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それは、理想的な死だ。

作者: 朱殷

 



 ある日、それは突然のことだった。


 くらりと目眩がした。長い、長い目眩。身体を支えているのがつらい。眼の前の机に倒れ込もうとするけれど、距離感が掴めず床に転がってしまう。

 鼻先の絨毯。そろそろ掃除が必要な悪臭。こんなに近いのにピントを合わせることが難しい。


 暗い、暗い部屋だ。太陽が降下を初めて少し、雲に隠れる。分厚いカーテンで遮られたこの場所はより影を薄くする。

 唯一照らすパソコンの光、その中で延々と同じフレーズを歌い続ける虚偽の人間。何段、何列にも積まれた空いているのかわからないエナジードリンク。

 いつの日か、弾けもしないのに買ったギター。手入れを怠ったそれを蹴り飛ばし弦が弾ける。昨晩食べた朝食のゴミがひしゃげる音。


 手を伸ばし、スマホを握る。久しく連絡を取っていなかった昔の友達に助けを求めようとする。


 ………


 暗証番号が、すぐには思い出せなかった。



――――――――――――



 一週間後。日付の感覚なんてもとより無いけれど、きっとこのくらいだと思う。


 未だ歌い続けるパソコン。なんだかそれを聞きたくなくて、ヘッドホンを外す。いくら良いメロディだとして、こうも聞き続けているとノイローゼにでもなりそうだ。


 私はSNSに依存しきっていた。書き込まなかった時なんてそうそうなかった。皆心配しているようだ。帰省説や冬眠説。時折核心を突いたことを発言する自称考察勢がSNS上で盛り上がっている。


「さすがに自殺説は酷いんじゃないかなぁ?あながち間違でもないのだけど」


 偶にの食事はコンビニ弁当、空腹にはエナジードリンク。我ながら死に急いでいるとしか思えないラインナップだ。今も考察の進むSNSを視界の端に、アハッと開き直って笑う。新曲の制作途中だっただけに残念だ。


