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プロローグ

正直頭がどうにかなっていたとしか言いようのない作品です。

この二週間、いったい僕たちはいくつの 旅館やらペンションやらに通ったことだろう。まあ、世間一般で言うところのヒモという立ち位置の僕としては、交通費にしろ宿泊費にしろ食費にしろ、すべて隣にいる飼い主の財布から出ている訳なのだし、泣いて喜ぶことはあっても文句を言えるような立場ではないのだけれど。

 まあ、彼女にとって、僕一人を養おうが僕のような人間を三十人も養おうが、全く財布は痛くないのだろうけど。

 鷲宮涼華。

 一風変わった彼女の名前なのだけれど、その名を耳にしたことのない人間なんて、日本にはほとんどいないだろう。ホームの無い方々なんかは別にして。

 鷲宮グループ。一昔前なら財閥の名を冠していたであろう彼女の家の経営する会社だ。要するに彼女は社長令嬢ということになる。まあこの辺りの設定なんて覚えておいてもそれこそこれから始まる出来事には何の関わりもないので耳を素通りしてもらって一行に構わないのだけど。

 五十を過ぎても未だに衰えを知らない彼女の父親が引退した場合は彼女が跡目を継ぐことになるのだが、向こう十年は安泰だろうと自他共に認めるほどの若々しさに、多めに見ても後五年は遊んで暮らせると踏んだ彼女が選んだポジションは、放蕩娘。

 彼女の言によれば、二年前、ちょうど彼女の十五の誕生日にそれはいきなり起きたらしい。

 抑圧された自我の解放。年頃の娘の反抗。様々な言い回しが出来るそれだが、彼女自身はその出来事について、意味を理解しているのかは甚だ疑問だが、好き好んで解脱という言葉をあてている。まあ、日本語なんて大体の意味が通じれば問題はないのだろうけど。

 物語の性質上、僕か涼華のどちらかが語り部のポジションに納まらなければいけないのだが、語り部という役職を就任するには涼華の性格は少しばかり難があった(こういう遠まわしな表現をするにあたって、日本語はなんて便利な言語なのだろうと思わざるを得ない)、結果不承不承ではあるが、僕が語り部を務めさせて頂く次第である。

 ここで残念なお知らせなのだが、僕には名がない。いや、なかった。

 二年前、ちょうど涼華の誕生日を不本意ながらお祝いする事になる三ヶ月ほど前に、両親から頂いた名前は丁重にお返ししてしまった。

 そこから三ヶ月ほど流離いの名無しの五郎として日本中(と言っても関東圏内を出ることはなかったが)を放浪した挙句、金が底をついて道端に行き倒れていたところを涼華に拾われ、めでたくヒモに転職した次第だ。

 亜麻立葉。

 涼華は権力をもって僕の前の名前から素性までそれころ隅から隅まで、重箱の隅の塗装が剥げるまで徹底的に舐めあげられた。

 この僕の今の名前は涼華につけられた。戸籍から何から金に物を言わせて完全に上書きされてしまった形になる。涼華からすると、亜麻立葉は名が体を現しているらしい。

 涼華は自我に目覚めたと自分では言っているが、僕から言わせれば、彼女は僕の所為で親の人形から人間へと羽化してしまった。

 羽ばたいたのか堕ちたのかは想像にお任せしようじゃないか。

 すくなくとも、亜麻立葉に関して言うならば、解脱と言うよりは堕落だが。

 一応の自己紹介はこの辺にしておくとしよう、あまりだらだらと語っていても、誰にとは言えないが、逃げられかねない。


 場所は長野と新潟の境ということになるのだろうか、いやはや全く方向感覚なんてものを名前と一緒に元両親に大政奉還してしまった僕としては、涼華に飼われてさえいれば地球だろうが宇宙だろうが埼玉だろうが秩父だろうが場所なんて記号以上の意味なんか持たないので、とりあえず日本にいることだけ判って頂ければ御の字だ。

 とあるペンション、名はハートウォームと言うなんとも心温まる場所に例によって宿泊に来ているのだが、どうにも時を同じくして偶然にも居合わせた人々が胡散臭いのはどうにかならないものだろうか。

 外は生憎の雪で(スキー場が近くにある上に季節は冬なのだから当然と言えば当然なのだが)宿泊客の皆様はウィンタースポーツなど楽しむ気はさらさらにないようで、いま一つ効きの悪い部屋の空調を頼りになんとか寒さを凌ぐくらいならば、と全員が今時珍しい、サンタクロースには有難い大きさの暖炉のあるラウンジで暖を取っているところだ。

「ねえねえ立葉。今回こそ、起きるかしら? 起きるわよね」

 極度の冷え性に加え、動物愛護の精神でいっぱいの涼華は僕の左腕をカイロ代わりに両手で擦り、膝の上からこちらを振り向いた。両の眼にはでかでかと期待の二文字が踊り狂っている。

