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第十五章

 目を開けると、見慣れない場所にいた。

 ふかふかのベッドに優しく私を包み込む布団。

 ずいぶんとお風呂に入っていなかったのに、頬にかかる髪からはどこかで嗅いだ事のあるいい匂いがした。

 もしかしたら、何かの間違いで天国に来てしまったのかもしれない。

 殺人鬼を天国に送るなんて、神は何をやっているのだろう。ずいぶんと職務怠慢だ。

 しかし、噂には聞いていたけれど、やはり天国と言うだけあって、本当にここは心地が良い。初めて来た場所なはずなのに、本当は今まで現実だと思っていたのが夢で、私はずうっとここにいたのではないかと思えてくる。

 私がいるべき場所ではないはずなのに、ここ以上の居場所なんか他のどこを探したって見つからない気がする。

 これが天国、

「……なわけない、か」

 右腕に感じる違和感と、その先に繋がっているものが景観を見事に台無しにしていた。

病人に点滴をうってくれる天国なんて、聞いた事がない。

「こんにちは、可愛らしい殺人鬼さん」

 マスコミ、ひいては警察にさえ容疑者として名前を挙げられた事がない自分の正体がこうも簡単に露見するとは思ってもいなかった。

 鈴を転がしたような凛としたその声に、緊張で動けないはずの体は、私の意志を無視してその声の主に向き直った。

 規格が違う。

 まさにその一言に尽きた。

 性別の垣根も生物の垣根も飛び越えて、その声の主はあまりにも美しかった。

 綺麗とな可愛いとか、女性を形容する言葉はいろいろとあるが、そのどれを使って表現しようとしても表現しきれない、純粋な美しさが彼女にはあった。

 たとえ私が、自分で定めたルールなど関係なしに無差別に人を殺しまわっていたとしても、彼女だけは殺せない。

 一介の殺人鬼ごときが、その命に触れて良いような代物ではなかった。

 英雄ですら、神ですら、彼女の前には跪く。

「私の名前は、鷲宮涼華よ」

 鷲宮、涼華。

 聞きなれた名前にも、私は特に思うところがなかった。

 前の自分の名前。

 私なんかが名乗るより、彼女が名乗った方が相応しいとさえ思ってしまう。

 それよりも、次彼女がするであろう質問の方がよっぽど問題だった。自分だけ名乗ってはい終わり、なんて人間は少ないだろう。彼女はきっと尋ねる。

 たとえ私の前の名前を知っていたとしても、尋ねるだろう。

「あなたのお名前は?」

 ほら、やっぱりきた。

 ああ、どうしよう。名前を捨てたのはいいけど、新しい名前なんて一切考えていなかった。そりゃそうだろう、丁寧に自分の名前を名乗る殺人鬼なんて、小説の中にしか存在しないのだから。

 どうしようどうしよう。新しい名前なんかそう簡単には思いつかない。

 眉根が寄っているのが自分でもはっきり判る。

「あらあなた。名前、無いの?」

 そう言われてしまっては、私は首を縦に振るしかなかった。

「そうなの」

 ちょっと残念そうに言う彼女に、偽名の一つでも考えておけば良かった、と私は猛烈に後悔した。そして初めて口を開いた。

「あ、あの」

 名前、ちょっと考えさせてください。

 なんとも間の抜けた発言は、彼女に遮られた。

「ああ、そうだ! ちょっと待っていてね」

 手をポンとたたくなり、彼女はすっと部屋から出て行ってしまった。

 見事なまでの彼女のペースに、私は続きを言おうと口を開けたまま、何をするでもなく彼女が出て行ったドアを見つめていた。

 ここまで翻弄されたのは初めてかもしれない。

 いままで何人も殺してきたが、主導権は常に私にあった。

 彼らが私にした事と言えば、逃げるか命乞いをするか、少数ではあったが果敢に挑んできた人間も何人かはいた。

 それでも、常に私に優位があった。

 それなのに、あの鷲宮涼華という少女は、逃げるでも命乞いをするでもましてや挑んでくるでもなく、自然体で私に接してくる。

 私が殺人鬼であると知った上で、まるで級友のように接してくる彼女は何なのだろう。

 鷲宮。

 その名前には聞き覚えがある。

 日本でも三本の指には入る大企業。

 私がいるこのやたらに豪華な部屋を見るに、全くの無関係という事はないだろう。

 いや、無関係どころか――思い出した。

 鷲宮家には令嬢が一人いる。しかも私の昔の名と同じ名前の娘が。

 放浪していたとは言ってもそこまで広範囲をうろついていた訳でもなく当然のように鷲宮の名前は知っていたのだが、私に家族と言うものがあったうちから、少なからず鷲宮家について耳に入ってくる情報はあった。

