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00-318 慟哭

「遅くなったごめんなさい!」


 と、素直に謝罪しながらヤチネズミが洞窟に入ってきたのは、以前似たような状況でドブネズミに叱られた苦い経験があったからだ。


 「そう!」と、飛んでくるいつもの怒声に備えて身構えていたヤチネズミはしかし、待てど暮らせど一向にやってこない野太い声に違和感を覚えて顔を上げた。見ると洞窟内はどんよりと静まり返っていた。沈んでいた、と言った方が正しかったかもしれない。


「……おい」


 誰か反応してくれ、という願いを込めて部隊員たちを見回す。


「帰ってきたんだけど……」


 オオアシトガリネズミがちらりと顔を動かす。だがそれ以外は静止画だ。


 ウミネコが背後から顔を覗き込んできた。散々偉そうにした挙げ句、恩着せがましく横柄な態度をとってきたヤチネズミとしては、自分が部隊でこのような扱いをされているところを見られるのは居たたまれない。仮でも似非(えせ)でも夜汽車の前なのだから、頼むから体裁くらい保たせてくれ、と助けを求めんばかりに部隊員を見回していたところで、姿が見えない男がいることに気がついた。


「ブッチーは? また叫んでんのか?」


 言いながら浜の方へ振り返ったが、もしそうなら今頃ここまであの声が届いていたはずだ。それに今はカヤネズミもいるのだから、ドブネズミが叫び続ける理由もない。


 首を捻りながら顔を戻したヤチネズミに、カヤネズミが大股で近付いてきた。「カヤ…」と言い終わる前に左頬を殴りつけられる。


 ウミネコが短く叫ぶ。その足元にヤチネズミは倒れ込む。「カヤさん!」と誰かの声が聞こえたが、その声の主を確認する前にカヤネズミが上に跨ってきた。


「んだよ…!」


「なんで今さら戻って来たッ!!」


 怒鳴る前に怒鳴りつけられる。理不尽なことこの上ない。


「ごめんて言ったじゃん! ちゃんと謝ったじゃん!!」


 襟首を掴んでくるその手首を掴み返してヤチネズミは唾を飛ばしたが、


(おせ)えんだよ!!」


 逆に飛沫が降って来る。


 不快さに目を瞑ったヤチネズミを、カヤネズミはさらに掴み上げて揺さぶり始めた。


「遅過ぎんだってどんだけ待たせんだお前の特技でさっさと出てこいって言っただろが!!」


「だからそれはごめんて……」


 狂いに狂った腹時計のせいで、自分でも唖然とするくらい無駄な時間をワシの駅で過ごしてしまったヤチネズミは、その点においては弁解できないと肩を竦めた。


「ごめんで済まねえことくらいわかれってそれくらい! ほんっと馬鹿だなビチクソ野郎が足りない味噌の代わりにそこら辺の泥でも詰めとけ風船頭ッ!!」


 しかしカヤネズミの悪口は止まらない。


 その剣幕と、有無を言わせない早口と、そこまで言わなくてもいいではないかという自尊心と、そもそも自分がワシの駅に捉えられたのはお前が仕組んだことだろが! というそもそも論が噴出してきて、ヤチネズミは勢いよく起き上がりがてら目の前のわからず屋に頭突きした。


 カヤネズミが離れる。目を瞑り後ろ向きによろけた体を、ヤチネズミは押し退けて立ち上がる。


「そもそもはそっちのせいだろ!? お前が身代りとか回りっくどいことしなければ俺だって初めっからあんなとこ行かなかったよ!!

 時間かかったけどちゃんと出てきたじゃん! 身代りなってやったじゃん! むしろ感謝されるとこじゃね? っつうか俺こそお前を殴る権利あるだろがッ!!」


 「ヤチさん…」と仲裁を試みたのか物言いたげな顔のヤマネがしゃしゃり出てきたが、ヤチネズミがそちらに気を取られた隙に、倒れた状態からカヤネズミが蹴ってきた。大腿を擦りながらヤチネズミも反対の足で仕返しする。


「酔ってんのか? どんだけ飲んだんだよ飲んだくれ!! お前こそ少しは酒控えろっていっつもブッチーにも言われてんじゃん! 少しはブッチーの負担も考えて…!!」


 足払いを食らった。しかも棒状のもので背後から突然に。


 脹脛を押さえながらヤチネズミは地面の上で悶絶する。この状況でカヤネズミに加担する馬鹿の思考が理解不可能だ。ヤチネズミがもんどりうって見上げると、三白眼で見下ろしてくるセスジネズミがいた。


