白い結婚の相棒は、氷の公爵でした~父が読まずにサインした婚姻契約書の、最後の一行~
父は、契約書を読まない人だった。
読むのはいつも僕の役目で、署名するのはいつも父の役目だった。
小作人との約定も、商人への借用書も、税の申告書も。
父は金額の欄だけを見て羽根ペンを走らせ、僕は父が読まなかった残りの全部を、夜中にひとりで読んだ。
だから知っている。
この伯爵家に、もうお金がないことを。
「跡継ぎなど、もういらん」
その朝、父は食卓でそう言った。
「領地は売る。あんな痩せた土地にしがみついていても、借金が増えるだけだ。ミリアムと都に移る」
父は紅茶に砂糖を三杯も入れ、満足そうにスプーンを回した。
つい先日、使用人たちの給金を半分に減らしたばかりだというのに、ずいぶんと優雅な朝食だった。
妹のミリアムが、焼きたてのパンをちぎりながら笑った。
「やっと都に住めるのね、お父様!」
「そうとも。お前にはもっと華やかな暮らしが似合う」
「楽しみ! 今度は毎晩、夜会に出られるのね」
僕の名前は、その話のどこにも出てこなかった。
食卓には家族の人数分の皿が並んでいた。
僕の前にだけ、パン籠は置かれていない。
ミリアムが最後の一切れを取り、わざとらしく首をかしげた。
「あら、お兄様。パンが欲しかったの? ごめんなさい。もうなくなっちゃった」
その手には、まだ半分ほどパンが残っていた。
父は新聞を広げたまま、こちらを見ようともしなかった。
――ただ、父は一つだけ忘れている。伯爵領は、正式な跡継ぎの同意がなければ売れない。父が読まなかった、王国の相続法の第三章に書いてある。
けれど、僕は黙っていた。
言っても、父は読まないからだ。
その日の午後、グレイ公爵家から縁談の手紙が届いた。
「白い結婚、ですって」
手紙をのぞきこんだミリアムが、顔をしかめた。
「相手はあの『氷の公爵』よ? 夜会で一言もしゃべらないで、にらむだけの人。いやよ、怖いもの。絶対にいや」
「そうか。お前が嫌なら仕方がないな」
父は娘を気遣うような口調で言ったが、その視線は手紙の最後に書かれた支度金の額から離れなかった。
ミリアムが父の肩越しに手紙をのぞきこみ、目を丸くした。
「お父様、公爵家ってずいぶん太っ腹なのね。これなら、都で新しいドレスを何着も買えるわ」
しばらくして、父はゆっくりと顔を上げ、僕を見た。
「アデル。お前が行け」
「……父上。僕は男です」
「知っている」
父は、少しも迷わなかった。
「お前の顔は母親似だ。ドレスを着せれば、誰も気づかん。白い結婚なら、寝室もともにしない。三年たてば離縁できる。それまで黙って座っていればいい」
ミリアムが手を叩いた。
「お兄様の花嫁姿! 見てみたいわ!」
「そうだな。せっかくだから、髪も長く結い上げてもらおう」
父は面白そうに笑った。
まるで、僕の人生が舞踏会の余興にでもなったかのようだった。
ミリアムは僕の肩に手を置き、楽しげに顔をのぞきこんだ。
「お兄様、せめて笑顔の練習くらいしておいたら? そんな顔じゃ、花嫁というより葬儀に出る人みたいよ」
僕は、何か言おうとして、やめた。
言っても、父は聞かないからだ。
その日から、僕は伯爵令嬢になった。
◇
グレイ公爵家の応接間は、静かすぎた。
長いテーブルの向こうに、ルシアン・グレイ公爵が座っていた。
銀に近い淡い金髪を、首のうしろで一つに束ねている。
整った顔は、よくできた彫像のように動かない。
「氷の公爵」と呼ばれる理由が、ひと目でわかった。
公爵は、僕たちが入ってきても、一言も発しなかった。
代わりに口を開いたのは、そのうしろに立つ白髪の老執事だった。
「執事長のハロルドでございます。旦那様は『遠いところをよく来てくれた』と仰せです」
