未来の自分に寝取られる
隣の家に住む幼馴染はいつも元気だ。走り回る彼女の姿を見ていると、こっちもウキウキしてしまう。
彼女――八木橋奈月が隣に引っ越してきたのは、まだ俺が幼稚園児だった頃。
都会の幼稚園児は待機児童がいっぱいで、田舎であればまだ空きがあるということもあり、奈月の両親が移り住むことを決めたそうだ。
奈月と出会ったのは幼稚園。最初に交わした言葉は何だったか、今はもう覚えていない。
ただ、彼女はその時から天真爛漫で、裏表が無かったように思う。
俺はいつも奈月に引っ張られる。行動力の塊みたいな彼女の後ろをついていく。
基本的に遊びは奈月から誘ってくれる。だから彼女が傍にいてくれることで、俺は退屈な日常を送らずに済んでいた。
これはエゴなのかもしれない。いつの頃か、俺は楽しい日々を送らせてくれる幼馴染を一人占めしたくなった。
彼女は誰にでも気さくに声をかけ、誰とでも仲良くなれる。そんな彼女に惹かれた男は俺だけじゃない。
年を重ねる毎に奈月の交友関係は広くなる。彼女は俺以外の人間とも頻繁に遊ぶようになり、内心焦りを覚えた
俺は奈月に特別な想いを抱いている。だが、彼女にとって俺はどういう存在なのかは分からない。ただの幼馴染なのか、好意を抱く存在なのか
それを確かめるには、幼馴染に俺の想いを伝える他ない。
「よしっ!」
頬を叩いて気合いを入れ、人生初めての告白を俺は決心する。
今、学校は夏休みに入っている。学校で話す機会はない。となると、奈月をどこかに呼び出さないといけない。
電話で話してもいいのだが、それだと何だか味気ない。内容が内容なだけに顔を合わせた方が想いも伝わるだろう。
都合がいいことに、1週間後に地域の夏祭りがある。告白にはもってこいのシチュエーションだ。
この夏祭りには毎年奈月と2人きりで、遊びに行っている。誘っても、断わられることはないはずだ。
そう思っていたのだが――。
「ごめん……その日は用事があるの……」
「え……」
あっさりと断られてしまった。
何だか幼馴染の様子がおかしい。息が荒く、電話越しに聞こえてくる彼女の声はほんのりと艶かしい。
「部活でもあるのか?」
「いや……そうじゃないんだけど……ひゃ! ちょっと止めてよ! 電話してるんだから!」
奈月は誰かと一緒にいるようだ。微かにだが、どこかで耳にしたような聞き覚えのある男の声が聞こえる。
電話をかけたのは、太陽も沈み空には星と月だけが光を放つ夜。今の時間、本来であれば奈月は家にいる。
部屋の窓に目を向ける。そこから見える奈月の部屋の窓は、カーテンが閉まっており、尚且つ明かりもついていない。
「そうか……なら別な日にどっか遊びに行かないか?」
「ご、ごめん! 今立て込んでるからまた後で!」
彼女が建て込んでるとそう言った途端、電話は強制的に切られてしまった。
今まで彼女と接してきて、ここまで露骨に男の影が匂うようなことはなかった。
俺の知らないところで奈月に恋人ができたのか? だとしても、奈月は何故俺にそのことを隠す?
