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出水剛志

 


 朝礼のときに郡山が「平沢さんが数日前からおうちに帰っていないそうです。なにか知っている人はいませんか?」と言う。当然だれも何も言えない。僕は篠宮の後ろ姿を眺める。篠宮は体を強張らせて俯いているだけだった。

「もしもこの場で言いにくいようなことであれば、あとでこっそり先生に教えてください。ご家族の方がすごく心配しています。ほんとうにお願いします」

 べつに心配でもなんでもなさそうな声だった。

 郡山と入れ替わりに西園が入ってきて、授業が始まる。西園の眠たげな声に何人かが釣られてうつらうつらしていた。

 僕はずっと車のことを考えている。駐車場にあったのは軽四が二台、普通乗用車が二台、ワゴン車が一台。大きい方が死体を運ぶのには便利だろう。きっとワゴン車が一番収まりがいい。でも犯人は最初から死体を運ぼうとして車を用意したわけではない。緊急だった。だから車が多少小さくてもどうにかして押し込んだはずだ。小さな車に無理やり押し込まれたかわいそうな平沢。平沢が押し込まれたのはトランクだろうか? それとも後部座席だろうか? わからない。トランクの方が絶対に外から見えない分だけ都合はよさそうだが、軽四のトランクには平沢は収まりきらなかったかもしれない。

 平沢を車に詰め込んだのは誰だろう。篠宮が親しい教師。少なくとも相談された際に「警察を呼ぼう」ではなく「死体を隠蔽しよう」と考える程度に。きっと今年の担任の郡山ではない。郡山は平沢が篠宮に対してやっていることを半ば黙認していた。眼鏡の奥の神経質そうな目で甲高い声の平沢を恐れていた。では陸上部の顧問の西園だろうか? なくはないかもしれないが藤野の話では西園は部長をやっていて県体会に出れる程度に足の速かった平沢のことを買っていたそうだ。平沢の死体と篠宮を前にして篠宮を取るとは考えづらい。そもそも西園は女性で、体格もそう大きくない。平沢を駐車場まで運ぶのは不可能ではないにしろ難しいはずだ。

 しばらく考えたのちに、去年の担任の出水ではないだろうかと思い至った。

 出水剛志は現代文の担当で中年の男性教師だ。身長は175㎝で腹周りに肉がついているがまだ平沢を運ぶくらいの体力はあるはずだ。去年はクラス内で目立つほどの篠宮へのいじりがなかったのは、出水がそれとなく目を光らせていたからだ。僕も一度めちゃくちゃ怒られたことがある。

 藤野のクラスが確か一限目が現代文だったはずだ。

 授業が終わって教室から出ると、丁度出水が三組の教室から出てきたところだった。女子生徒に絡みつかれて苦笑しながらなにか答えている。出水のズボンの後ろポケットにキーケースがあることを確認して、僕は左手を伸ばしてすれ違いざまにそれを擦り取った。


 昼休みになって友達と食堂に行く。

「おまえなんかイキイキしてんな?」

 と、言われた。

「そうかな」

「うん、いつも暇で暇で仕方ねーって感じなのに」

 定職の唐揚げを砲張りながら友達が僕の顔を眺める。

 僕はきつねうどんを啜る。

「きつねうどんとか食べてるのまじ草食って感じだよなおまえ」

 同世代の男の肉食さというかがさつさに苛立つ部分があるのはたしかだった。

 例えばいまとか。

 同時にこいつは僕のことを結構ちゃんと見てるんだなと思う。

 定食を食べ終わった彼がトレイを返しにいく。

 僕はきつねうどんの器を置いたまま席を立って、中庭を横切って駐車場に向かった。この時間ならば駐車場で教師と会うことはないだろう。セロハンテープを剥がしてペンを回収する。血糊を確認する。車は昨日同じ場所に止まっていてその後ろにまだ血糊はある。途中で買ったペットボトルの水をかけて簡単に洗い流す。

 昨日は思いつかなかったが、教員の車は誰がどの場所に停めるのか決まっているようで並び方が昨日と同じだった。もしもバラバラだったら血糊作戦は成り立たなかったかもしれない。あまり日にちが開いたら血糊に気づかなかったことを訝しむようになるだろう。なるべく早めに終わらせよう。

 出水からすり取ったキーケースには車のメーカーが書いてあった。指紋を残さないために手袋をつける。トヨタのエンブレムのある普通乗用車(車種は知らない)に差し込んで捻ると、鍵が開いた。中を覗き込む。煙草の臭いがした。血の臭いはしない。運転席から身を取り出して後部座席を覗き込む。なにもない。平沢を積み込んだ痕跡を消すために掃除されている、という感じでもなく、子供が菓子パンでも食べたのだろうか、パンくずが落ちている。誰かが乗り込んだときに落ちたであろう砂やほこりが、ふつうに車を使っている程度に散らばっている。

