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第十九章

 作戦会議が始まってからまだ一時間と経っていない今、僕はペンション内をあてもなくふらついていた。追い出された訳ではない。追い出された訳では、ないよね?

 携帯電話による不祥事を起こしてから何もすることがなくなった僕は、仕方なく変化のないモニターの画面を眺めていたのだけれど、それはもう延々と同じ景色を薄暗い部屋で見ている訳で、気づくとベッドで横たわっていて、顔を上げたら笑顔で僕を凝視し続ける涼華と目が合った。

無言で渡された二つの紙袋と無骨なイヤホンを寝ぼけ眼で見つめていたら「立葉ちゃん、お使い頼めるかな」と退出を命じられた。あれ、これを追い出されたって言うんだっけか。

僕が寝ている間に涼華が何を思いついたのかは知らないけれど、きっと、誰にとは言わないけれど、とても都合の悪いことを思いついたのだろう。

 さしあたって僕の興味をひくのは、二つの紙袋よりも、線の伸びていない用途不明のイヤホン。形状から考えると耳に掛けるタイプのはずなのだけれど、側面からはラジオのアンテナのような短い金属製の棒が伸びていた。そして何よりも特徴的なのは、耳の後ろを通って口のあたりまでマイクが伸びていること。どうやらこれは受信だけでなく送信もできるらしい。

 ここまでくると、これが何であるのかという疑問の九割強は霧散した。

 間違いなく、小型の無線機の類だ。

 と言うことは、僕は追い出された訳じゃなく、立派に仕事を与えられていたようだ。立葉だけに。

 伸びた髪を掻き分けて、イヤホンがざりざりと耳へ侵入を試みる。「ひぃぃ」失敗。イヤホンと共に耳へと侵入した髪は鼓膜近くまでを蹂躙し尽した。あまりのむず痒さに悲鳴と一緒に立った鳥肌から何かが飛び出しそうになった。産毛とか血管とか。

 二度目の装着を試みる前に、スイッチがオフの状態だったことに気づいて、音量ツマミらしきものを最大にしてからスイッチを入れる。

 ザー、ザー。と手に持ったイヤホンから小さなノイズが走る。この音量なら耳に装着しなくても、手に持っているだけでしばらくは大丈夫そうだ。あの痒さはもう体験したくない。

 それにしても「やることないなー」ほんとに。

 目の前にかかれた会議室の張り紙が恨めしい今日このごろ。と言うかこの距離なら無線機の必要なんか全くない。同じ家の中にいるのに携帯電話で連絡を取り合う家族みたいだ。涼華の家は置いておいて。

「あの家何坪あるんだろうねー。ねえ」

 あまりの暇に心の声が口から漏れた。照れ隠しで近くの壁に話しかけてみたけれど、放った羞恥心が跳ね返ってくるだけだった。切ない。

「ぷぷ」

 不幸にもマイクが心の声を拾ったらしく、涼華の笑い声がイヤホンから聞こえてきた。万が一に備えて会議室の前もモニターの画面に映し出されているのをすっかり忘れてた。

「あーあーあーあーあー」今のなし、今のなし!

 穴があったら入りたいくらい恥ずかしいけれど、至るところに設置されたカメラが逃げることを許さない。それでも逃げ出しもせずマイクの電源を切らないあたり、僕のヒモ根性も捨てたものじゃない。

