藤野詩織
それにしても平沢の遺体はどこに消えたんだろうか。
映像を見返していてなんとなく思う。さすがにもう校内にはないのだろう。もしもあるのなら誰かに発見されているはずだ。倉庫のような普段は使わないような場所に移すにしろ、当時校内にはまだ教師や生徒、それから警備員さんなんかがいて遺体を抱えてそれらとばったり出くわすようなリスクを取ったとは考えにくい。
篠宮は夜が近くなって人気が減るまで、部室か、その脇にある準備室に潜んで待った。それから篠宮を運び出した。どこへ。どうやって。
どこへ? はわからなかったが、どうやって? にはとても簡単な推論に辿り着く。
車だ。篠宮は車で遺体を運び出した。抱えて歩くには死体は大きすぎるし重すぎる。当然だ。つまり篠宮は誰かに連絡してきて貰って平沢の遺体をブルーシートかなにかに包んでトランクなり後部座席なりに積みこんだ。協力したのはいったい誰だろう。なぜ篠宮に協力したのだろう?
バッテリーさえ持てばそれが誰かも簡単にわかったのだが。
切れた時刻は十九時二十八分。……午後七時二十八分か。
下校時刻は過ぎている。そんな時間に部外者が入り込めば目立つしなんらかの記録が残るはずだ。ないとは言えないけれど不自然さは残る。篠宮の親か兄弟、はたまた恋人などの線も一応考えていたのだが、やはり一番自然なのは教師ではないだろうか。登下校に車を使っている教師。
ふと悪戯を思いつく。赤褐色の絵具で作った染みを駐車場の車の後ろの地面にちょっとだけ垂らしておく。篠宮の協力者以外にとってはただの道の染みだ。気にも留めないだろう。気づかないかもしれない。でも協力者にとっては篠宮の遺体を移動させる際に溢した血の染みに見える。なんらかのアクションを起こすかもしれない。
母親に呼ばれる。パソコンを消す。
母親と妹と三人でテレビをつけて夕食を食べながら、最近の出来事の話しをする。僕がなにか適当なことを言って、母が笑う。妹が横目で僕を睨みつけている。「まーたあんたってばそんなお兄ちゃんを敵視して」母が“反抗期なんだから”程度に妹を窘める。「ごちそうさま」妹が自分の食器を持って流しにつけにいく。リビングを出て行く。「どうにかならないかしらねー」、「あの年頃(中学二年だ)の女の子ってそういうものじゃないかな」と言うと、母が「あんたは手の掛からない子ねぇ」笑ってテレビに視線を戻す。
僕も食べ終えたので妹と同じように食器を流しにつけてから部屋に戻る。
もう少しすれば父が帰ってくるだろう。
ノートを開いて今日の分の授業の復習をしながら「一般的で幸福な家庭」を絵に描いたような家だな。と自分の家族のことを思う。
それからどうしてこんなまともな人間に囲まれた家の中で自分だけがこうなのだろう? とも。勉強が一区切りついたところで、殺人の場面をもう一度見る。
朝になって学校に行き、放課後まで適当に過ごして、オカルト研究会の部室を訪ねた。
「おう? 幽霊じゃん!」
部長の横溝さんが僕を見て言った。確かに幽霊部員ではあるのだが。
どちらかといえば幽霊っぽいのは横溝さんの方だ。むやみやたらに髪を伸ばしているこの人は前髪を下ろすとホラー映画の井戸から這い出てくるあの怨霊にそっくりになる。全身を白で固めたら完璧でたぶん腰を抜かすやつが出てくるが、幸いなことにうちの学校の制服はカッターシャツは白だけどスカートが紺色。
「どちらかといえば……」
僕と同じ感想を持ったらしい机に肘をついて本を読んでいた下級生の斎藤くんが横溝さんを見て言い、「何?」横溝さんに睨まれていた。「いえ、なんでもないです」斎藤くんは僕に向き直る。「井上先輩、お久しぶりです」、「うん、久しぶり」義理は果たした、というように斎藤くんの視線が本に戻った。
「血糊あったよね、ここ。ちょっと借りてっていい? あとセロテープも」
「んん? いいけどどうしたの。死体ごっこでもするの?」
「そんなところ」
「手伝っていい?」