公爵は、何も言っていない。
けれど老執事は、まるで聞こえたかのように、ゆったりと頭を下げた。
公爵の指先が、膝の上でわずかに動いた。
「では、婚姻の契約に移らせていただきます」
テーブルの上に、羊皮紙の束が置かれた。
父は、いつものように最後のページだけをめくった。
支度金の額を見て、口の端がゆるむ。
保証人の欄に、さらさらと名前を書いた。
「娘を、よろしく頼みますよ」
娘、と父は言った。
僕は、首に巻いたレースのチョーカーに、そっと指を当てた。
喉を隠すために、ミリアムが選んだものだ。
父は満足そうに、僕にだけ聞こえる声でつぶやいた。
「アデルも役に立つことがあるものだ」
次は、僕の番だった。
羽根ペンを受け取る前に、僕は契約書の一ページ目を開いた。
父が小さく舌打ちをした。
「さっさと書け」という意味だ。
けれど僕は、いつものように読んだ。
一行ずつ。
白い結婚の期間、住まい、離縁の条件、離縁後の財産の分け方。
どれも、ていねいで公平な条文だった。
そして、最後の一行で、手が止まった。
――本契約に署名した者は、婚姻の期間中およびその後も、乙に対し、乙の同意なく、金銭・物品・婚姻・居所に関する一切の要求をしないものとする。
乙、とは僕のことだ。
署名した者、には、さっき署名した父も含まれる。
顔を上げると、公爵と目が合った。
淡い灰色の瞳だった。
その視線が、ほんの一瞬だけ、僕の首元のチョーカーにとまり、また僕の目に戻った。
公爵は、何も言わなかった。
ただ、ほんのわずかに、あごを引いた。
うなずいたようにも見えた。
その目には、僕を値踏みするような冷たさはなかった。
まるで、僕が何者であるかを知ったうえで、それでも何も尋ねずにいてくれているようだった。
僕は、初めてこの人の沈黙に、少しだけ安心した。
僕は、黙って署名した。
父は最後まで、自分が何に名前を書いたのか、知らないままだった。
◇
公爵家に来て十日。
僕は、まだ一度も夫の声を聞いていなかった。
食事の席でも、廊下ですれ違うときも、公爵は何も言わない。
代わりに話すのは、いつもハロルドさんだ。
「旦那様は『よく眠れたか』と仰せです」
「旦那様は『その色のドレスもよく似合う』と仰せです」
公爵は、そのたびにほんの少し目をそらす。
……今のは、本当に公爵が言ったことなのだろうか。
ある日の朝食では、ハロルドさんが「旦那様は『今朝のスープはお気に召しただろうか』と仰せです」と伝えた。
公爵はその直後、ほんの少しだけ眉を寄せた。
どうやら、スープの感想まで代弁されるとは思っていなかったらしい。
白い結婚なので、寝室は別だ。
僕にとっては、ありがたかった。
ドレスを脱いでも誰にも見られない。
チョーカーを外して、やっと息ができる。
その夜、眠れずに廊下を歩いていると、執務室の扉のすきまから明かりがもれていた。
そして、声が聞こえた。
「――第七条。甲は、乙の領内における通行に際し、関税の、えっと、半額を……半額? 高すぎじゃないかな、これ……」
鈴を転がすような、高くて甘い声だった。
女の子の声だ。
それも、とびきりかわいい。
僕は凍りついた。
執務室には、公爵しかいないはずだ。
夜中に、こっそり女の子を? 白い結婚を望んだのは、そういうことだったのか。
いや、待て。
僕の頭の中で、いくつもの考えがぶつかり合った。
公爵には秘密の恋人がいるのかもしれない。
だとしたら、僕は邪魔をしないほうがいい。
けれど、この声の主が公爵家の人間なら、どうしてこんな時間に……。
そもそも、あの声はどこから聞こえているのだろう。
扉を開けるべきか、聞かなかったことにして部屋へ戻るべきか。
――いや、ここまで考えてしまった以上、もう知らないふりはできない。