「はいはい。今度こそ、起きると思うよ。涼華」

 僕はあやすように涼華の頭を撫でつけ(どっちがペットなのか判ったものじゃない)、ラウンジにいる一同に目をやった。

 まあ、当たり前のように返ってくる視線は穏やかなものではなかった。それも仕方ないと言っては仕方ないのだろう。何せ涼華の可愛らしさと言ったら、僕なら食道に詰まって窒息死するほど飯を食べられるレベルなのだから。そんな少女を膝の上に座らせている男に向けられる視線なんて、想像するまでもないだろう。はっはーん、どうだ、涼華の可愛らしさは異常だろう。

 最後にと目を合わせた大学生風の青年が顔を真っ赤にしながら目を背けた理由については、あまり考えたくないところだが。

「立葉は今日も可愛らしいわね」

 それこそ周囲の目なんか関係なしに、涼華は僕の喉を猫にでもするように撫で上げた。涼華が僕を拾った理由は至極単純、本人に言わせると『可愛かったから』の一言に尽きるらしい。

 三ヶ月ほどの放浪期の前まで十五年間毎朝鏡で確認した本人から言わせていただくと、それこそ百足ほどにも可愛らしさを感じられないのだけれど、人の趣味は十人十色という四字熟語がある位なのだから、六十億人も人間がいれば一人くらいは百足好きの美少女がいてもおかしくないだろう。

 まあ最も、大学生風の青年が顔を赤らめた理由は、涼華が僕を飼うにあたって決めた数少ない制約によるものだろうけど。

「こら、涼華。人の髪をくわえるのはやめなさい」

「ふぁっふぇふぃふふぁふぉふぁふぃふぉひひひふふぁふぉん」

 ……可愛いから許そうじゃないか。

「ふぁっふぁ~」

 お許しが出た事を察した涼華はくわえるだけでは飽き足らず、更に髪を手繰り寄せると頬ずりやスニッフィングを開始した。

 お察しの通り、制約によって僕は髪を一定の長さ以上に保つことを命じられている。もう一つとしては、女装(涼華曰く正装らしい)の義務化というものだった。

 正直僕は自分の性別について深い思い入れというものが全くと言って良いほどないのだ。正直自分が男と女のどちらの性別なのか判らない。

 涼華と一緒に銭湯なる公衆浴場に行った時に女湯に入っても通報されなかったことから、きっと女だということは判るのだが、どうにも確証がない。

「ひゃんっ」

 おもむろに涼華のたわわな胸を触ると、どういう訳か頭の天辺に電流でも流されたのではないかと思うほどの痺れを感じるし、次に自分の胸を鷲摑みにしてみたところで、自分のこの脂肪の塊が涼華のそれと同列のものだなんて到底思えない。ていうかそこの大学生、さっきからこっちを見ては顔を赤らめやがって、僕の涼華が汚れたらどうするんだ。外にでも出てさっさと冷たくなってくるがいい。凍死は気持ちいいらしいぞ。

 誰の言葉だっただろうか、いつぞや会った誰かは僕と涼華の関係を指して『それは百合ね、もしくは性同一障害かしら』なんて言葉を頂戴したことがある。青銅一生涯? そんな職業に就いた覚えはない。

 僕からしてみれば、これは同性愛ではなく男女間の恋愛であり、それ以上に主従関係であるのだが。

 涼華の可愛らしさについての話はこの辺りで終わりにしておこう、でないとそれだけで二冊分は埋め尽くされてしまう。

「それにしても、ひどい大雪ですね」

「そうですねー」

 どうやら目の前の好青年は見ているだけでは飽き足らず、積極的に涼華との接触を試みたようだが、そんなの僕が以下略。返答はウキウキウォッチング風に転がしておいた。気が向いたら拾うがいいさ。

「立葉、べろちゅ~」

「ぶふぉっ!」

 涼華の大胆発言に飲んでいたコーヒーを鼻から噴出すという離れ業をやってのけたのは左隣に座っている不倫臭を振り撒いている歳の差カップルの片割れ、推定四十三。その男の太ももを鼻をほじるために伸ばしたのか聞きたくなるほどの長さの爪で抓っているのは、化粧の濃い二十代後半と思しき不倫相手(断定)の女性。

 反対に移って、僕たちの右隣に座っているのはいかにも自宅警備員風の長髪に眼鏡のやせ細った神経質丸出しの社会不適合者にその隣が傷心旅行中のOLと言ったところだろうか、時折目の前のいけ好かない好青年がOLのことを気まずそうにチラチラ覗いているのが気になるが、まあ視線の理由なんて後々嫌でも聞くことになるのだろうから、今はそっとしておいてやろうじゃないか。

 吹雪の雪山のペンションと言う涼華の大好物のクローズドサークルで何が起ころうとしているのかなんて、言うまでもないのだろうけど、一応語り部として言うべきことは言っておこう。

 誰かが死んで誰かが殺す。

 自称探偵の涼華が自分の家よりも粗末なペンションにわざわざ金を払って宿泊している理由なんて、殺人事件以外の何ものでもないのだ。

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