 目前で倒れる死因のわからない私。強引にでも動かしてキーボードを叩きたい気分だと言うのに。自分の死よりも楽曲、自分の死すら楽曲。つくづく狂っている。


 家族からの連絡はない。ネットに疎い人だ、きっと皆の方が私の死を先に嗅ぎつけるだろう。嬉しいことか嬉しくないことか、柄にもなくしんみりしてしまう。


「明日、時間作って会いに行ってみる」


 それはSNSに書き込まれた言葉だ。すぐにリプライで溢れ、期待の言葉がたくさん。


「心配かけたくなかったな」


 彼女は私の少ない相互フォロー。皆自分のことで手一杯なのだ、申し訳無さで涙が一粒落ちる。


 死後は時間の流れが早くなるようで、涙を拭うために手で目を覆い隠した次の瞬間には彼女がいた。

 嫌そうに顔を歪ませ、鼻を摘む。見るからに腐った私の身体をもう片方の腕で揺する。驚いて暴れまわる虫たちを払い除け、開いたままの瞼を下ろしてくれた。


「少し失礼するよ」


「そこは私の席なんだけど?」


 自分でも驚くほど明るい声、対照的な彼女。お気に入りのゲーミングチェアに腰掛け、私でない私を見下ろす。


「死んじゃったんだ」


「エナドリのせいでね」


「歪な生活のせいだって気づいてる?」


「それを作ってるこの企業が悪いよ」


 ぷくりと頬を膨らませてみる。


 噛み合うようで噛み合わない会話。気づかないうちに人との関わりを求めていたのだと今更知る。

 ケラケラと笑う私に、視線を寄越した気がした。


「皆心配してるよ」


「しってる」


「お母さんは元気?このこと知ってる?」


「しらない。私のこともお母さんのことも。もしかしたらどこかでぽっくり逝ってるかもね。そっちはどう?彼氏できた?」


「曲は完成した?」


「……してない。半分くらいだよ。勝手に続き作ってくれてもいいんだよ?」


「完成させてあげたくても私にはあなたは届かないかな。皆、待ってたんだけどね」


 身勝手にも会話を打ち切った彼女はぐるりと開店し光の灯り続けたパソコンへと向き合う。私の耳についたヘッドホンを取り外し自分の耳へと宛行う。


 二分くらい、だろうか。静かに未完成の楽曲を聞き終えた彼女はヘッドホンを外し呟く。


「これは私が勝手に、あなた名義で投稿しておく。喜ぶのか不審がるのか。そしてあなたの死は少しだけ、私の秘密にさせて欲しい」


「その行為に意味はあるの?未完成を流して微量の時間を得ることに」


 いくら問うても当然のように答えは返って来ない。変わらず私はアハッと笑って、彼女の頬に流れる水滴を拭う。


 らしくない。彼女は淡々とした曲調に淡々とした歌詞、なのに動かされる心がウリだ。激情を歌って何になる?声を荒らげて全力な歌は無数に埋もれるだけだ。


「どうしてそうも創作意欲に溢れた顔をするの?」


「安心して。秘密にすると言っても警察くらいには伝えてあげるから」


 ヘッドホンを丁寧に机の上へ。プシュっとエナドリを一口、踵を返す。彼女の曲が受け入れられようが受け入れられまいが、変わってしまうのが残念で仕方がない。



――――――――――――



 時が経ち。誰も私に会いに来てくれないもので、記憶が飛び瞬間移動でもしたような気分だ。


 お盆なのだろうか。誰もいない墓の前で勝手に手を合わせて帰って行く。儀式的な大人に汗を掻いて怠そうな子供たち。

 先祖とは言え会ったことのない見ず知らずの人のせいで大切な休日が潰れる。


 すぐ後ろには大きな山。太陽の加減でこの場所は影になっている。唯でさえ小さい瞳を狭める必要がないのは良いことだ。


 そこそこ人気らしいこのお寺。真夏の夜と盆の時期だけ人が集まり少しだけ騒がしくなる。死んで聴覚が優れたのか空気の振動とは別の方法で音を取り入れているのか、耳を塞いでも五月蝿さは変わらない。時が流れ唯お寺が廃れ行くのを願う。


 私の墓の付近をハチがぐるぐると回る。そのせいか眼の前で足を止める者はいない。私は忘れ去られたのだ。元々誰の記憶にも存在しなかったのかもしれない。


 私はずっと、所謂ネットの世界で生きてきた。大学を卒業後、在学中から手を付けていた楽曲制作に身を乗り出し、引きこもり。就活なんかとは無縁で、あれ以降会うことのない友人たちを煽ったりもした。外界との関わりなんてあるはずがなかった。


 最後に親の面を見たのはいつだっただろうか。細かな顔のパーツが思い出せない。

 なんだかそれが滑稽で、面白くて笑みをこぼす。


 暇つぶしに隣の大きな墓をぺちぺちと叩いていると、私の方に歩いて来る女性がいた。

 私の方にと言うのは少し語弊があるかもしれない。キョロキョロと不審に辺りを見回す。墓の側面をまじまじと確認しては小さく首を振り別の墓へ。


「ご先祖様の墓を忘れるなんてなんたることか」


 そう言いたくなった。親元を離れてから一度も墓なんて訪れていないのに。


「あっ…」


 やっと見つけられたのかと勝手に安堵したのだが、彼女は私の前にいた。


 墓参りには似つかわしくないくらいおめかしした女性。お洒落な服を纏って、髪も結っちゃって。

 どう着飾っても似合わずにおめかしとは無縁だった私。目を背けたくなるくらいには美しい。


 こんな人、知人にいただろうか。記憶にない。女性はメイクで変わると言うが、そのせいかもしれない。取り敢えず名乗ってくれることを祈ることにしよう。

 空を見つめて思い出を漁っていたところ、涙が一粒零れ落ちた。


 私ではない、彼女だ。声を押し殺してすすり泣く。私のために涙を流す者が他にもいたらしい、感動ものである。


「ごめんなさい。……私のことは知らないかもしへませんが、気にしないで下さい。ただの、ごまんといるあなたのファンの一人です」


「……怖っ」


「ここのことはとある特殊な方法で知りました。それも気にしないで下さい」


 怖っ。


 そう前置きをして、私のファンを名乗る者は語り出す。


 私と出会ったきっかけ、心に残った理由。自身の心情と世間の評価を交えてひとりでに話す。こうした時に相槌を返さなくて良いのは本当に死んで良かったと思った。


 絶望のどん底で、出会って、元気を貰った。聞き飽きたありがちな話だ。初めて聞いた時は少なからず感動したか、それも最初だけ。彼らにとっては新鮮かもしれないが、こうも繰り返されると聞いているのすら面倒になって来る。


 そして同時に戦慄する。こうも自分勝手なファンを作ってしまっていたのかと。こうも他人をわかった気になれるのかと。


「だから、私はあなたが大好きなんです」


「もう何度もその口から聞いた」


「ほら、見て下さい。あなたが最後に上げた楽曲、一億再生超えてるんですよ。確か史上三位の早さですって」


 未完成が、評価されている。未完成だから評価されたのか未完成だけど評価されたのか。パラレルワールドを知らない私にはわからないけれど、完成させてあげたかった。


 評価が下がるとか上がるとかは関係ない。私が創り始めた世界を創り上げてあげられなかった。自分が死んだこと以上にそれが悲しい。


 けれどファンの人がこうやって来て、死んだ後の世界を教えてくれて。


 悔いはある。死にたくなかった。やり残したことなんて数えられないくらいある。けれど、それは。


 それは、理想的な死だ。

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