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15-324 なんでだめ?

 浜辺を大股で歩く。

 全身を強張らせて俯きがちに顎を引き、瞬き少なくどこかを睨み付けてずんずん進む。


―だって仕方ないじゃん―


 砂が鳴る。


―必要だからやるんだよ―


 靴底で波が割れる。


―お前だって言ってたじゃん、『必要だからいいんだ』って自分のことは正当化してたじゃん―


 潮騒よりもうるさく鼓動が大きく響いてまとわりついてきて、


―お前、言ってることとやってることが結構都合いいよ?―


 沸き上がってきた熱で頭痛がした。


「痛いッ!」


 真後ろで聞こえた悲鳴に足を止めて振り返る。見るとウミネコが顔を歪めている。


「痛いジュウゴ、手!」


「……え」


「て!!」


 言われてジュウゴはウミネコの手を見た。

 握りしめられ過ぎて、指が開きかけたまま固まっている。ああ、と思い出してジュウゴが手を離すと、ウミネコはひったくるように全身でその手を抱え込んだ。


「何度も呼んでいるじゃない」


「ごめん」


「離してとも言ったわ、止まってとも」


「……ごめん」


 そこまで強く握りしめていたことに気付かなくて、無自覚に傷つけてしまっていたことが後ろめたくて、自分の手の平を見下ろしながらジュウゴは謝罪の言葉を繰り返した。


 ウミネコがくるりと背を向ける。ジュウゴが疑問を顔で訴えると、


「足、冷たいでしょう? 場所を移しましょう」


 言われて自覚した。海水が靴を濡らして爪先がかじかんで、冷気が全身を駆け抜けた。


「さ…ウミ、」


 ジュウゴはウミネコに駆け寄りながら呼びかけて呼び直す。つい夜汽車内での呼び方で呼んでしまう。ジュウゴは頭を掻きながら、


「大丈夫?」


 改めてウミネコに尋ねた。眉根を寄せて怒った顔が立ち止まり、乾いた砂を踵で蹴って振り返る。


「手首。赤くなっている」


 ジュウゴが言うと、ウミネコは痛いと言った手とは反対の手を見下ろした。


「ごめん」


 頭を下げたジュウゴに、


「これはハツカネズミだから」


 手首を裏に表に返しながらウミネコは答える。


「ハツ?」


 自分の落ち度ではないと言われてジュウゴは顔を上げた。それからもう一度ウミネコの手を見て下を向いて、


「……うん」


 意味も無く頷いた。


 どこを見るでもなく横を向く。暗くなり始めた紫色の景色の中で、青黒い海がさらに一段、明度を落としかけていた。


「君がネコと一緒にいたと言っては駄目だったんだね」


 ネズミたちの反応から、ようやく思い至ったその点についてジュウゴは謝罪する。


「いずれ知られていたわ。それにもう、ネコじゃないし」


 拗ねたようにウミネコは答える。


「ネコじゃないの?」


 怪訝そうに顔を向けたジュウゴに、


「ネコじゃない」


 ウミネコが答える。


「もちろんワシでもない」


 痣を覆いかくすように反対の手で握りしめて、


「何でも無くなった……」


 その場で蹲った。


 ジュウゴはぼんやりとウミネコを見下ろした。小さいな、と思いながら。こんなに小さかっただろうか、とも。コウだってもう少し大きかったと思う。ワンはもっと。ヤモリみたいに小さくて、スッポンモドキみたいに頼りなくて、トカゲみたいに弱々しくて。


 寄り添うようにその横に、ジュウゴは腰を下ろした。


 途端にウミネコが顔を上げる。驚いたような、困ったような目でジュウゴをじろじろと観察する。


「何?」


 尋ねたジュウゴに、


「近過ぎない?」


 今にも接触しそうな肘を体に寄せて、ウミネコは戸惑った顔をする。


「この接触は大丈夫だよ、ワンで証明済みだ。互いに傷つけないしむしろ体温が保たれていいんだ」


 火をおこしても寒さが厳しい時、手近な瓦礫が見つからなかった時、ワンはしばしば丸めた体をジュウゴに寄せてきた。当初は抵抗していたジュウゴもすぐにその快適さに気付き、やがては自分からワンの近くに寄ることも増えていった。


 ワンは暖かかった。


 ワンは……。


 ウミネコの視線に我に返る。何か言いたげな目を直視できなくて、取って付けたような理由を並べる。


「今はまだ暑いけど太陽がいなくなるとすぐに寒くなるんだ。だから今のうちから暖かく備えておいておくことは大事だよ。寒くなってから温まるのはすごく時間とかが必要なんだ。それに…」