……………。
モヤモヤとした感情が渦巻く。
一体何がどうなってるのか分からない。俺はどうすればいいのだろう。
直接本人に聞いてみるのが確実ではある。でも、恋人がいると答えられてしまうと、告白する前に玉砕する形となり気が引けてしまう。
フラれるにしても、せめて奈月に自分の気持ちを伝えたい。1回こっきりの大勝負、なあなあで終わるなどまっぴらごめんだ。
奈月に抱く疑念を棚上げし、俺は告白する機会を先伸ばしにすることにした。
それから奈月に何度かメッセージを送ったが、芳しい結果は得られなかった。
彼女の空いていそうな日を狙い撃ちして、遊びに誘っても悉く断られてしまう。
結局奈月に会う約束を取り付けられないまま、夏祭りを迎えてしまった。
行き場を失くした想いだけが先行し、いてもたってもいられなかった俺は、一人寂しく祭りの屋台を回っている。
ここ最近、幼馴染と距離があるように思う。以前なら、仮に時間が合わなくても顔を合わせるくらい簡単にできたのに……。
やっぱり、奈月に彼氏ができたんだろうか――。
ふと、露天を歩く1組のカップルが目に入った。
関係の深さを表すかの如く、2人は指を絡ませて手を繋いでいる。
2人とも通りすぎる人が思わず2度見してしまうような美男美女。
女の方は俺が見覚えのある顔だった。
いや、見覚えがあるなんてレベルじゃない。夏休み中ずっと彼女のことが頭に浮かんでいたのだから。
――奈月だった。
彼女が俺の誘いを蹴ったのは、彼女の隣を歩く男とデートがあったからだろう。
逆に男は見覚えはない。少なくても、学校では見かけたことのない顔だった。
男は奈月より顔1つ分くらい背が高い。それに比例して年齢の方もパッと見で彼女より一回り上のように見える。
ただ確実に言えるのは、俺より遥かにイケメンであるということ。
男の背中からは、漲る自信を感じた。奈月を守ろうとする強い意志が、口を交わしてすらいないのに伝わってくる。
平凡な俺より、彼女に相応しい男であることは間違いなかった。
「――ッ!」
もっと早く行動していれば、幼馴染の恋人になれたのではないかと後悔する。
想いを伝える前に、ポッと出の男に奈月は取られてしまった。
彼女の男に向ける笑顔を見ればわかる。2人の間に、俺が付け入る隙は恐らく――皆無。
もう奈月とはお別れだ。
交友関係の広い彼女の数いる友人の1人として、俺は奈月と付き合うことになるだろう。
夏祭りのあったあの日から、俺から奈月に連絡を取ることはなくなった。それどころか、彼女から連絡が来ることもなくなった。
別に喧嘩をした訳でもないのに、無性に幼馴染に腹が立った。逆恨みも甚だしいのだが、奈月よりもいい女と付き合って見返してやろうと思った。
それから俺は体を鍛えた。毎日朝はランニングをして、筋トレに勤しんだ。
空いた時間は勉強机に噛り付いた。成績優秀者と言うことで高校は学費免除となった。
おかげで都会の偏差値のいい大学に推薦を得ることができた。
彼女も作った。奈月にも負けず劣らずの可愛い子だ。
10年という長い月日を経て、俺は見違えるほどいい男になったと思う。奈月の隣にいた男と同じくらいに。
収入も安定している。同姓中の彼女が妊娠しても、経済的に全く問題がない。
今の彼女と結婚式を挙げても、海外に旅行に行っても、まだまだ貯金には余裕がある状態だ。
…………だが、俺の心は満たされなかった。
俺が欲しかったのは社会的な地位でも、金でも、美人な恋人でもない。
――奈月だ。
彼女の傍にいたかった。幼馴染と添い遂げたかった。されど、その願いは叶うことはない。
奈月のことがずっと頭から離れない。ふとしたことであの夏祭りの光景が甦る。
俺もいい歳だ。ガキの頃に好きだった女の子のことを、未だに引きずるなんて女々しいにもほどがある。
――もう忘れよう。
俺に幼馴染なんて最初からいなかったんだ。あの日目にしたのは、カップルがただイチャイチャしているありふれた光景。
奈月への想いを断ちきろうと努力していたある日、スマホにメッセージが届いた。
『奈月が死んだ』
送り主は友人登録をしていない謎の誰か。
デフォルトで設定される人形のアイコンの脇には『つばー』という名前が表示されている。
俺は電話番号を交換した人以外とは、メッセージのやり取りなどしない。
稀に全く面識のない奴からイタズラで怪しいメッセージが届くこともあるが、それらは全て無視している。
今回もそのイタズラだろうと思いつつも、気になって仕方がなかった。
『つばー』とは、奈月が俺につけたあだ名だった。あだ名――とは言いつつも、2人きりの時にしか奈月はそう呼ばなかったのだが……。
このことを知っているのは俺と奈月だけ。奈月の両親も恐らく知らない。
知り得る可能性がある人物がいるとしたら――あの時の男。
奈月が男に喋ったのかもしれない。もし……送り主があの男なのだとしたら……。
真偽のほどを確かめるため、俺は仕事を休み、奈月の家を訪ねた。
「奈月……」
信じられなかった。これが現実だと思いたくなかった。
奈月はまだ生きている。眠っているだけで、誤って棺の中に閉じ込められたのだ――そう逃避したくなるほどに……。
奈月は俺と同い年。まだまだ若い。大きな病気を抱えるほど老いてはいない。
故に病気はあり得ない。持病なのだとしたら俺が知らない訳がない。
考えられるのは外的要因。寿命や病気ではなく、何者かによって奈月はその命を断たれたということ。
「事故だ」
答え合わせをするかのように、項垂れている俺に話しかけてきたのはあの時の男。
当時と比べ、背は縮んではいないが頬は痩せこけている。
「一瞬だったよ。気が付いたら奈月はトラックに引かれてボールみたいに吹っ飛んでた」
絶望感の漂う表情とは裏腹に、まるで他人事のように男は淡々と語る。
「なさけねーよな……。俺なら絶対奈月をこんな目に遭わせないって思ってたのに……」
なんなんだこいつ……!