 何をしてもこの羞恥心は消えそうにないので、僕はせめてもの抵抗にと瞼を下ろした。現実逃避と言われても何も言い返せない。

 目を通して侵入する情報をシャットアウトすると、とたんに聴覚が鋭くなる。

 景色が見えていたはずの目には黒い膜がかかり、だんだんと平衡感覚がなくなる。体内から聞こえてくる無数の音と、周囲から聞こえてくる音が頭の中に空間を作る。

 僕と同じくヒモなはずの心臓は、それでも律儀に等間隔で絶やすことなく鼓動を続けている。

 意識が場と同化し始める頃には、前後の間隔など、どうでも良くなっていた。耳障りなはずのイヤホンから流れるノイズでさえも、ただの音の波でしかなくなる。

 どこかから空気が入り込み、どこかから空気が出て行く。

 何かが動く時、程度こそあれ空気は揺れる。大草原にでもいるのならともかく、このペンションのように狭い空間では、何らかのアクションが起これば察知できる。

 備えあれば憂いなし、と昔の人が言った。

 万が一、億が一にもしっかりと対策を取っていれば、足元を掬われることはない、と。

 ペンション内では空気が死んだようにゆっくりと漂っているから誰かが自室を離れていることはないだろうけど、それでもここに近づかないようにしなくてはいけない。

 億が一、涼華が殺されることはないだろうけど、そろそろ危ないかもしれない。

 閉鎖された空間で長時間死に触れ続けてしまった彼らは、次第に人の道を踏み外す。人が当たり前のように死ぬ空間に慣れてしまうと、人が当たり前のように殺せてしまう。

 一対四だと、少しだけ骨が折れる。それに、億が一、涼華が傷つく可能性もある。

 億が一にも、その可能性は捨て置けない。間引かなくては。

たぶん、涼華は僕と違うことを考えている。どうやって犯人を炙り出すか。どうやって探偵をするか。

 どちらの思惑が通っても、結果は同じことになるだろう。

 体感時間にして長いこと機能を停止させていた眼球の運動を再開する。

 ゆっくりと開いた瞼の隙間から這入ってくるのはどんよりとした薄汚い光。

 暖色の照明も、壁の淡い茶色も、透明な空気も。どことなくどんよりと死んだ色を発している。

 死に触れ続けた空気は、だんだんとその生気を失っていき。やがては同じように死に絶える。色も匂いも、全部死んでしまう。

 その死が、少なくとも涼華だけには触れないように、

 出るときに持ってきたマスターキーで会議室の鍵を後ろ手で閉め、

 僕はそっと空気を揺らした。

「くふふ」

 なびく髪の隙間を縫い耳に装着したイヤホンから、押し殺せずに漏れた笑い声が聞こえた。

 今日、僕らは探偵できるだろうか。

 


 時と日付が変わって午前零時。

 布団にもぐって携帯ゲームに興じている涼華を横目に、相変わらず薄暗い部屋で僕はモニターに映るペンション内の様子を見つめていた。

 死体は、新たに二つ製造された。

 一つは元従業員のお姉さんB。

 もう一つは元ヒッキー。

 元従業員Bの死体はまだましだったけれど、元ヒッキーの死体は、嘔吐しなかったことが奇跡といってしまえる位凄惨なものだった。それこそ故オーナーの死体よりも酷い。

 お人形さんと一緒に二次元界へと飛んでいたところを急襲されたのだろうことが窺えるほどに抵抗の跡はなく、ただただ蹂躙された死体があるだけだった。いったい何度ナイフで刺したらああなるのか、ヒッキーの死体は肉の崩れる音が聞こえてきそうなほどにぐじゅぐじゅだった。そして犯人の猟奇性の表れなのか、崩れかけの肉の山の頂に、くり貫かれた眼球が二つ、部屋に入った人間と目が合う位置に置かれていた。

 ただの失禁OLかと思っていたら、現役の時の僕よりも余程犯罪者だった。褒めてはいない。

 僕と涼華のほんのお茶目で殺人鬼がうっかり誕生してしまった訳だけれど、誕生の勢いのままにこの部屋にでも特攻してくるかと思ったら、意外にも冷静なのか、今はまた以前のように自室に籠もっている。従業員さんAも同様に自室―といってもこちらの場合は自分で作った死体も一緒なんだけど。元恋人だからあり、なのかな?―に籠もっている。彼女も今や立派な殺人鬼だ。

