創造神
『起きなさい』
聞こえてきた声も口調もパートナーではない。
閉じているはずなのに瞼の向こうが眩しい。今まで味わった事のない眩しさ。目が見えるようになったのだろうか。
『起きなさい』
だれ。
聞いたことのない声は一定の低さで穏やかだ。
『起きなさいよ』
少し呆れたような口調。
瞼の中、目玉だけで声のする方を辿るが分からない。
意を決して瞼をゆっくりと持ち上げると、眩しさに目を細める。こんな経験は初めてだった。
「だれ、ですか?」
ずっと聞こえていた起こそうとする声は返事をしない。
重かったはずの身体が軽くなっていて、徐に起き上がろうとして自分自身の手を認識した。
「え……」
自分自身の手を初めてみた。近付けたり遠ざけた、まじまじと手相を見てみたりした。
そこから腕、肩、腹、足と目を見張る。朝着替えた服だろうか、自分自身の服を初めてみた。
「……目が、見えてる?」
自分自身の手や身体をこんなにまじまじと見たのは初めてだった。
『もう宜しいか?』
唐突に聞こえてきたのは、先ほど起きるきっかけとなった声。テノールよりも低く穏やかな声。
周りには誰も居ないのに声だけが聞こえてくる不思議な空間にポツンと一人。
「えっと、ここはどこなんですか?貴方は誰なんですか?」
分からない事だらけで声の主に聞こえるように声を出す。広いのが分かるようにその声が響いている。
『まずはおはよう。ここは我の領域、現世の人が言う“あの世”の手前だ。そして我はパラレルワールドの創造神、名はないがまあ“神様”とでも呼ぶといい』
声だけ聞けば胡散臭い。
しかし、“あの世”と聞いた途端、車に轢かれたのだと思い出した。
「あの、私は死んだんですか?パートナーと一緒に車に轢かれたはずなんですけど、パートナーは――彼は生きてますか?お願いします、彼だけでも助けてください」
何処に居るかも分からない“神様”。キョロキョロと辺りを見渡しながら矢継ぎ早に質問して、神様の答えも聞かないままお辞儀して懇願する。
人の気配も何もない真っ白な空間に、一人でお辞儀するのも不思議な感覚だ。
『……残念だが、主も主のパートナーもあの時に死んでいる。死因は分かるだろうが、車に轢かれた事によるショック死だ。詳しく話すことも出来るが、ここはそういう話をする所ではない。時間もないから省くが、一つだけ言うとしたら、主のパートナーは咄嗟に主を守るようにして轢かれた、痛みを感じずに即死だった』
淡々と話す声、聞きたくなかった言葉が響いている。
「……」
見張っていた目が熱くなり、涙が溜まっていくのが分かる。
“即死”。その言葉に何も出来ることなかったのかと虚無感に襲われる。
『主は悪くない。何故泣く?』
“神様”のそんな疑問に、泣いていることを自覚する。そうなると、涙は止めどなく流れて床へと落ちていく。
神様の領域を涙で汚してはいけない。そう思って手で拭うが中々涙を止める事は出来ず思わずしゃがみ込んでしまう。
「……私が悪いんです。私がっ……あの時転ばなかったら、彼は死ななかったっ……。私が、目が見えてたら……っ、転んだあの時、怖くて身体が動かなくて、直ぐに立ち上がれなかった……」
しゃがみ込んでいたはずが気付くと座り込んで自分自身の身体を丸めて抱いていた。
何で死んだあとで目が見えているのだろう。
『……申し訳ないが、先を進める。主、我のパラレルワールドでもう一度生きる意思はあるか?』
“神様”のそんな声に、流れていた涙も鼻水もそのままに顔を上げる。何処に居るか分からないが、何故か上の方を見渡してしまう。
「神様、“もう一度生きる”……?」
やはり神様らしき者は見当たらない。
『輪廻転生、分かりやすく言うと“生まれ変わり”だな。我の作ったパラレルワールドで生まれ変わらないか、ということだ。どうだ?』
息を詰まらせてしまった。
生きたい。
咄嗟にそう思ったが、彼の居ない世界で私はどうやって生きればいいのだろう。
目が見えなかった私は、人との接点を極力避けていた。内気、人見知り、引っ込み思案。彼に会うまでは、そうして人に迷惑を掛けないように生きていた。だけどもう彼は居ない。
「神様、私は彼が居ないと生きていけません。有り難いお話ですが、おことわ……」
『残念だなあ、彼はもうこっちのパラレルワールドで生まれ変わっているのにい』
言い切る前に遮ってきたのは、わざとらしい口調で心が篭ってないような声。テノールよりも低い穏やかな声。神様だ。
「……えっと、神様。どういうことですか?」
戸惑いながら考えて、それでも分からずに神様に問い合わせる。
『先ほど言っただろう、“主のパートナーは即死だった”、と』
虚無感のきっかけの言葉だ。
「ええ、言ってましたね。でも、それがどうして“彼がパラレルワールドで生まれ変わっている”という事と結び付くんですか?」
目線が落ち着かないまま問い掛ける。涙は気付いたら流れていなかった。
『主のパートナーは即死だった。つまり、主より早くにこの場所へと来ていたのだ。主に話したパラレルワールドについても話した。少し遅れて主が来る事も話した。主のパートナーは即決だったぞ』
