私の殺し方
私は毎日「私」を殺す。
例えば、人通りの多い道の真ん中で盛大に転んだとき。クスクスと笑う声、馬鹿にする声、同情の視線。
恥ずかしさに耐えられなくなって死にたくなったとき、私は想像の中で自分自身を殺す。暴走バイクが突っ込んできて私を轢き殺したんだと言い聞かせる。
そうすると、これからの私は生きていける。
今日は2回死んだ。
1回目は授業の発表だった。準備不足だったこともあるが、人前に立ってあんなに言葉に詰まることがあってたまるか。先生の目は冷たいし、クラスメイトからはどもる度に笑われる。
だから、今日は一緒に死んでもらった。教室の天井が落ちてきて巻き添えだ。だけど、やっぱり私が悪いのが大半だから、死ぬのは私1人でみんなは軽症を負ってもらった。
2回目は階段を下りていたとき。踊り場から見えた空を舞うビニール袋に気を取られていたら、一段踏み外して冷や汗をかいた。
幸いにも、転んだり怪我をしたわけではなかったが、あれは確実に死んだ。頭からいって血を流しただろう。
そんな事を考えていたら、あるとき友達が変なことを言ってきた。
昨日、学校の廊下で、私が包丁を刺された状態で倒れているのを見た、と。しかし、すぐに跡形もなく消えてしまったのだと。
何を言っているのかさっぱりわからなかった。包丁が刺さった覚えも廊下に倒れた覚えもない。消えた、というのもおかしな話だ。
確かに、昨日の調理実習の時間、手が滑って包丁が刺さった瞬間を思い浮かべたが、実際のところ、私は包丁を触ってすらない。
夢でも見ていたのだろうと言ったところで、何故か友達が納得する気配はない。
「あれは確かにあなただった」
ゾクリ、と背筋に寒気が走った。
日が経つにつれて、私の目撃情報が増えていった。友達や先生、さらには家族までもが、私の死体を目の当たりにするようになった。奇妙なことに、私が想像した私の死体が見えているらしい。
怖くなった私は、その日から死に方を想像するのをやめた。すると、私の死体はパタリと見えなくなっていった。
不思議なこともあるものだ。
けれど、そんな日々も長くは続かない。私を殺すことはストレス発散の1つになってしまっているから。
学校帰りの駅のホームで電車を待っている。通過電車の案内が流れ、ふと考えてしまった。
いま、足を踏み出せば死んでしまうだろうな、と。
電車の音が近づいてくる。すると目の前に女の子が飛び出していった。
え?
何が何だかわからないまま、けたたましい警笛を鳴らした電車が目を前を通りすぎるのを見ていた。
少し先の方で電車が止まる。聞いたことのない警告音が鳴り響き、ホームが騒然としている。
女の子が飛び降りた。自殺だ。
駅員が慌ただしく動いている中、私はホームにへたり込んだ。
目の前に飛び出た女の子、あれは私だった。私が死んだんだ。
しばらくして何事もなかったかのように運転が再開した。聞こえてくる話からは、死体どころか血の一滴も確認されなかったらしい。
あんな出来事があったにも関わらず普通に生活できているのは、どこか他人事のように思っている自分がいるからだろう。
自分の死を見届けたけれど、それは私ではない。だって、私はここに生きている。
今日も私は私を殺す。
交通量が多いけれど歩道のない道路で、ふらついた拍子に車の前に飛び出してしまって死ぬ。
食事中に食べた餅が喉に詰まって死ぬ。
授業中の居眠りで机からずり落ちた拍子に死ぬ。
野球部のボールが上手いこと頭に当たって死ぬ。
雨風が強い日に橋の上で強風に煽られて川に沈んで死ぬ。
寝ているときの金縛りで呼吸困難になって死ぬ。
いろんな死に方を想像した。いろんな死に方をした私を見てきた。死んでいった私がいるから、今の私は生きていける。私の死は無駄ではない。
今日は友達と買い物に出かけた。それなりに楽しかったはずなのに、些細なことで喧嘩になり、そのまま別れてしまった。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。自分が嫌になる。死にたい。
開放的な施設の屋上は、建ち並ぶビル郡すら見えないほどの高所にあった。誤って落ちないようにと作られた柵も、簡単によじ登ってしまえる。
柵を越えて見る夕日は美しいものだ。遮るものが何もない。
足を一歩踏み出した瞬間、我に返ることができた。
いま、私はなにをしているのか。
振り向いた柵の向こう、屋上には私がいる。安全な場所から夕日を見てたそがれている。
あぁ、そうか。今回は私の番なんだ。
いろんな私が死んできた。ならば、私も死ぬときがくる。それが今回だっただけ。
今日私が死ねば、明日の私は生きていける。友達とも仲直りできるだろう。
だけど……
瞬きする間に小さくなっていく私を見ていた。
そんな あなたも いつか きっと