「黙れじじい」


 不意打ちの暴力と理不尽な暴言はいつも通りだったが、普段と違ったのはその目が赤かったことだ。


「お前が黙れくそがきッ!!」


 だが頭が煮えたぎっていたヤチネズミは、部隊員の異変に気付けない。


 何故怒っているのか、何故目を腫らしているのか、何故理不尽になってしまったのか。少しでも想像力を働かせることができたならば、何が起きたかを察知できたかもしれない。だがヤチネズミにはそうした能力が欠けていた。


「ぶ……ッさんがぁ……、()にばした……ッ!」


 だからヤマネの鼻声を聞いて、ようやく冷静さを取り戻した。


「……え?」


 ヤチネズミは周囲を見回す。誰も視線を合わせない。一番助けてくれそうなオオアシトガリネズミに思いを託して見つめると、オオアシトガリネズミは観念したように息を吐いた。


「二日前です。塔で」


「なんで?」


 ヤチネズミの質問に、オオアシトガリネズミはうざったそうに眉間に皺を寄せ、周囲をちらちらと見る。だが自分以外に誰も答えないと知ると再び大きく息を吐いて項垂れた。


「ヤチさんをワシから奪還する条件がアイを消すことだったんで消しました」


「どやって??」


 ヤチネズミは身を乗り出して質問する。自分たちがこの十年間、やりたくても出来なかった事案を、たった一ヶ月強で成し遂げてしまったというならそのからくりが知りたい。


 オオアシトガリネズミは項を掻きながら、「アイを風邪で寝込ませました」と面倒臭そうに答えた。


「風邪? 義脳が風邪引くのか!?」


 ヤチネズミは尚も食いついたが、


「似たようなもんですって。そこ掘り下げないでくださいよお!」


 オオアシトガリネズミが珍しく声を荒らげたから、一度その疑問は飲み込むことにした。


 オオアシトガリネズミは眉根を顰めてため息を吐くと、再び説明を始める。


「とにかくアイが消えても電気は消すなっつうからその通りにしたんです。でもアイを消したら『ジエイ』っていう新しい義脳が出てきて…」


「俺たちは見てない。ジネとカワと俺は待機組だった。こいつが端末を塔に繋いで云々とか言っていたが、俺たちは誰も納得していないし了承していない。それなのに部外者が勝手に進めてやらかした」


 セスジネズミが自部隊は無関係であるということを言い訳がましく強調する。オオアシトガリネズミはむっとして一度口を噤んだが、唇を尖らせつつも説明を続けた。


「……で、そのジエイが俺以外の旧ムクゲネズミ隊は『排除します』って言ってきて。感電させられそうになったり押しつぶされそうになったり、なんか、空飛ぶ小銃? みたいなのとかも出てきて…」


「そこの部外者が捕縛されたらしい。それさえなければ誰も傷つかず速やかに撤退できたはずだ。どこかの誰かが下手打たなければ」


 再びセスジネズミが口を挟む。言い返せないのかオオアシトガリネズミがぐっと顎を引いたが、


「おおあじはぁ、悪ぐだいでどぅ! お、オオアじわあ、おおばしばあ……ッ!」


 ワタセジネズミが泣きじゃくってオオアシトガリネズミを庇った。だが副部隊長は後輩のそれを許さない。


「悪いだろう。確実にこいつが悪い。こいつが出しゃばって訳のわからないことさえしなければこんな事態にはならなかった」


 セスジネズミは全ての責任がオオアシトガリネズミにあると考えているようだ。だが妙だ。ヤチネズミは事情をまだよく把握しきれてはいないが、でもどうも腑に落ちない。


「……んでえ、空飛ぶ小銃がタネジさんのまん前まで飛んできた時にぃ、ブッさんがぁ…」


「すみません……」


 一番離れた場所で俯き加減に佇んでいたタネジネズミが、ぼそりと呟いた。こちらは打って変わって意気消沈気味だ。その様子があまりらしくなくてて、ヤチネズミは目を凝らすようにして首から上を突き出す。


 そもそも何故オオアシトガリネズミにそんなことを任せたのだろうか。他に適任者がいただろう。そのために自分はワシの捕虜にされたのではなかったか?