気がつくと、僕は扉を押し開けていた。
執務机の前に、公爵がひとりで座っていた。
上着を脱ぎ、シャツの襟をゆるめて、書類を両手で持っている。
ほかには誰もいない。
公爵は、ぽかんと口を開けて僕を見た。
僕も、ぽかんと口を開けて公爵を見た。
「えっ」
思わず出たのは、地声だった。
チョーカーもつけていない、男の声。
公爵の目が、まんまるになった。
「……あなた、男の人?」
あの声だった。
鈴を転がすような、高くて甘い声。
目の前の、「氷の公爵」の口から。
「……き、きみは女の子?」
しばらく、二人とも動けなかった。
うしろで、深いため息が聞こえた。
いつのまにか、ハロルドさんが燭台を持って立っていた。
「……旦那様。ですから、夜は扉に鍵をとあれほど」
◇
その夜、僕たちは執務室で、はじめてちゃんと話をした。
グレイ家には、男の子が生まれなかったこと。
父君が急に亡くなり、親族に家を乗っ取られないよう、十六で家督を継いだこと。
男装はできても、声だけはどうにもならなかったこと。
「だから人前では、しゃべらないことにしたの。黙っていたら、いつのまにか『氷の公爵』って呼ばれてた」
ルシアン様は、ちょっと口をとがらせて言った。
その声で言われると、怖さのかけらもない。
「でも、あの呼び名は少し気に入っているんだよ。だって、誰も私に話しかけてこないから」
「それは……便利ですね」
「でしょう?」
ルシアン様は、いたずらを成功させた子どものように笑った。
それから、僕も話した。
父が領地を見限ったこと。
支度金のために、妹の代わりに嫁がされたこと。
伯爵家の帳簿を読み続けてきたこと。
「じゃあ」
ルシアン様は、少し考えてから言った。
「この白い結婚は、ちょうどいいね。あなたは私の秘密を守る。私はあなたの秘密を守る」
「……相棒、ということですか」
「うん。相棒」
ルシアン様は、右手を差し出した。
握った手は、思っていたよりずっと小さかった。
その手は、少しだけ汗ばんでいた。
氷の公爵も、緊張することがあるらしい。
僕は、そっとその手を握り返した。
◇
それから、僕たちの暮らしは少し変わった。
ある日、隣の領地の商人が会談にやってきた。
ルシアン様は、いつものように黙って座っている。
ハロルドさんが代わりに話すはずだった。
けれど、商人が通行税の話を始めたとき、ルシアン様の人さし指が、机の上で小さく二度、とん、とんと鳴った。
僕は、その意味を知っていた。
夜の執務室で、書類を読みながら「高すぎじゃないかな」と言うとき、ルシアン様はいつも指で二度、机をたたく。
「その条件では、高すぎますわ」
気がつくと、僕が口を開いていた。
「半額は、こちらの領民の負担が大きすぎます。三割でいかがでしょう。――そうですわよね、旦那様?」
ルシアン様は、目をぱちくりさせながらも小さく二度うなずいた。
商人は、あっさり三割で引き下がった。
会談のあと、ハロルドさんが、目を細めて僕を見た。
「わたくしの役目も、そろそろ若奥様にお譲りいたしましょうかな」
「そんな、まだまだですよ」
「いえいえ。旦那様も、ずいぶん楽しそうでございます」
そう言われたルシアン様は、何も言わずにそっぽを向いた。
ただ、その耳は少し赤かった。
◇
ミリアムが公爵家に乗り込んできたのは、僕が嫁いでから三か月後のことだった。
もちろん、父も一緒だった。
「お姉様、ずるいわ!」
応接間に入るなり、ミリアムは叫んだ。
「『氷の公爵』って、あんなにきれいな方だったなんて! お屋敷もこんなに立派で! 聞いてないわよ!」
夜会で、ルシアン様を遠くから見かけたらしい。
黙って立っているだけで、ルシアン様は誰よりも美しい。
それは、僕もよく知っている。