妙にイキイキした声で横溝さんが言う。「いや、一人でやるよ」断ると、みるからにうなだれた。「井上はいつもそうだ。楽しそうなことは一人締めするかふじのんと一緒にやるんだ」拗ねだした。そういえば横溝さんは藤野と同じ二年三組だっけ。髪ゴムを外して前髪を下ろしてぼさぼさにかき乱して貞子モードになる。めんどうなので放っておいて僕は用具入れを漁ってチューブに入った血糊を取った。テープも同じ場所にあった。なにげなく窓を見て、そこから陸上部の部室が見えることに気づいた。「横溝さんたちは一昨日もここにいた?」、「うん」、「何時ぐらいまで?」、「六時半だけど」だったら七時半を過ぎてから平沢の遺体を運び出した誰かのことは見ていないか。
「それがどうしたの?」
「いや、なんでもないんだ」
「むー。秘密主義っ!」
手を前に突きだしながらゆったりとした動作で這うようにこちらに向かってくる。
正直こわい。
きみ、自分のキャラわかりすぎ。
「じゃ、また」
反応してると埒があかないので部室を出て扉を閉めた。廊下を出るときに振り返ったら横溝さんが窓から上半身をつきだしてこちらに手を伸ばしていて、逆側の廊下からそれを見た女子生徒が悲鳴をあげていた。
外に出る。何人かの生徒とすれ違いながら、中庭を横切って駐車場まで歩く。誰もいなかった。車を見渡してから、そういえばどの車が誰のものなのか知らないことに気づいた。ワゴン車が一台に普通乗用車が二台、軽四が二台。すこし考えて例のボールペン型のカメラを、駐車場を覆っているフェンスの隅に仕掛ける。カメラからの映像を連動させたスマートフォンで確認しながら調整して、風で落ちないようにセロハンテープで固定する。平沢を運び出すにはワゴン車が一番都合がいいような気がしたので、まずはワゴン車の後ろに血糊を一滴だけ、垂らす。
なんとなく平沢がまだ中にいるような気がして後部座席を覗き込んだが、もちろん誰もいなかったし何もなかった。
玄関を開けて「ただいま」と言うと母が「あ、おかえり。詩織ちゃん来てるわよ」と言った。は? 藤野が? 「あんたの部屋で待ってるわ」いまでもちゃんと仲良くしてるのねー、間延びした母の声を背後に、自分の部屋を開ける。藤野が僕のパソコンを勝手に開いていた。パソコンの画面の中で篠宮が平沢を刺し殺している。「おかえり」椅子ごとくるりと回ってこちらを見た藤野がにたりと笑う。嫌な笑みだった。
「どうやってパスワードを?」
僕はベッドに腰かける。鞄を下ろして、上着を脱ぐ。
「あんたのスマホのロック解除する時の指の動きを二回繰り返すだけでしょ。簡単だったわ」
なるほど。
「どうするつもりなんだ」
「あんたはどうするつもりだったの?」
「前も言っただろ。これきりにして手を引くよ」
藤野の目に軽蔑が浮かぶ。
「どうするつもり?」
「あたしの金づるはべつにあんたじゃなくてもいいのよ」
「やめとけば」
篠宮のペーパーナイフがこちらに向かない保証はないよ。と僕は思うのだが藤野は僕のパソコンに繋いでいた自分のスマホを乱暴に外して立ち上がる。人の言う事を聞く奴じゃないのはわかってるけど。部屋を出て行きかけて、不意に思い出したみたいに立ち止まる。
パソコンを指さす。
「あんたってそれで抜いたりするの? リク部の着替えの映像で」
「まさか」
あんなもの買って見るやつの気が知れない。
ネットの動画を漁ればもっと過激なものがたくさん出てくるのに、どうしてわざわざ下着も外していないものにお金を出そうと思うのか。これを売ろうと考えたのもただ同じような動画が販売されていてそこそこの売り上げがあるとわかったからだ。
買っている人間からすれば「作り物ではない」のがいいらしいが。
少なくとも僕には興味がなかった。
「ふうん」
「何?」
「あんたってよくわかんないなと思っただけ」
藤野がベッドに近づいてくる。
座っている僕を見下ろす。僕は藤野を見上げる。
すこし屈んだ藤野が僕に唇をあわせた。
すぐに離す。
「興奮した?」
「多少」
満足したように頷いて、部屋を出て行った。僕の母にお邪魔しましたー、と言っているのが聞こえてくる。
藤野のことはよくわからない。