第42話:同衾兄さん
菜那ちゃんと一緒にお風呂に入って、頭を洗ってやった。早速シャンプーハットが役に立ったよね。その後は交互にシャワーを浴びて、脱衣所へ。お風呂はやめておいた。狭い浴槽に2人でギュウギュウに入るのは憚られたから。4歳児かつ実の妹相手なんだけど……プニプニの肌に触れ合って、万が一、一瞬でも邪な気持ちを抱いてしまったら、もうクロノスに殺してもらった方が良いレベルだからな。
歯も磨いてあげて(こういう事までしてあげなくちゃいけないんだとカルチャーショックを受けた)、テレビで明日の天気予報を見て、それから少し早いけど就寝。今日は最初から俺の部屋で一緒に寝る。俺のベッドはないので(寮に入る時に処分した)、敷布団の上に並んで転がった。
「おやすみ、にいに」
頬にチューされて驚きに固まった。いや、そうか。思い出した。子供の頃、菜那ちゃんは寝る前に俺や両親におやすみの挨拶としてチークキスをしてくれていた。
……ああ、これはヤバイ。胸の奥で愛おしさが爆発して、洪水のように押し寄せ、理性のドアを叩いてる。このドアを開けたら、もう本能の赴くまま抱き締めて、顔中にキスしてしまいそう。
というか、もう既に小さな体を抱き締めていた。無意識だった。理性のドアが勝手に半開きになってるみたいだ。こっちに背中を向けている菜那ちゃんのプニプニのお腹に手を回してギュッと。
「やあ~、ふふ、ふふ」
嬉しそうな声。
なんという。なんという可愛さなんだろう。思わず彼女の髪の中に顔を埋めてしまう。犬や猫を吸うという表現があるけど、まさしくアレだ。可愛くて愛おしいものを顔全体で感じたいという欲求。シャンプーとお日様の匂いがした。日の下でよく遊んだから。いや、もしかするとこの子は本当に天使で、空から舞い降りてきたからかも知れない。そんなアホみたいなことを、けど割と真剣に考えてしまう。なるほど、親バカはこうやって作られるのか。
「にいに、あったかい」
背中を擦りつけてくる菜那ちゃん。彼女の方こそ、子供特有のぽかぽか体温だ。
俺の方からも体を密着させる。守ろう。守りたい。胸の中にすっぽり納まってしまうほどの小さな体。なのに心の中のほとんどを幸せで満たしてくれる大きな存在。
探索者やめるってのは、ナシだ。リスクは百も承知だが、リターンがこの子の安寧と笑顔なら、十分に釣り合ってるだろう。明日で3層、明後日で4層攻略だ。朝から潜ろう。俺は無職だからな。時間はたっぷりある。
具体的な方針が決まると、すぐに眠気が襲ってきた。菜那ちゃんの小さな体が胸の中で規則正しい寝息を立てているのにも釣られ。目を閉じるとそのまま意識を手放した。
朝の日差しがカーテンの隙間から入り込んできて、俺の意識はゆっくりと覚醒へ向かう。微睡みの中、掌に柔らかくて温かな感触を覚えた。半覚醒の意識が、菜那ちゃんだろうと当たりをつける。子供を抱っこして寝ると、こんなに気持ち良いんだな。
ふにふに。もちもち。
「ん……に、兄さん?」
ふにふに。もちもち。
「な、何やって!? に、兄さん、だ、ダメです」
ふにふに。もちもち。
途轍もなく柔らかい物に手が沈み、包まれる感触が気持ち良すぎて、揉むのをやめられない。子供のほっぺは最高だ。
「兄さん、ほ、本当に……あ、ん」
掌に何かぽっちのような物が当たり、違和感。それに、さっきから兄さんって呼ばれてる気がする。菜那ちゃんも居るのか?
……ん? 菜那ちゃんは……今は小さくなってるハズじゃ?
「っ!?」
そこで完全に頭が覚醒した。目も開いた。白い陶器のような肌と豊かな黒髪が見えた。毛布で八割方隠れているが、女性の背中だ。髪の掛かっていない肩が露わになっている。俺はその後頭部を至近距離から見つめる位置に居て。両手が抱え込むように彼女の体の前面に回されていて。その掌が掴んでるのは……
「ご、ごめん!」
慌てて手を引いた。左手は彼女の体の下にあったのか、引き抜こうとした時に、更に乳房を触ってしまった。
「ひゃん」
「ごめん!」
菜那ちゃんが軽く体を浮かせてくれて、その間に左手も引き抜いた。下敷きになってたせいか、少しだけ痺れてる。
……心臓がバクバクしてる。怒られるか、軽蔑されるか、嫌われるか。あの時のように拒絶されるか。
あの冷たい表情と言葉。俺と彼女の間に今日まで横たわる、蟠り。動悸が更に激しくなって……
「兄さん」
「え?」
毛布の中に首まで隠して、菜那ちゃんが振り返って俺を見た。上気した顔は間違いなく17歳の彼女で。
「分かってますから。わざとじゃないっていうのも、私のお世話ずっと頑張ってくれていたのも」
気まずくて目はまだ合わせられないみたいだけど、そう言ってくれる。多分だけど、菜那ちゃんも察したんだろう。俺があの時のことをフラッシュバックしかけていたのを。言い終わった後、唇が震えてる。彼女にも色んな想いがあるのかも知れない。
「ごめんね。本当に。そんなつもりじゃなくて」
俺の声も震えていた。今は過去の事に囚われている時じゃないのに。体が元に戻ったことへの考察などを深めなきゃいけないのに。
「兄さん……」
「俺、1階に降りてるから」
返事も待たず、半ば逃げるように部屋を後にした。