「お父様、やっぱり私が嫁ぐわ。お姉様と入れ替えて!」
「ああ、そうしよう」
父はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべたまま、ソファにどっかりと腰を下ろした。
「公爵閣下。率直に申し上げましょう。そこにいる『娘』は、実は男です」
応接間の空気が、凍りついた。
ミリアムは僕の顔を見て、勝ち誇ったように笑った。
「ほら、やっぱり! お兄様が女の子のふりをしていたのね。私、最初から変だと思っていたのよ」
最初から知っていたはずなのに、まるで自分だけが秘密を暴いたかのような口ぶりだった。
「もちろん、私は公表などしたくない。娘婿の名誉に関わりますからな。ですから、こうしましょう。この婚姻はなかったことにして、本物の娘のミリアムを嫁がせる。それがいやなら、支度金をもう一度、同じ額だけいただきたい」
父は、まるで商談でもするように指を二本立てた。
初めからこうするつもりだったのが透けて見える言い分だった。
「いやあ、娘が二人いると便利ですな。こういうときに融通が利く」
ミリアムも、当然のように続けた。
「私なら、お兄様よりずっと公爵夫人にふさわしいわ。だって、ちゃんと女の子だもの」
僕は、手のひらに爪を立てた。
父が公表すれば、僕の秘密だけでは終わらない。
「男を妻にした公爵」として、人々はグレイ家を調べはじめるだろう。
そうなれば、ルシアン様の秘密まで――。
隣を見た。
ルシアン様は、まっすぐ前を向いたまま、何も言わなかった。
言えないのだ。
けれど、膝の上で重ねられたその手が、小さく震えていた。
僕は、その震える手を見つめた。
自分の秘密を守るために、彼女がどれほどのものを犠牲にしてきたのか、僕は知っている。
もう、誰かの都合で、この人の人生を壊させたくない。
今度は僕が、この人を守る番だ。
◇
僕は、ゆっくりと息を吸った。
「お父様」
父の顔を、まっすぐに見た。
「婚姻契約書の最後の一行を、お読みになりましたか」
父は、きょとんとした。
「……何の話だ」
「ハロルドさん。契約書を」
ハロルドさんが、すでに用意していたかのように、羊皮紙を父の前に置いた。
最後のページが開かれている。
保証人の欄には、父の署名があった。
「声に出して、読んでください」
父は、眉をひそめながら、それでも読んだ。
生まれて初めて、自分が署名した契約書を。
「本契約に署名した者は……婚姻の期間中およびその後も……乙に対し、乙の同意なく……金銭・物品・婚姻・居所に関する……一切の要求を、しないものとする……」
父の声が、だんだん小さくなっていった。
「入れ替えは『婚姻』の要求です。支度金は『金銭』の要求です。どちらも、お父様ご自身が、署名して禁じたことです」
僕は続けた。
「それに、僕を『伯爵家の長女アデル』として、この契約書に書いたのはお父様です。もし公表なさるなら、王国の法廷で最初に裁かれるのは、偽りの書類に署名した保証人のほうです」
父の顔から、血の気が引いていった。
ミリアムが、父の袖を引っぱった。
「お父様、なんとか言ってよ!」
父は、助けを求めるように、ルシアン様を見た。
「こ、公爵閣下! 閣下は、こんな、こんな契約をご存じで――」
そのときだった。
「……読まずに署名したのは、あなたです」
鈴を転がすような、高くて、甘い声だった。
応接間が、しんと静まりかえった。
父は口を開けたまま固まり、ミリアムは目をぱちぱちさせて、声の主を探すように部屋を見回した。
声の主は、まっすぐに父を見つめている。
氷のように美しい、「氷の公爵」その人だった。
父は、ルシアン様の顔を見つめたまま、口を何度も開閉した。
「こ、公爵……いま、しゃべられたのですか?」