 言いながら頭のどこかでは言い訳だと気付いていた。何のことはない。何でもよかったのだ。誰でもよかった。誰のでもいいから今は誰かの温もりが、隣にほしくてたまらなかった。


「じ、ジュウゴ?」


 突然腕を回してきたジュウゴにウミネコは戸惑う。


「どうしたの?」


「暖かいから」


 言いながらジュウゴは右目を閉じた。


 暖かかった。芳しかった。求めた者とは違うけれども類似した感触が心地良くて、包まれたくて。別の女を思いながら目の前の女を押し倒した。


 途端に咽頭に痛みが走る。圧迫感にえずきに似た声を上げ、驚いて身を起こして右目を開ける。


 目の前にはつり上がった目で睨み上げて来るウミネコが、棒状のものを構えていた。咽頭に感じた痛みは、あの棒を押し付けられたらしい。


「何するの」


 前髪を震わせて燃えあがるような目で睨みつけながら、ウミネコはじりじりとジュウゴから距離を取る。


「何って……」


 何だろう。


 あの行為を何と呼ぶのかジュウゴは知らない。でも安全な接触のはずだ。イシガメの抱擁に近くて、それ以上に暖かくて、熱くて、安らげて、何度も繰り返したくなる接触だった。


「なんで?」


 だからわからなかった。あんなに気持ちいいのに何故そんな目で睨まれるか、どうしてウミネコは離れるのか。


「だって、」


 トカゲは、


「あなたさっきハツカネズミを散々非難していたじゃないッ!!」


 ウミネコの憤怒が理解不能でジュウゴは唖然として固まった。


「ハツを?」


「非難していたでしょう? 絶対駄目だって、ハツカネズミは良くても私は嫌がるからやめろって!」


「言ったけど……」


 それは『子ども作り』を非難したのであって。


「それなのに何? あなた、同じことしようとして!」


「同じこと?」


 どれが? 誰が?


「って何?」


 本気でわからなくてジュウゴはウミネコに尋ねると、


「『子ども作り』ッ!!」


 先は死んでも言いたくなさげだったくせに、今度は大声でその言葉を叫んだ。


 ジュウゴは混乱する。サンは何を言っているのだろう。ハツと同じ? 僕が!? 嘘だ。


 嘘だ!! これがそれな訳ないじゃないか! だってもしそうなら、だとしたら、僕は、僕も彼女を……。


「……ごめん」


 愕然として後ずさりした。信じられない事実を信じたくなくて、けれども疑う余地も無いほど事実だと付きつけられて、自分の犯したかもしれない罪に怯える。


「ごめん」


 怒り狂った目に睨まれながら、別の相手に謝罪する。


「ごめ…!」


 いてもたってもいられなくなって衝動のままに立ち上がり走りだす。しかし自分がいる場所からそこに行くにはどこをどう行けばいいかわからなくて立ち止まり、右往左往しているうちに謝ったところで許されるものではないかもしれないと思い始めて頭を掻き毟る。


「ごめん」


 あんなに苦しいと言っていたのに。


「ごめん」


―トカゲの前で同じこと言えんのか―


「ごめん、ごめん、ごめ…!」


「ジュウゴ!!」


 呼ばれて我に返った。


「サン……」


 ウミネコは片手で棒を握りしめ、反対の手でジュウゴの腕を掴んでいた。


「もういいから、わかってくれればいいから!」


 ウミネコは息を切らせながらジュウゴに言い聞かせた。何度も呼ばれていたのかもしれない。それでもジュウゴは気付かなくて、ついにその手を取ったのだろう。棒状のもので牽制していたくせに、自分の身の安全を確保するための距離を保つことさえやめて、ジュウゴに近づいたのだろう。


「全てが悪いわけじゃないわ、きっと。……きっと許されることもあると思う」


「許される?」


 悪くない『子ども作り』もあるのだろうか。


「どうしたらいい?」


 どうすれば許される?


 ウミネコは困った顔で逡巡してから、


「事前に合意を得る? とか……」


「事前に……」


 事後の場合はどうなるのだろう。


「だからその……、とにかく私にはもうしないで」


 ウミネコの強い視線に、


「……うん」


 ジュウゴは弱々しく項垂れた。


「うん……」


 ジュウゴの興奮が落ち着いたことを確認して、ウミネコはその手を放した。反対の手はまだ棒状の武器を握りしめたまま。


 ジュウゴは手を下ろす。冷や汗のせいで体感温度は恐ろしく低下していた。いつの間にか完全に夜だ。


「寒いね」


 身震いしてジュウゴは呟く。


「……背中なら貸してあげる」


 ウミネコが言った。

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