第十四章:奇跡の連鎖 【視点:舞椰/室九郎/千風】
【視点:万古音 舞椰】
カランコロンと扉を開けた。ディープレッドのチョッキに腕を通しながら、嘉都久さんが奥からいつものように顔を出す。あの雨の日もそうだった。あの日は一人ぼっちで、傷だらけで、ズブ濡れだった。傷だらけなのは相変わらずだけど、今日は3人いる。
最初で最後の、3人での「Abyss MOON」の訪問になると思った。
いつもの通りに嘉都久さんCD-Rを手渡した。嘉都久さんはセトリに目を通す。リアクションがいつもみたいに「面白いね」じゃなくて、いつにも増して大きかった。
「ふーん!なるほど!了解!」
スタンドマイクをセットして、化粧台の前でメイクを始めた。カウンターでむっくとチカがトマトジュースとジンジャーエールで待機していた。
お客さんの入りはまばらだった。チカのリクエストで数日前に急遽やると決まったライブだから仕方ない。2人には最前列を用意したんだ。
照明が落ちてステージが始まる。むっくと出会った日から夢に見ていたステージだった。だから今日は全てがいつもと違う。ボクは今日初めて、明確に何かを伝える為にここに立った。「歌」という言葉では到底カバー仕切れない、何かを始めようしているんだ。
ねぇ、むっく。チカ。ボクたちはそれぞれ地獄から集まったよね。明確な目標なんて無いくせに「ここではないどこかへ行きたい」ばかりだったんだ。
***
【視点:東 室九郎】
横浜の廃倉庫から出た後すぐ、フワ・セイジは取引先の組織に3000万円を全額返済して警察に自ら出頭した。その際にずっと脅されていた組織のことも全て警察に話し、その後、何者かに消されたという。
姉・静流が化けたというアタッシュケースを受け取って延びた余命はたったの1日だった。フワ・セイジは、たったその1日だけは、最後に自分の正義に基づいて生きたんだ。通知が入り迎えに言った魂は、すでに肉体から離れており、潔く冥界への誘いを待っていた。
フワ・セイジの魂を納品した際、大閻魔は相変わらず下品に高笑いをしていた。フワ・セイジの魂に課せられていた手当金は莫大で、2カ月は何もしなくても暮らしていけそうだった。
今、「Abyss MOON」の最前列に居る。以前舞椰のライブを見た時は最後列だった。近距離でカラフルなライトに照らされる舞椰を見上げるのは新鮮だ。相変わらず、誰かの魂を震えさせるには程遠い音遊びにしか感じない。だけど不思議と退屈ではなかった。それは舞椰が歌うからだと思った。優れた結果よりも、そこへ続くダサい道のりに立ち会えること。それを幸せと思えること。それこそがバディとしての最大の証なのかもしれない。
その時だった。
新しく書き下ろしたという歌で、舞椰の声質が明らかに変わるのを感じた。もはや歌ではなかった。「この歌さえ届いたら、いつ死んでも悔いはない」ーーそう言わんばかりの祈りのような、遺書にもなり得る力強い歌だった。稼ぐ為でも、名を売る為でもない、きわめて非合理的で非生産的なーー舞椰の歌に俺は惚れていた。俺たちは何度も間違える。この先もきっと。この惑星の生命体にだけ許されたその贅沢な権利を俺は未だ言語化できずにいる。
「ヘロー♪また会うたねぇ、死神ボーイはん♪」
隣のメタボ気味なおじさんが爆音で流れる音楽の中、俺にだけ聞こえる声で話しかけてきた。千風はこちらに気づかず、舞椰の歌に聞き入っている。
「え…もしかして…静流さんですか?」
「そう〜、よぉ分かったねぇ。流石、妖狐慣れしてきたかな?なんかSランクになったらしいなぁ?これから生活が楽になるねぇ♪ ーーでも、SランクにはSランクの悩みがあるから、仲良ぉしてねぇ♪」
そんな姿に変化させずに、普通に姉の姿で聴きに来てやればいいのに。そんなお節介は呑み込んだ。
「先日…救ってくださりありがとうございました。まさかお金にも化けられるなんて思いませんでした」
静流さんはポカンとした顔でこちらを見つめ返していた。
「はぁ…お金…?どこのどなたと間違えてはるんやろか?」
俺は慌てて舞椰に視線を戻した。
その新曲のタイトルは、なんだか変だった。
***
【視点:太田原 千風】