 トランクを開けた。

 三角停止版や懐中電灯、ペットボトルや乾パンなどの緊急時に必要そうなものが積まれていた。平沢を積み込めるスペースはなかった。トランクを閉める。後部座席のドアを閉める。鍵を掛け直す。

 平沢の遺体を運んだのは、この車ではない。

 出水ではない。

 そうなのか。手袋を外して制服の内ポケットに突っ込んだ。

 校舎に戻ってきて、スクールカウンセラーの田沼とすれ違った。「井上くん」声を掛けられた。「なにか」教師達よりもずっと若い田沼の顔を見る。「いや、べつに用事はないんだ。どうかなと思って」、「元気ですよ」、「そっか。それならよかった」「呼び止めてごめんね」田沼が笑って手を振った。

 すぐ近くの多目的トイレから篠宮が出てきた。コップと歯ブラシを手荷物に仕舞うところだった。「篠宮さん」呼んでみる。篠宮が僕を見てすぐに視線を下げた。いつも通り怯えた目をしている。

「なんか辛そうだけど」

「だいじょ、う、ぶ」

 篠宮は挙動不審になりながら僕から逃げて行った。

 自分が普段からもう少し社交的にしていればそんなに怯えられることはなかったかもしれない、と思ったがあの調子の篠宮が相手ではどのみちそんなに意味はなかっただろうか。

 僕は教室に戻る前に警備員室の横にある落とし物ボックスの中に出水のキーケースを落とした。教室に戻り、カバンの中でペンを充電機に繋ぐ。帰るまでに仕掛け直そう。友達が「おまえどっかいくなら声かけてからいけよ、ひでーな」と怒っていた。急な腹痛が襲ってきたんだと言い訳しておいた。

 五限目の授業が始まる。

 藤野はもう篠宮を脅したんだろうか。篠宮はいつもびくびくしているので僕には差がわからない。まあ藤野に訊いてみればいいか。

 休み時間にトイレでカメラをスマホに繋いで中の映像を確認してみる。時間がなかったのでかなり荒くしか確認できなかったが、軽四の持ち主が田沼であるところは映っていた。

 少し考えたあと、駐車場に戻り、田沼の軽四の底にセロテープでGPSを仕掛けておいた。チャイムが鳴ったので急いで教室に戻る。少し遅れて出水に怒られた。すみません、と軽く頭を下げた。



 夜の十一時に電話がかかってきて母が取った。ドア越しに聞こえてくる会話で、藤野の親からだとわかる。母が僕の部屋をノックした。僕の返事を待たずにドアが開く。僕はあわてて篠宮が平沢を刺し殺している映像を閉じる。「お兄ちゃん、詩織ちゃんからなにか連絡きてない?」母が言う。僕はスマホを見た。「来てないけど、どうしたの?」、「詩織ちゃん、家に帰ってないんですって」へえ。

「あいつも夜遊びの一つや一つするんじゃないかな」

 僕が言ったが、母は我が子のことのように不安そうなままだった。

 電話の方に戻り、藤野の母親を慰めている。

 僕はキッチンに向かった。コーヒーを淹れる。小腹が空いたのでなにかないかと漁ると、父が好きなせんべいがあった。部屋に戻り、せんべいを齧ってコーヒーを飲む。それから仕掛けておいたGPSを確認する。田沼の車はN県(隣県だ)の山の中にあることがわかる。そこは死体を遺棄するにはもってこいの場所のように思える。明日は土曜日で学校が休みだ。警察が家出人の捜索なんてまともに行うだろうか。

 僕はベッドに寝転がる。

 まどろみが心地よかった。

 藤野のスマホに電話を掛ける。出ない。電源が切られている。

 考えを整理する。

 ふと妹に昔言われたことが思い浮かんだ。「おにいはね、もし私や母さんが誰かに殺されても、その死体の横で朝ご飯を食べてコーヒーを飲んで一服してそのあとになってようやっと“やれやれ、ちょっと困ったことになったな”って考え始めるのよ。だから私はおにいが嫌いなの」笑ってしまう。

 だって僕はまさに「ああ、そうなのか」と思いながらせんべいを齧ってコーヒーを飲んでまどろみを楽しんでから、ようやっと「やれやれ、ちょっと困ったことになったな」と考え始めたのだ。

 僕は母がまだ電話しているのを確認して、母の寝室から服を二着拝借して、手提げ袋の中に懐中電灯とスマホの充電器とハンディタイプの掃除機を入れて家を出た。刃渡り十二センチのナイフはズボンの内側に隠しておいた。必要にならないといい。他に必要そうなものは途中のコンビニで買い足そうと決めていた。

「藤野を探してくるよ」

 一応、言っておいて、マンションを出る。



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