと全員揃いも揃って涼華の事をバカップルの片割れ、くらいにしか認識していなかったのだろう、どれもこれもだらしなく開いた口を閉じられずにいた。
「この豪雪は予報によると向こう一週間は続くであろう記録的なものであることから、私たちが生き残るためには、ある程度の行動の制限が必要になってきます。一つは、自分の身内をいれた三人以上のグループで行動すること。もう一つは出来るだけ全員が一箇所にかたまっている状況を避けること」
「ちょっと待ってくれ」
律儀に挙手をして涼華の話を中断させたのは、犯人の傷心OLを除いてはただ一人、身内と呼べる存在がこの中にいない、自宅警備員のヒッキーだった。
「はい、どうぞ。発言を許可します」
この場の支配権は完全に涼華のもとにあった。涼華がヒッキーの発言を拒否してしまえば、他のだれも発言することは出来なかっただろう。現にヒッキーにしてみても、思わずといったところだろうか、挙手をした直後に後悔をしたような顔を色を覗かせていた。
「あんたの言うとおりに行動すると、身内のいない俺とそこのOLさんが不利なんじゃないか? それに、出来るだけ全員が一箇所にいる状況を避けるってのはどう考えてもおかしいだろ。みんなが同じ所にいればそれだけで誰かを殺すなんて難しくなるし、三人グループが基本とはいえ犯人が一人とは限らないんだし、確実に死人が増えることになるぜ?」
んーまあ、六十点といったところだろうか。残念だけど、そんなんじゃヒッキーには涼華の助手は務まりそうにないな。
「それの何がいけませんか?」
ほらほら、こういうことになるでしょ?
二年とちょっと前の僕ならば、ヒッキーと同じような愕然とした表情を浮かべていただろうけど、今の僕は、そんな顔の三歳以上も年上のヒッキーを見て『まだまだ青いな』とさえ思ってしまう。
そんな普通の人間が、迷探偵なんて間違っても名乗る訳がないじゃない。
「さっきも言いましたよね。私と立葉は、殺人鬼に対して勝負を挑んだんです。勿論私と立葉は二人で行動します。このままだと私たちは遅かれ早かれ、殺人鬼を追い詰めることでしょう。期限はこの記録的な豪雪が終わって警察が到着するまで。それまでに私たちを殺せれば貴方の勝ちです。ね、簡単でしょう?醜悪な殺人鬼さん。ええ、私は貴方のような人間が大嫌いなのですよ。正直同じ空気を吸うのも我慢がなりません。
どうです? 名前も無い一般人の皆さん、ここまで言う私たちと一緒に居て、それでもあなた方は自分の身の危険を感じますか? 殺人鬼さん、一介の私立探偵風情にここまで言わせておいて、それでも自首しようなんて思いますか? それは違うでしょう? 鬼意外のみなさんなんか生きていようが死んでいようが私には関係ありません。これは、私たちと殺人鬼さんのゲームです。
しゃしゃり出て無粋な真似をする位なら、いっそ部屋に鍵をかけて布団でも被って震えていなさい。
もう一度言います。邪魔をしたら、殺しまひゃんっ」
うわー、僕のせいで、涼華のなが~い決め台詞も台無しだ。
だってだって、うなじが美味しそうだなぁ~って。
舐めちゃいました。
反省はしていますが後悔はしていません。
こんな訳で、ゲームは始まっちゃったのでしたとさ。