新曲の歌声だけが、本当の舞椰くんの声だったように聞こえた。ある春の日。狭い家。二人で交わした会話がフラッシュバックされる。舞椰くんは、室九郎さんの存在について歌うなんて烏滸がましいと言った。だけど舞椰くんはいつ何を話していても、全ては「むっくは喜ぶかなぁ」に集約される。とっ散らかったバラバラの感情の大前提にある気持ちを歌えば、1つの立派なコンセプトが出来上がる。強烈なコンセプトはやがて人々の心の中に神様を創造するんだ。
「舞椰くん、やっぱりあなた、絶対に売れるわ」
私の予感は確信に変わった。最後にそれを確認できて良かったと思った。これできっとまた会える。
今日、私の記憶は消えるみたいだ。フワ・セイジの魂を良好な状態で納品できた功績は大きかったらしく、大閻魔さんの特別措置の対象となり、全員でこの日を迎える今日まで記憶削除の日を引き伸ばしてもらえたんだ。完成した舞椰くんの新曲を、室九郎さんと一緒に聞けて「とても良かった」。
いっそ死んでしまおうと思っていた日々の中、私は井の頭公園で室九郎さんに出会った。私を救う神様に見えた。抑えられない好奇心。「死神です」なんて言っておきながら、世の真相を確認しないと気が済まない私にとっては生きる理由になってしまった。
舞椰くんに怒られないように、そっと室九郎さんの指に触れてみた。室九郎さんがどんな反応をするか気になって、恐る恐る顔を見上げた。不自然なくらい硬い顔になって、わざとらしいほどステージの一点だけを見つめていた。そういうところも全部ひっくるめて、私は飾りっ気のない死神が大好きだった。合理性と生産性が第一優先のくせに、大鎌を握るのは怖い変な死神。夢みたいな時間だった。記憶が消えてから私が、そして世間が困惑しないよう、室九郎さんや舞椰くんとスマホの撮影データを全て削除した。「記録」だけでなく「記憶」ももうすぐで全て消える。それでも不思議と、怖くなかった。
***
季節の変わり目の海は、二週間足らずでその表情をガラリと変えた。夕日が傾いて水面にオレンジに反射する。海の家は跡形もなく片付けられていて、この季節のこの時間帯の海に、ほとんどの人は用がないのだと知った。
私は最後の言葉を探すけれど、何を言っても未練がましくなりそうで、何も浮かばなかった。最後の場所にこの海を選んだのは、そんな姿を見せたいからじゃない。ここでした約束だけが、叶わなかった。
「『千の風チャンネル』から正式にタイアップオファーが来るまで、ボクさん諦めないからね♪」
舞椰くんが、私に生きろと言っている。
「ババアになるまで、"通知"よこすんじゃねぇぞ」
室九郎さんも、私に生きろと言っている。
室九郎さんがタブレットを開き、次の行き先を探し出す。やたらと縦に長い、トンデモナイ個人情報を集約したエクセル表を慣れた手つきでスクロールして、漆黒の瞳を泳がせた。相変わらず私情を挟まず、観光もせず、最短ルートで多くの人を回れることだけを考えているのだろうと、目の動きで分かった。
「じゃあ」
「うん」
室九郎さんが黒い羽を開いてから、私に一言添えた。
そんなこと、死神モードじゃない時にちゃんと言ってよ。
実は、隠していたことがあるんだ。
私にもその黒い羽は、見えてしまっているんだよ。
長く伸びる二人の影が消えた。
私は最後の最後に、精一杯の言葉を誰もいない海に叫んだ。
私、ずーーーっと、見えていたんだよ。
***
しばらく夕日に見とれたら、私は満足して踵を返した。
引っ越したての家は、ちょっと家賃を奮発して海の見える家にした。決め手になったのは、水平線の見える窓からの景色。なんだかワクワクする未来が閃きそうな気がした。もちろんそれは何てことのない、ただの海だった。だけど、私にとっては、どんな悲しみも冗談で笑い飛ばしたり、無口に寄り添ったりしてくれる海なんだ。
通知音に気がついて、パソコンを開いた。炎上して燃えた動画は全て削除した。運営からは、通報の理由が事実に反する憶測に過ぎないものばかりだったと認められ、特例的に凍結が解除された。素材ストックが尽きていることに気づいて、カメラを首からぶら下げて街へ繰り出した。チャンネルのタイトルも一新した。いつぞやのノートから、とてもしっくり来る4文字を見つけた。チャンネルをリニューアルして伝えたいことは、もう決まっている。
もう、嘘みたいに大きな月が空に顔を出していた。模様まで綺麗にくっきり浮かび上がっている。あんなに照らされたら、夜なのに何も隠せないし、誤魔化せない。優しい不条理があるんだな、なんて考えながら。
ーー私は潮風を切った。




