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井上聡

 

 電車を乗り継いで隣県に向かい、一番近い駅で降りた。GPSの指し示す場所は変わっていない。時計を確認するとすでに十二時を回っていた。未成年が一人でうろついていれば補導される時間だった。終電もなくなった頃合いだ。中途半端にタクシーを使って印象に残るのが嫌だったので、歩いた。

 山中に続く道路を延々と登っていく。夜の山の中は月明かりさえ木々に遮られて深い暗闇に包まれている。周囲からは虫の声しか聞こえない。不思議と楽しい気分だった。僕は懐中電灯をつけたが、灯りは心もとない。一時間ほど歩いた。GPSの反応が近い。懐中電灯を動かして周囲を照らした。田沼の車がある。血の臭いがする。

「藤野」

 呼びかけた。

 こんこん。車の車体を手の甲で叩いた音がした。車を挟んだ逆側に回ると、藤野がいた。「眩しい」悪態をつかれたので、光を藤野から逸らす。ライトを弱める。藤野の傍らには血のついた大きなスコップがある。藤野を縛っていたらしい紐が千切れて落ちている。その前のあたりを照らすと、人が一人収まるような穴が掘られていて、その中には成人男性がうつぶせに倒れていた。うなじのあたりが大きく裂けている。背後からスコップの一撃を食らったらしい。おそらくは田沼だ。そして殺したのは藤野だ。次に車の中を照らした。篠宮が後部座席で膝を折ってすすり泣いていた。二人とも制服だった。

 僕はため息をついた。藤野を見る。

「だから言ったのに」

「うっせえな」

 藤野が短い髪をがりがりと引っ掻く。爪に混じった土が藤野の額を汚した。こめかみに痣ができている。途中で買った水とカロリーメイトを与えるとがつがつと噛み砕いて飲み干した。篠宮にも同じものを与えてやるが、こちらはまったく手をつけなかった。

 僕は目を閉じた。起こったことを推測してみる。

 まず藤野が篠宮を脅した。篠宮はそれを共犯であった田沼に相談した。

 人目につかない場所での金銭の受け渡しに篠宮が教師達の下校時間までは人がこない学校の駐車場を指定し、藤野はそれを受け入れた。駐車場には田沼が潜んでいて、藤野を殴るかなにかして昏倒させて拘束・拉致する。そして篠宮と一緒にここに連れ込み、藤野を埋めるための穴を掘り始めた。藤野はどうにかして拘束を解いてスコップを手に取り、田沼を殺害した。

 そんなところか。

 藤野はほんとうにめんどうな女だなぁと思う。

 僕は田沼を見る。篠宮の協力者は田沼だったんだな。篠宮は一年の頃からときどきカウンセラーの世話になっていたのだろう。遺体を処理させるために篠宮が差し出したものがなんなのかは、訊かなくても察しがついた。多目的トイレの近くにいた田沼とトイレから出てきた藤野。金がない女子高生に差し出せるもので成人の男性に価値があるものなんてそれほど多くはない。

 あたりを照らしてみる。

 最近掘り返されたらしい、草が生えていない土の色が変わった一角がある。あの下にはおそらく平沢が眠っているんだろうと思う。掘り返してみたい衝動に駆られたが、そうすることになにも意味はなかった。田沼の死体に懐中電灯の灯りを戻す。

 もっと早く藤野を殺しておけばよかったのにな。

 ここに来る前に。例えば駐車場で拉致したときに。その場に血痕などの痕跡が残ることを嫌ったのだろうか。確かに埋めるときに一緒に殺してしまえば手間が少ない。車も汚れない。部室に残った平沢の血痕を洗い流すのには随分苦労したんだろう。

 僕は手袋をつけて穴の中に降りて、田沼のポケットをまさぐった。財布がある。現金が三万円と小銭。それからカード類が多数。クレジットカードと三万円だけを抜いて死体の隣に捨てる。それからスマホ。

「いる?」

 スマホをライトで照らして藤野に訊いてみる。藤野が首を横に振ったので。スコップを振り下ろして壊しておいた。

 穴から出る。土をかぶせて田沼の死体を埋める。重労働だが穴を掘るところからしなくていいからまだ楽だった。わざわざ自分が入る穴を掘っておいてくれた田沼にすこし感謝した。もう日付も変わっているのに、いったい僕は何をしているんだろうと思う。眠い。帰りの電車ももうない。始発が動き出すまでは動けない。はぁ。体は疲れていて眠いのに意識だけは妙に高揚した気分だった。

「どうやって拘束を解いたんだ」

 藤野に訊ねた。藤野が袖から何かを取り出した。暗くてよく見えないが、たぶんカミソリだった。なんでそんなもの隠し持ってるんだ。と思ったが、僕も小型のGPS装置やらカメラ型のペンやらを持ち歩いているので人のことを言えないのか。

「あんたなんでここがわかったの」

「さあね」

 篠宮と親しい教師が出水の他に思い当たらなかったからカウンセラーの田沼に目をつけただけだよ。

 僕は探偵小説の主人公じゃないから、完璧な根拠がなくても構わない。あてずっぽうで誰かを犯人扱いしてそれがあたっていればそれでいい。

「つーかなんできたの」

「君から僕の盗撮のことが漏れたら困るなと思ったから」

 乾いた笑い声が響いた。

「おまえら」

 篠宮が後部座席から顔を覗かせた。

「あたまおかしいんじゃねーの……?」

「あたしは違うけどこいつはそう」

 藤野が答えた。

「失礼な」

 僕が言った。田沼の死体が土で隠れていく。

「サイコパスだから。こいつ。巷で言われてるような非情な人間とかそういうレベルの意味じゃなくて、“他人の痛みに対して共感性を持つことができない”っていうガチのやつ。診断も降りてる。こいつはあんたが平沢を刺し殺しても“篠宮が平沢を刺し殺してるな”としか思わないの。“痛くて辛そうだから助けてあげないとな”とか“刺し殺された平沢がかわいそうだ”とかって感情移入する能力が極端に低い。カスよ」

 おおむね事実なのだが散々な言われようだった。

 けれど僕としては「人をかわいそうだ」と同情する能力をちゃんと持ちながら田沼を殺害することを躊躇わなかった藤野の方がひどい人間だと主張したい。田沼の死体を埋め終わる。スコップを捨てる。懐中電灯を消すとあたりは暗闇に包まれた。車のルームランプだけがぼんやりと世界を照らしていた。

「下山するには暗すぎるから、車の中で一晩過ごそう」

 藤野は返事をしなかった。疲れ果てて座り込んでいる。

 仕方なく引きずり上げて助手席に押し込んだ。僕は回り込んで運転席に収まる。シートを倒して横になる。藤野も丸まって目を閉じていた。篠宮さんがみじろぎする気配があって、薄目を開けるとペーパーナイフを片手にして僕の喉笛の真上まで振りかざしていた。殺すのかなと思ったが、篠宮さんは結局ナイフを振り下ろせずに懐にしまい込んだ。

 あれは、篠宮による平沢の殺害は事故みたいなもので、ある種のパニック状態だから出来たことだ。正気の篠宮には人間を殺せない。

 藤野と違って。

 そして僕と違って。




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