車に轢かれた時、身体も動かなくて、目を開けることも出来なかった。でも耳は聞こえていた。それはつまり、まだあの時は生きていた。
でも彼は即死。車に轢かれて直ぐにこの不思議な空間へと来た。そんな彼は先にパラレルワールドで生まれ変わる事を承諾していた、ということだ。
「それじゃあ、私はまた彼と生きて暮らせる……?」
恐る恐る神様に尋ねると返事が直ぐに聞こえてきた。
『ああ。ただ、生まれ変わって直ぐに、一緒に生きて暮らせる訳ではない。少し面白く設定しよう』
肯定された事で思わず笑みを浮かべたが、神様は不穏な言葉を並べた。
「……設定?」
生まれ変わって直ぐに一緒になる訳ではないらしい。神様のいう“設定”とは、どういう意図があるのか。
『我の作ったパラレルワールド。創造神だと言っただろう。生まれ変わりの場所、名前、性格や能力を我が考えている。主にとって今はパラレルワールドだが、我の作り上げた世界だ。我の世界の住人になるなら、それ相応の設定をしなければ主一人では何も出来まい』
なるほど。本当に創造の神様のようだ。
『もう一度問う。我のパラレルワールドで生まれ変わり、もう一度生きる意思はあるか?』
「はい、あります」
迷う事も断る事もなく、今度こそしっかりと意思を持って答える。神様のパラレルワールドで、余所のものではなく、住人として生きていく事を決心した瞬間だった。
『ふむ、しかと聞き届けた。では、生まれ変わる名前、場所、性格や能力を決めるための質問をしよう。ふむ、まずは主の名は?』
生まれ変わり意思を見せたら、直ぐに設定を決めようとする神様。名前をご存知だと思っていたが、唐突に尋ねられたことで動揺する。
「えっと、森川詩子、です」
『次に場所だが、主の出身地は?』
生まれ変わる名前を教えてもらえず、そのまま今度は出身地を尋ねられる。
「……出身地は北海道で、育ちは東京都です」
母の実家があり別荘もある北海道で生まれ、その5ヶ月後に東京都の父の実家で育った。俗にいう帰省出産だ。
『次は性格だ。主が自分自身に思っている性格は?』
神様は尋ねるべき質問をして、後で全て教えられるのだろう。
性格について尋ねられて、自覚していることを目を伏せながら答える。
「……内気で、人見知りで、引っ込み思案」
生まれつき盲目で何も見えなかった。最初は盲学校に入学するのが嫌で、入学して直ぐは友達と呼べる子は居なかった。あまり話さないようにしていたら、話すことが怖くなっていた。そこから今の性格になったのだろう。
『最後は能力なんだが、主の特技や好きな事は?』
最後と言われた質問に、答えようと口を開くが、思い当たる答えが見つからない。
「……えっと、特技はないです。好きな事は……」
『どうした、時間が迫ってる。早く答えよ』
神様に急かされてしまい目を伏せながら言葉を搾り出す。
「……好きな事は、音楽を、聴く事」
搾り出した声も少しずつ小さくなる。特技と言えることもなく、“能力”と言えることもない。生まれながら盲目で引っ込み思案だったからか、何の取り柄もない自分自身。親が音楽に関わる仕事だったため、目を使わなくても出来る事が音楽鑑賞だった。自分に自身がなくて、ずっと嫌いだった。目を伏せながら神様の次の言葉を待った。
『以上で終わりだ。何か気になることはあるか?』
何も追求する事なく、逆に質問を求められた。拍子抜けしたが、それが神様たる所以なのだろう。
“気になること”と言えば、この不思議空間に来て直ぐに気付いたことがある。
「あの、何故ここで私の目が見えているのかが気になるのですが、教えてもらっていいですか?」
生まれつきの盲目で、初めて目が機能しているのを実感している。
『主の目が見えている事については、主の世界の創造神に頼んだだけだ』
簡単に答える神様にまたもや拍子抜け。そして、自分自身の世界に創造神が居たことに驚いた。
『以上か?それなら早速生まれ変わりの術をかけるのだが』
「はい、大丈夫です」
神様に急かされて、しゃがんたままだった体勢から立ち上がり身なりを整える。
『では術を掛ける。主は目を閉じていろ。音や感覚に驚いて目を開けてはいけない、いいか』
「はい」
神様からの指示と注意に返事をしながら目をギュッと閉じる。
神様の存在を目にすることなく生まれ変わるのは少しモヤモヤするが仕方ない。神様曰く時間が迫っているらしい。
この不思議空間に来て、キョロキョロしたり、泣いたり、神様の反応にオドオドと恐れたりして忙しかった。今考えると恥ずかしい。
『我の世界に入りし者に幸があらんことを』
そんな事を考えていると、身体全身を強い風が包むように吹いてくる。強い風により音が五月蝿い。ギュッと目に力を加えて、絶対に目を開けるもんかと踏ん張る。
すると今度は、目の前で何かが光ってるように感じて、目を閉じているはずなのに眩しい。目を開けて見てみたいが、神様の注意の言葉が頭の中で繰り返される。
手で目を覆っていると、身体が浮遊する感覚。地に足ついてないように感じ始めた。
何が起きているのか理解したいが、神様の言葉がそれをさせてくれない。
そうしていると目の前の光により暖かくなった身体は、本人の意思なく眠りへと誘っていった。