悲劇のヒーローを気取っているのだろうか。悟りを開いたかのように、今度は自分語りを始めた。
こんな奴のことなんてどうでもいい。俺にとって重要なのは奈月のことだけ。
こいつはずっと奈月の傍にいた。でもこいつは奈月を守れなかった。
俺から――奈月を奪ったくせに!!
「お前っ!」
気が付けば男の顔を殴っていた。馬乗りになり、男の顔が原型を留めないぐらい腫れ上がるほど拳を叩きつけた。
「…………」
男は一切抵抗してこない。それどころか自分から顔を差し出してくる始末。
「ああ……お前に殴られるとスッキリするよ。あいつもこんな気持ちだったんだな………」
殴られる方はもちろんのこと、殴るという行為は殴る方もダメージがある。
「くそっ!」
体力的には余裕があったのだが、先に拳の方が限界に達してしまった。
指の感覚が殆どない。手を閉じているのかも開いているのかすらも、目で見ないと分からない。
「なあ……奈月にもう一度会いたくないか?」
「はぁ?」
「足立翼、俺はお前なんだよ。俺は未来から来たんだ」
男は殴られすぎて頭がおかしくなったようだ。唐突に意味不明なことを言ってくる。
瞼はテニスボールほど膨れ上がり、流血して視界はほぼ遮断されていると言っていい。そんな状態なのによく喋れたものだ。
「
ハハハッ! 意味がわからねーよな。
俺もそうだったよ。10年前の奈月に会うまでは信じられなかったよ。
楽しんでくるといい。奈月との青春を。そして今度こそ奈月を守ってくれ。
もう俺の役目は終わった。奈月を守ることができなかった。
お前に託す。未来の俺が、今の俺にそうしたように
」
!!
男の全身が急に光りだした。そして次第に透明になっていく。
「奈月……ごめんよ……」
完全に男の姿が消えてなくなったと思ったら、それと同時に俺の意識も遠のいていった。
………………。
…………。
……。
★☆★☆★☆
夢を見ていた。
俺は夢の中で、前後左右、上下を見回しても真っ白な空間にいた。
何をしていいか分からず、ポツンと突っ立っていると、どこからともなく声が聞こえた。
声の主曰く、俺は特別な力を得たらしい。
誰かを過去に飛ばす能力。ただし代償として、自分の命を失うことになるとのこと。
そんな与太話信じられる訳がない。されど、目を覚ました時、それが事実であることを思い知らされるのだった。
「大丈夫ですか?」
俺の顔を心配そうに覗き込む1人の少女。ついさっきまで、物言わぬ存在となっていた彼女が俺の目の前にいた。
「なつき……」
「え?」
俺の知る10年前の奈月の姿。
もはや疑いようがなかった。俺は確信した。タイムスリップしたのだと。
ここは奈月と俺の家の近くにある公園。どうやら俺は、ベンチに腰掛け気を失っていたようだ。
「んなぁつぎ~」
「ちょっ!」
奈月を思い切り抱き締める。
彼女からしたら困惑の極みだろう。得体の知れない大人が自分の身体に触れているのだから。正直通報されてもおかしくない。
でも、そうはならなかった――。
「つばー……?」
奈月はそう言うと、頭をポンポンと優しく撫でてくれた。俺を引き剥がそうとはしなかった。
「ああ、つばーだよ。足立翼だ」
「やっぱり! なんでかよくわかんないけど、つばーなんだね!」
本能的と言うべきなのか、奈月は俺の正体を一瞬で見抜いた。あの時から、図体も大きくなり大分顔も変わったと言うのに。
「なんか私の知ってるつばーとは別人だね。どうして急におっきくなっちゃったの?」
「ああ、それは――」
俺は全てを話した。未来から来たことを、奈月は10年後に事故で亡くなってしまうことを。
「そうか……そうだったんだね」
彼女は俺の話を疑わなかった。常識的に考えれば、あり得ないことだ。
「信じてくれるのか?」
「うん! だって好きな人の言ってることだもん。信じるよ!」
ああ……。
好き――奈月からその言葉をどれだけ望んだことか……。今になってようやく、彼女と両思いであったことに気付く。
「奈月! 俺も好きだ! 絶対守ってやるからな! お前を死なせたりなんかしない!」
未来の俺は言っていた。奈月を守ってやれと。彼は命を賭して俺を過去に送ってくれた。それを無駄にしてはならない。