「はい。何か問題でも?」
「いや、その……」
ミリアムは、父の背中に隠れるように一歩下がった。
「うそ……。こんなにかわいい声だったなんて……」
「ミリアム」
父が慌てて娘の口をふさいだ。
「余計なことを言うな!」
その手を振りほどいたミリアムは、今度は僕を指さした。
「でも、お兄様だって男じゃない! こんなの、普通じゃないわ!」
ルシアン様は、少しだけ首をかしげた。
「それが、何か?」
あまりにも静かな返事だった。
ミリアムは、今度こそ何も言えなくなった。
ルシアン様は、もう一度、はっきりと言った。
「お引き取りください。……私の妻に、二度と近づかないで」
ハロルドさんが、満面の笑みで扉を開けた。
「お客様のお帰りでございます」
父は何か言いかけたが、ハロルドさんの笑顔を見て、結局何も言わなかった。
ミリアムは最後まで不満そうに僕をにらんでいた。
二人が廊下へ消えるまで、僕は一度も目をそらさなかった。
◇
二人が去ったあと、応接間には僕とルシアン様だけが残った。
「……しゃべって、しまいましたね」
「うん。しゃべっちゃった」
ルシアン様は、耳まで赤くなっていた。
「でも、あの二人が何を言っても、もう誰も信じないと思う。『氷の公爵が鈴みたいな声だった』なんて」
「それは、少しもったいない気もします」
「え?」
「僕は、その声が好きですから」
ルシアン様は、今度こそ顔を真っ赤にした。
それから、少しうつむいた。
「……あのね。顔合わせの日、あなたが男の人だって、気づいてたの」
「え」
「チョーカー。喉を隠してるんだなって。私と同じで、家の都合で、自分じゃない格好をさせられてるんだなって思った。……だから、最後の一行を書いたの。あなたが、もうあの家に何も取られないように」
僕は、何も言えなかった。
あの日、僕の首元に一瞬とまった視線の意味を、ようやく知った。
「でも、どうして僕のために、あんな一行まで書いてくれたんですか?」
「目かな」
「目?」
「うん。あなたの目は、誰かに命令されている人の目じゃなかった。何かをじっと見て、自分で考えている人の目だったから」
ルシアン様は、少し照れくさそうに笑った。
「だから、契約書を読んでくれているとき、ちょっと嬉しかったの。私が書いたものを、ちゃんと読んでくれる人がいるんだって」
僕は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
ルシアン様は、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
新しい契約書だった。
題には「婚姻の誓約書」とある。
白い結婚の文字は、どこにもない。
「今度は、ちゃんと読んでから署名したいの。……聞いてて」
ルシアン様は、誓約書を両手で持ち、本当の声で、一行ずつ読み上げた。
鈴を転がすような声で、ゆっくりと。
最後の一行まで。
そこには、こう書かれていた。
――甲と乙は、互いを一人の人間として尊重し、互いの秘密と自由を守り、望む限り、生涯の相棒であり続けるものとする。
読み終えたルシアン様は、羽根ペンをとって署名した。
それから、僕にペンを差し出した。
僕は、受け取る前に、誓約書をはじめから読んだ。
一行ずつ。
最後の一行まで。
ルシアン様が、くすっと笑った。
「やっぱり、あなたはちゃんと読むのね」
「ええ。これだけは、読み飛ばせません」
署名を終えて、僕は言った。
「人前では、僕があなたの声になります。だから、二人きりのときは、たくさん聞かせてください。あなたの声を」
ルシアン様は、真っ赤な顔で、小さくうなずいた。
今度は、誰かに決められた結婚ではない。
僕たちが、自分たちで選んだ結婚だ。
(完)




