美少女退治屋に雇われる夜
「やけに明るいと思ったら、今夜は満月か」
夜空を見上げ、ひとりつぶやく。
雑木林の向こうに、やけに大きくて赤い月が浮かんでいる。
深夜。恐らく0時はもう回っただろう。俺が唯一、外に出られる時間だ。
有名大学を出て大手商社に就職し、俺って人生勝ち組――と思っていたのは遥かな昔。鬱って実家に帰り、引きこもり。この生活はもう10年も続いている。
俺は両親のお荷物。負の遺産。妹香苗の人生に差す影。
でも、なんとか自分を変えたいという気持ちはあるのだ。8050問題とか、年金をもらうために親の遺体を隠していた事件とかをネットで見る度に、他人事じゃないと怖くなる。幸せな家庭を築いているらしい香苗の厄介になるのも嫌すぎる。
だからしばらく前から夜中にこっそり家を出て、近所を散歩するようになった。
地方の小さな町の外れだ。こんな時間に出歩いている人間なんてほとんどいない。すれ違うのは車かバイクだけ。ぽつんぽつんとまばらに建つ人家にも明かりは見えない。こんな俺でも安心して散歩ができる。
「そこのお兄さん」
突然の艶めかしい女の声。心臓が跳ね上がる。
「驚かせちゃった? ごめんなさい。ちょっと助けてほしいのよ」
脱兎のごとく、駆け出したい。けれど久しぶりにナマで聞く他人の声に、俺は体が硬直し動くことができなかった。心臓がバクバクいっている。
「お兄さん?」
声は斜め前にある地蔵様の祠の陰から聞こえる。向こう側に人がうずくまっているようだ。投げ出された足が見える。黒っぽい衣服が地面と同化していて気づかなかった。
――もしや、酔っぱらいか。
女が?
いくら人気のない道とはいえ、危なさすぎる。俺はゆっくり深呼吸した。
「お兄さん、生きてる? 立ったまま寝てるの?」
「け……警察を呼ぶ。スマホ……ないから、家に帰って。それまで、気をつけて……」
もう一度、深呼吸。家族とさえ口をきいていないんだ。よくがんばった、俺!
あとは家に帰って、110番だ。
「警察は困る。ケガをしてるの」
「っ!! 救急車か!」
「それもダメ」
「なんでだっ!」
「困ると言ったでしょ」
「……もしや身内にやられたのか」
「え? ええ、そうよ。だから、ちょっと助けて。肩を貸してほしいの」
「肩……」
「力が入らなくて立てないから」
そんなことを言われても。話すだけでもツラいのに……。
だが。
もしかしたら、これが俺の転機になるのかもしれない。
そう考えて、決死の覚悟で足を踏み出す。祠をまわり、女と相対して――息をのんだ。女はそれまで見たどんな女より美しく妖艶だった。
「ひどいでしょう、これ?」と女。
彼女の手の動きを目で追い、ぎょっとした。肩から胸にかけて血まみれだったのだ。
到底肩を貸すレベルのケガじゃない。
「助かるわ。死角じゃね」
「シカク?」
女が口を大きく開く。と、キラリとなにかが光った。次の瞬間、体が締め上げられる。ぎゅうぎゅうと、ものすごい力で息ができない。
いったいなにが起こっている?
俺と女の口との間にきらめくナニカがあるような気がするが、よくわからない。
苦しい。
ギリギリと締付けられながら、徐々に女に近づいていく。
これは夢か?
俺は死ぬのか?
俺が死んだら――
オヤジもオフクロも香苗も、ほっとするんじゃないか?
目がちかちかする。
このまま俺は、死ねばいい。
どうせ社会復帰なんて、夢のまた夢なんだ――
と。空から大きな塊が降ってきた。シュッという鋭い音がしたと思ったら、俺はすっ飛んだ。地面に転がる。体が自由になり、息ができる。
ズサッッ!!
謎の音に続いて、夜の静寂に悲鳴が響き渡った。
顔を上げると俺の目の前には薙刀を持つセーラー服の後ろ姿があり、その向こう、女がいた場所に巨大な、人間サイズはあろうかという蜘蛛がいた。全身を青い炎に包まれ、少しずつ形が崩れていく。
いったいなにがなんだか――
青い炎の中で最後のかけらが燃え落ちた。
「これで大丈夫」
とセーラー服が言って振り向いた。これまたとんでもない美少女だ。
「おじさん、ケガは?」
「ない、と思う」
「良かった間に合って。でもさ、おじさん。美人だからってほいほいついていっちゃダメだよ? 食べられるとこだったんだから」
「……夢?」
「アホか。現実だよ。あれは絡新婦。悪い妖怪。ま、今回は一撃で仕留め損なった私が悪いんだけどさ」
美少女が薙刀を天に向かって放り投げる。するとそれは空中にかき消えた。
どうなっているんだ。やっぱり夢か。
「おじさん、気をつけて帰りなよ」と美少女。
その言葉にはっとする。
「君は!」
「なに?」
「高校生か?」
「そうだけど?」
「外に出てちゃいけない時間だろう!」
「へ?」
「ほ、保護者はいるのか?」
「いや、いないけど」美少女が盛大なため息をつく。「わかってる? おじさん、殺されかけていたんだよ?」
「それと徘徊となんの関係があるっ。子供がひとりで出歩くなんて危険すぎるっ。おうちの人に迎えに来てもらったほうがいい」
「余計なお世話」
美少女がくるりと背を向け、歩いていく。が、数歩で止まり振り向いた。
「おじさん、見た目がだいぶアレだよね。髪はボッサボサだし髭はボーボー、スウェットは擦り切れてて、ちょっと臭い。家がない人?」
「……家はある。引きこもりニートだ……」
あれ?
俺ってば、普通に話せている。
夢だからかな。
「てことは無職か」
「まあ、な」
「そっか」と美少女が腕を組む。「確かにさ、お巡りさんに会ったら補導されちゃうんだよ。先月までは社会人のアニキと一緒だったから良かったんだけど。アニキのやつ、行方不明になっちゃって困っているんだよね」
「それは……大変だ」
「おじさん、私の家族を演じてくれない? 仕事は警察対応」
なんだそれは。意味がわからん。
「お給料は払う」
「給料……」
それから縁遠くなって10年。働いていたときに貯めた金は少し前に使い果たした。ゲーム課金につぎこんで。
「一晩、1万。ボロい話だと思うよ?」と美少女。「脱引きこもりの足がかりにもなるし。面倒な人間関係もなし!」
俺はゴクリと唾をのみこんだ。
現実なのか夢なのかはよく分からない。分からないけど俺は、なんとか現状を変えたいと思ってはいるのだ――。
《to be continued...?》
カクヨム企画 KAC20234 参加作品
お題・深夜の散歩で起きた出来事