 

 セスジネズミはオオアシトガリネズミに全責任があると繰り返し言っているが、オオアシトガリネズミは何故否定しない? 例え事実だったとしてもオオアシトガリネズミはセスジネズミに真っ向から反発しているのだから何かしらの理由をつけて言い返しそうなものなのに……。


 考えながらヤチネズミは傍らの男を見つめていた。カワネズミがその視線に気づく。ヤチネズミの軽率さを知る同室の後輩は急いでそれを止めようとしたが、間に合わなかった。


「お前は何してたんだよ」


 ヤチネズミはカヤネズミに尋ねた。


 だってそうだろう。そう言っていただろう。義脳を消してくるからその時間稼ぎで代理捕虜を努めろと言ったのはカヤネズミなのに、何故その名前が一度も出てこないのか。


「お前らがアイを消したってのはわかった。俺もその瞬間はワシの駅で見た。ジエイって奴とも会った。

 でもてっきりカヤがやったもんだと思ってたのに、なんで全部オオアシがやったみたいな話になってんだ? おかしくね? そういう系ってカヤの仕事じゃん。大体オオアシが加わったのなんて偶々の偶然じゃん。オオアシがいなかったら出来なかったってことか? だったとしたってカヤが一枚も噛んでないわけ…」


「ヤッだん!!」


 ヤマネが叫ぶ。ヤチネズミは振り返る。必死の形相で首を横に振る後輩に、ヤチネズミは首を傾げる。


 カワネズミが手の平で目元を覆った。ジネズミがタネジネズミを横目で見て、ウミネコが周囲を窺っていて、セスジネズミが凶悪な顔で歯噛みしている。


「何だよ」


 部隊員たちの表情の意味を汲み取れないヤチネズミは、眉根を顰めて仲間たちを見回した。


「だってそうじゃね? そのために俺がワし…」


「ああそおだよ全部俺のせえだよッ!!!!」


 すぐそばでカヤネズミが怒鳴ったから、ヤチネズミはびくりと肩を竦めた。その顔は断酒二日目の苛立ちではなくて、そんな怒り系統の感情とは少し異なっていて、これはいつかの、シチロウネズミが死んだ時のあの。


「カヤ…?」


「飲んだよ美味かったよ寝ちまったんだよッ!!」


 ここに至ってヤチネズミはようやく事情を把握した。自分の軽率さを省みるよりも、目の前の同輩が心配になって弾かれたように立ち上がりかけたが、


「でもお前が!! お前がもっと早く戻ってくればッ!!」


 だが再びカヤネズミに掴みかかられていた。


「カヤ……」


「お前さえいれば!! お前の! おば……ッ!」


 それ以上は続かなかった。カヤネズミはヤチネズミの襟首を握りしめ、鼻筋に皺を刻んで、歯茎を剥き出して食いしばった歯の奥で唸る。


 やがて大粒の水滴が落ちて来た。涙と鼻水と涎を混ぜて、首筋を浮き上がらせて唸り続ける男は土砂降りの雨を降らす。


「ごめん」


 小汚い雨雲に向かってヤチネズミは謝った。


 カヤネズミが首を横に振る。戦慄きながら開いた口の中の暗い喉の奥から、同じ気持ちを轟かす。首どころか上半身を左右前後に揺らして、スミスネズミのような言葉未満の声を吐き出しながら、カヤネズミは泣き崩れた。


 ワタセジネズミも泣き始める。ヤマネも遠慮を捨てて、つられたジネズミも加わる。


気が滅入る合唱の中で、オオアシトガリネズミが乾いた視線を送ってきた。あぁ、とヤチネズミは横目で背後を見遣る。ウミネコを気にしているのだろう。説明が遅れてしまったがこの状況で出来ることではないと思い、ひとまず待て、と目顔で伝えた。


 だが当のウミネコが待たなかった。何を考えたかえせ(・・)夜汽車の元ネコ女は、耳障りな悲鳴を上げて注目を集める。ジネズミが驚いて体を震わせ、その存在に気付いていなかったのかヤマネが泣き濡れた目を丸くして顔を上げた。「誰?」「女?」疑問符がそこかしこから聞こえる。


「お前なぁ……」


 空気読めよ、とヤチネズミが苛ついて女を睨み上げた時、


「何? どうしたの? お前ら」


 思わぬところから思わぬ声が聞こえた。


「ハづだん?」


 ワタセジネズミが待ちに待って待ち焦がれていた部隊長を探して顔を上げる。その横をスミスネズミが駆け抜ける。「ただいま、スミ」とハツカネズミの声が聞こえて、


「ハツ?」


 ヤチネズミも振り返った。


 ヤチネズミに掴みかかって泣き伏していたカヤネズミも顔を上げて、ヤマネもセスジネズミも誰もかれも、泣き濡れた顔や疲れたれ果てた顔で声のした方に振り返って、


「ただいま、みんな」


 見たことも無い異形の出現に絶句した。

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