 情報どころの話ではなかった気がする。

 やたらと世間体を気にしていた元両親は、それなりに良い血筋だった。

 もしかしたら、その生まれと現状が拍車をかけていたのかもしれない。

 元父は、それこそ鷲宮の家ほどの知名度ではないが、それなりに有名な会社に勤めていて、それなりの地位を築いていた。鷲宮と多少交流がある程度には。

 だから、元父はとうぜん鷲宮の一人娘とも面識があった。

 そして、どういう訳か、その一人娘の持っているものを私にも求めた。

 だから私は鷲宮涼華については良い感情は抱いてはいなかった。

 全部過去の話だけれど。

 それにしても、あの少女と私を比較しようだなんて、元父は頭がおかしいのではないだろうか。

 たぶんおかしかったのだろう。

「待たせてしまってごめんなさいね」

 この少女と私を比較していたのだから。

 声を出すのもはばかられたので、私は黙って首を振った。

「そう、ならよかった」

 彼女、鷲宮涼華の調子は一向に変わらない。

 目の前に殺人鬼がいると言うのに、何も恐れていない。

 たとえ私がこの場でナイフを突きつけていても、何も変わらないのだろう。

「ああ、そうそう。あなたの名前なんだけど。これからは亜麻立葉と名乗りなさい」

 涼華は部屋に入ってくる時右手に持っていた紙を見ながら突然そう言った。

 いきなりどこかに行って何をしていたのかと思えば、私の名前を考えていたらしい。

 俯いて考えていたのに、何故か涼華と目が合った。

 下から覗き込まれていた。結構無理のある体勢で。

 涼華の目と口が弧を描く。

「返事は?」

「わかった」

 涼華は私の返事に満足したのか、満足げに頷くと、するりと私の視界から消えて再びベッドの傍らにちょこんと立ち、すぅ~っという音が聞こえるほどに息を吸い込んだ。

 何故かは判らないけれど、私は身構えた。

「えっとね、この立葉ちゃんの亜麻立葉って名前はねっ。かの英雄アーサー王と、歴史に名を刻んだ殺人鬼のジャックザリッパーからとっているのよ。どう、素敵だと思わない? 英雄を目指している立葉ちゃんにはぴったりね。今はまだただの殺人鬼でしかないけれど、いつの日か立派な――ああ、これは洒落じゃなくてね。立派な英雄になりますようにって。いう願いを込めてこの名前にしたのよ。立葉を『りっぱ』と読ませるか『りつは』と読ませるかで悩んだのだけれど、『りっぱ』だと立派の文字が浮かんできてしまうから、『りつは』にしたの。可愛らしい立葉りゃんにはぴったりね」

 涼華がここまだえ言い終えるまでに、十五秒もかからなかった。

 すさまじいマシンガントーク。これなら家が没落しても困ることはないだろう。

 正直何と反応したものか、さっぱり見当がつかない。

 さっきまでのお嬢様然としたものは対外的なもので、こっちが本来の涼華なのだろうか。 涼華の深呼吸もとい息継ぎの間に考えられる事はこの程度が精一杯だった。

 そして、第二波が来る。

 背筋が痺れる。

「そうそう、立葉ちゃんが倒れる前に私に言った言葉を覚えている?」「えっ――「『ボクを養ってください』立葉ちゃんは倒れる前に私にそう言ったの」涼華のマシンガントー「だからね、私は思ったの、こんなに可愛い殺人鬼なら、その殺人鬼が英雄になりたいと思っているのなら、養ってあげたいって。と言っても、殺人鬼だって判ったのはお家に運び込んだ後だったんだけどね。」………「それでねそれでね。私は生まれて初めて誰かに決められた行動以外の行動をとったの、自分の意思で」

 僕の返答どころか地の文すら割り込むことを許さない、マシンガンでは済まされないトークは、だんだんと速度を落とし、代わりに熱を帯びていった。

「だからね、人形みたいに誰かに動かされるのはもうお終い。今日から私はやりたい事をやりたいだけやるわ。私にも、立葉ちゃんが英雄になりたいのと同じくらいになりたいものがあるのよ。お人形の私には決してなれなかった夢が。何だか判る?」

 僕は首を振った。

 背筋は凍りつき、体内に入ってくる空気が全身を焼き尽くす。思考が緩やかになって自分がどこにいるのかも判らなくなる。

 呼称が変わってしまった事にも違和を感じない。自分の中の性別が変わってしまった事にも違和を感じない。

 涼華がこれから言うであろう言葉に対する僕の返事も、おかしなところは無い。

「私はずっと、探偵になりたかったの」

 涼華は探偵になりたい。

 だったら、僕は――

「僕は、助手になるよ」

 これが、涼華の言うところの解脱。

 僕が涼華を巻き込んで、涼華が僕を巻き込んで、

 最悪の探偵コンビが誕生した。

明日は二回くらい更新したいです

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