 なんだろう、一日で殺人鬼が二人も生まれてしまった。こうも簡単に殺人鬼になれるなんて、少し前の僕を否定された気分だ。

 それにしても、ちょっとペンションに滞在しただけで、従業員と宿泊客あわせて十名いたはずなのに、今や自称探偵に自称助手に殺人鬼が二体。

 同じ空間にいただけで、簡単に狂ってしまった。燻ぶっていた負の感情は横なぎの風によって大きく燃え上がり、他人のそれすらも燃やし尽くす。

 二体の殺人鬼の誕生によって明るみに出てしまったことと言えば、そうそう、ヒッキーが本当にただの引きこもりだったことだろうか。バッグや財布など部屋の中を隅々まで調べたけれど学生証や研究のデータなどは一切出てこなかった。代わりに出てきたのは大量のゲームと実家宛の『探さないでください』とだけ書かれた手紙。家出を告げるはずだった手紙は遺書へとジョブチェンジを行っていた。

「ぶふっ」……失礼。

 僕の少々品の無い思い出し笑いに涼華がびくぅっと布団の中から反応を返してくれたけど、今はそれよりも語り忘れていたヒッキーの部屋から出てきたもう二つのアイテムについての話をしよう。幸い涼華はまだゲームに夢中だし。

 大学に在籍している事を証明するものは何一つとして所持していなかったヒッキーだけれども、彼の過去についての品は二つほど出てきた。一つはヒッキーの〈自称〉所属している大学の パンフレット。もう一つは、二年前の十二月に行われた学力診断模擬試験の結果。ちなみにヒッキーは享年二十二歳。

 つまり、ヒッキーは三回ほど大学受験に失敗して失意の後にニートにジョブチェンジ。そのまま二年ほどだらだらと過ごしたはいいけど自責の念に負けて逃走。自殺を試みる前に殺される、と。

 自殺をするくらいなら、殺人鬼に殺されてしまった方が良かった……のかな? というか殺人鬼がヒッキーを殺すように仕向けたのは涼華(と僕)なわけだから……。加害者にまで同情されてしまうなんて、本当に、彼はどこまで残念なんだ。来世ではいいことがあると、いいね。黙祷。

 不意に、布団の奥から聞こえていたゲーム機のボタンを押す音が止んだ。次いでディスクの回転の止まる音がして、涼華の手に持つゲーム機は完全に沈黙した。

 衣擦れの音を纏い、ぽんっ、ともぐっていた布団の中から顔を出した。

 丸く見開いた目はモニターの光を反射して妖しげな光を灯し、何を嗅ぎとったのか小鼻はしきりにひくひくと動いている。頭の上に猫耳でもついていたら忙しなく周囲の音をかき集めていただろう。

 少し遅れて、ドアの向こうの不穏な空気に僕の全身が警鐘を鳴らしはじめた。

 僕も、涼華も、全身に感じる警鐘にうずうずしながらも、モニターから視線を外すことはなかった。モニター越しに見えるペンション内に変化はまだ現れない。気付くと両手はスカートの中にあるホルスターから取り出した二振りのナイフで遊んでいた。頃合。

 二つの部屋のドアが軋み、人外を排出する。

幽鬼。その二体に対する形容はそれで十分だった。長髪の元OLは両手でナイフを握り締め、短髪の元従業員は右手で爪が皮膚に食い込むほど強く握り締めている。もちろん二人とも順手で。

 二体の鬼の行動に目が離せなくなるにつれ、瞬きの回数がだんだんと少なくなってきた。忙しなく周囲の情報を集めていた涼華も次第に大人しくなり、今では僕と同じように食い入るようにモニターを見つめている。

 鬼気迫る彼女らに当てられたのか、全身が今すぐ部屋の外へ飛び出そうとしているのが判る。必死にそれを押し止めていると、欲求不満の両手はグリップの端を親指と人差し指で摘み、弾くようにして宙へと放り出す。

煌めきながら回転するナイフの輪舞に開いた手を差し出しそっと握りこむ。

 手の甲を滑りながら逆手の位置にナイフが納まる。

 三階へと辿り着いた二体の鬼は、真っ直ぐに会議室の札が張られた扉を突き破り室内へと侵入すると、モニターの前で目を見開く僕達のことなど意に介さず、合わせて二振りの刃を振り下ろした。

続きはまた夜に

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