固まらなくてギシギシと
歴史の認識は、後年の研究によって変化することがあります。
筆者が学生の頃は、鎌倉幕府ができた年は1192年となっていて、『いいくに作ろう鎌倉幕府』という語呂合わせで覚えたものです。
森の中に柳の木が並んでいる。垂れ下がる細枝に白い花が咲いていた。
木の下には小さなタヌキくんと、頭に王冠のようなものを乗せた白いおサルさんがいる。
「んとね。白猿さん。ネットのニュースで『卑弥呼の墓』で新しい発見があったというのを見たの」
「子狸くん、それは奈良県の箸墓古墳だな。古墳の周囲に堀と、そこを渡る通路跡が見つかったんだな」
「白猿さん。この発見でそこがほんとうに卑弥呼の墓となるのかな」
「いやいや。卑弥呼の、っていうか、彼女がいた邪馬台国がどこにあるかも決着がついていない。邪馬台国は、いわゆる魏志倭人伝に記載されている日本のどこかだ」
「どこにあるか、その本にはちゃんと書いてないの?」
「書いてはあるが、現在の地図であてはめるとおかしくなるんだ。「魏志倭人伝」っていう本はない。これは中国の歴史書『三国志』の中の、日本について書かれた部分のことだ」
「んとね、三国志って聞いたことあるの」
「三世紀ごろの中国は、「魏」「呉」「蜀」という三つの国に分かれていた。その歴史をまとめた本が『三国志』だ」
「ゲームやマンガにもなっているの。劉備玄徳、関羽、張飛の三兄弟が活躍するの」
「そりゃ、三国志演義という物語のほうだな。そっちは歴史をもとにした作り話なんだ」
「それで、邪馬台国はどこにあったの?」
「魏志倭人伝によると、魏の国の使いが朝鮮半島を通って、海を渡って日本に来た。途中、対馬と壱岐という島を通ったことが書かれている、まず今の佐賀県あたりに着いたと考えられているんだ」
「そうなんだ。で、そこからどっちへ行ったの?」
「そこから南へ進み、いくつもの小さな国を通って邪馬台国に行った、と書かれている」
「じゃあ場所はわかりそうだけど?」
「ところが、書かれている距離を全部足すと、九州本島をこえてしまうのだ」
「えっ? おかしいよね。じゃあ、奄美大島とか沖縄とか」
「まぁ、離島の可能性は低いな。で、邪馬台国の場所は今もはっきり決まっていないのが現状だ。場所についてはいろいろな歴史学者で論争になっている」
「たとえば、どんな説があるの?」
「大きく分けて二つるあるぜ。九州説と、さっき子狸くんの言ってた「畿内説」
「九州説だとどこになるの? 南の島じゃないんだよね」
「邪馬台国は九州本島の中にあった、という考えが九州説だ。最初の上陸地点から南方なのはまがいなくて、距離の記載に間違いがあったのではないか、という説がある。他の説として、通過する小国を一列につなげるのではなく、ある場所からそれぞれの国までの距離を書いただけだ、という考え方。これは放射説と呼ばれる」
「ふんふん。方角はあっていて、距離の考え方が違っているんだね。じゃあ、畿内説は?」
「魏志倭人伝で『南』と書いてあるのは『東』のまちがいではないか、と考えだ。もし東に進めば、奈良県あたりになる。だから、邪馬台国は奈良にあったのではないか、という説だぜ」
「そうだったのか。でも、どっちが正しいか、まだ答えは出ていないんだね」
「九州説や畿内説以外に、四国説や東北説もあるんだ。だからこそ、歴史はおもしろいんだな。新しい発見があれば、これまでなかった新説もでるかもな」