「愛してる」
固い決意を胸に俺は奈月との口付けを交わした。
奈月のことを絶対に守る!……とは思ってはいたが、それ以外にもやらなければならないことがたくさんあった。
これからこの世界で生活していくにあたって、生活費を稼がないといけない。奈月を守るにしてもまず、先立つものは必要だ。
未来から過去に戻ってきた俺は身元不明の男。足立翼ではあることは間違いないのだが、この世界にはもう一人の足立翼がいる。
だから足立翼を名乗る訳にはいかなかった。戸籍がない状態だ。戸籍がない以上、働くことはできない。
本当に苦労した。新たな戸籍を取得するには相当な時間がかかった。戸籍を取得した後、仕事を見つけるのも大変だった。
だが俺は乗り越えた。晴れて堂々と奈月と付き合えるようになった訳だ。
初めて奈月を抱いた時は涙が出そうになった。長い間想い続けた幼馴染の生まれたままの姿を見た時、胸に込み上げるものがあった。
そして今、俺は奈月と一緒にトラウマになったあの夏祭りに来ている。
幸せだ。あの時は遠くから眺めることしかできなかった幼馴染は、俺の隣にいる。
「…………あ」
ふと視界に入る過去の自分。
彼はとても悲しそうな顔をしていた。これから彼の味わう苦しみを知っているだけに心が痛む。
あの時は俺はあんな顔をしていたのか……。とても奈月には見せられない表情だ。
彼には悪いが奈月は諦めてもらう。俺は奈月とこの世界で添い遂げる。
将来可愛い彼女だってできる。それで満足してもらう他あるまい。
そう言えば同棲していた彼女は俺がいなくなった後、どうしたのかなぁ……。俺のことは忘れて、他の人と幸せになってくれてると嬉しいんだけど。
「どうしたの?」
奈月はどう思っているのだろう。今の俺と付き合うということは、ある種過去の俺を裏切っていることになる。
「奈月はさ……翼のことどう思ってる?」
「あなたのこと?」
「そうじゃなくて、もう1人の」
「好きだよ……。でも、同時に2人と付き合うなんてできないし、私はあなたが好き」
やはり後ろめたさはあるようだ。だが奈月は、過去の俺ではなく今の俺を選んだ。
「どうして?」
「わたしのことで、ずっと苦しい思いをしてきたんでしょ? そんなつばーをほっとけないよ。それに今のつばーの方がかっこいいし」
あの時の挫折がなければ今の俺はいない。当時は悔しくてたまらなかったが、どうやら奈月と付き合うためには必要な経験だったようだ。
それから10年、あっという間だった。
奈月と共に過ごす日々は夢のようだった。毎日が輝いていた。何もかも新鮮で、何もかもが楽しかった。
そして――俺は運命の日を迎えた。
奈月が事故に遭うことは分かっている。それを防ぎさえすれば、もう何も憂いはない。俺はこの幸せを永遠のものにできる。
未来の俺が言っていた。彼女はトラックに弾かれると。道路のトラックに気を付けてさえいれば、衝突を防ぐことは容易なはず。
――キィィィ!
トラックが奈月に向かってきた。俺が手を引けば、奈月は助かる。
――――――。
一瞬、迷いが生じた。
考えてしまった。このまま奈月が助かってしまったら、あいつ――俺は一生苦しみ続けることになる。本当にそれでいいのかと。
――ドンッ!
「きゃっ!」
手を動かそうとした時には、奈月は空高く弾け飛んでいた。急いで彼女に駆け寄るも、既に息はなかった。
俺は愚かだ。奈月を守ると意気揚々と息巻いていたのに、ほんの一瞬迷ったせいで、未来の俺と同じように彼女を死なせてしまった。
もうこの世界に未練はない。奈月のいない世界で生きていても、虚しいだけだ。
だが、最後にやらなければならないことがある。俺にはできなかったが、彼ならば奈月を守れるかもしれない。
「お前っ!!」
あいつもこんな気持ちだったんだな。過去の自分を哀れんでしまったせいで、過去の自分から責められる。
殴られると何だかすっきりする。熱い想いを持った過去の自分に可能性を感じてしまう。
だからこそ頼んだぜ、足立翼。いや、俺。
今度こそ奈月を守ってやれよ――。
最後まで読んでいただきありがとうございました。